北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D2)です。B4からD2までの間に英誌での筆頭学術論文を六報執筆しました。
論文出版は一筋縄にはいきません。書けたと思ったらゼロから書き直しになったり、頑張って書き上げた論文が何度もリジェクトされてしまったりする場合が。論文を書くのはブログを書くより何億倍も大変。一報の論文出版に要する労力でブログ記事を100個は作れるでしょう。
この記事では、学術論文を書き始めてから出版するまでに味わう『絶望』のあるあるを5つご紹介します。
- これから論文執筆に挑む方
- 論文執筆の実態を知りたい方
こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。

それではさっそく始めましょう!
データを集め切られたかどうかは論文を書き上げるまで分からない


論文は、実験や理論計算で得られたデータをまとめ、世の中へ公開するために記すもの。たとえどれだけ良いデータを沢山集められたとしても、論文として出版しなければ研究成果を後世に残せません。学会発表を行うだけではダメ。論文を書き、出版することで一つの仕事が終わるのです。とはいえ、研究には終わりがありません。それでも論文を書かねばなりません。よって、仕事のどこかでキリをつける必要が。適当な箇所で無理にでもひと区切りつけ、図表にまとめたデータを適切な順番に並べ替えて論文を作るのです。
前述のように、論文は書き上げるだけでもひと苦労。何万字もの文章を論理的破綻なく、簡潔に、かつ明晰に記さねばなりません。残酷なのはここからです。論文を書いていくうちにデータが足らないんだけど…と顔面蒼白になる場合が。肝心なデータが収集漏れしている影響で論文をまとめ切られません。
そう、データを集め切られたか/否かは論文をほぼ書き上げてみるまで分からないのです。論文を書く前に分かれば楽なのだけれども、重要なことほど後々になるまで分からないから厄介。論文執筆が終盤に差し掛かった頃、己の体力や気力はほとんど残っていません。実験を進めるべく腰を上げるだけでも辛い。論文に使えるだけのハイクオリティなデータを集めようとすればもっと大変。頑張って実験した挙句、欲しかったデータとは真逆の傾向を示すデータが出てくるかもしれません。ガックリきますよ。どうすんねん、コレって。大きなため息をつき、全くのゼロからデータ集めを行うしかありません。
「書く」⇔「書き直しになる」の無限ラリー


何事も自由に書けるブログ記事と違い、論文は所定の様式で、かつ適切な言い回しで記していくもの。論文には論文ならではの表現がある。それを正しく用いねば論文として認められません。当然、英誌では英語論文にふさわしい表現でもって英文を記す必要が。論文を日本語で書くだけでも難しいのに、それを英語で記すとなればなおさらハード。
指導教員はアカデミックライティングのプロ。論文や研究予算申請書を過去に何十報も出しておられます。論文を適切な表現でもってササっと記すことが可能。英文執筆だってお茶の子さいさい。プロの研究者である指導教員の目から見れば、我々学生の記す文章は分かりづらく、論文の体をなしていないらしいです。学生側がいくら頑張って原稿を書いたとしても、指導教員に笑顔で「書き直してみようか^ ^」と突き返されます。頭をひねって書き直し、もう一度見せる。やはりダメ。大量の修正箇所を指摘されて何日間も考えこむ。文章を書き直してまた見せる→修正を受ける→修正して見せる→また修正を食らう。
一つの論文を仕上げるまでに「書く」⇔「書き直しになる」のサイクルが無限に繰り返されるのです。辛すぎます。す~~~~~んごく疲れます。仕舞いには胃が痛くなって食欲が失われるほど。指導教員に論文を添削していただけるのは有難いです。ただ、何回も書き直しさせられると憂鬱になってきます。
投稿先選びで指導教員と揉める


めでたく論文原稿が仕上がりました。さて、いよいよ投稿。どの雑誌会社へ出しましょうかね。
論文投稿先は、論文の成果がどの程度インパクトがあるかによって決めます。世の中をひっくり返すようなインパクトがあるなら超一流雑誌へ。専門分野内でも卓越した成果を出せたなら一流雑誌へ。地味だけど新しい発見をしたなら標準的な格式の雑誌へ。雑誌の格式を判断する目安の一つはインパクトファクター (IF)。IFとは、雑誌に収録された論文が一報あたり、一年に何度引用されているかを示す指標です。化学系の場合、超一流雑誌はIF40オーバー、一流雑誌はIF15オーバー、標準的な雑誌はIF5~10ぐらい。 自分の投稿しようとしている論文がどれぐらい注目されそうかを見極めて投稿先を選びます。
論文原稿の内容のインパクトを測る客観的な指標はありません。全て「主観」で見極めます。論文の内容が凄いか/凄くないかを学生と指導教員で判断せねばなりません。ここでひと悶着が起こりがち。学生と指導教員との間で投稿希望先が一致せず、よく喧嘩になってしまうのです。学生側は低IFジャーナルに投稿したい。自分の研究成果がたいして凄くないのは自分でもよく分かっています。教員側は後述する都合から高IFジャーナルへの投稿を勧めてくる。学生と先生との意向が真っ向から対立するわけです。どちらも決して譲れない戦い。投稿先で揉めに揉め、人間関係がこじれてしまう可能性もあります。
学生としては、どの雑誌でも構わないから早くアクセプトされて欲しい。Natureだろうがハゲタカジャーナルだろうが、アクセプトされてしまえば出版数は一報。博士論文の提出要件や修士・博士課程でのJASSO奨学金返済免除実績に重要なのは【出版論文数】。IFは関係ありません。正直、学生からしたらIFなんかどうでも良いのです。
一方で教員サイドとしては雑誌のIFが重要。少しでもIFの高い雑誌に載った方が【自分の研究業績に箔が付く】からです。たとえどれだけ時間をかけてでも高IF雑誌へのアクセプトを狙う。学生側の気持ちなど知ったこっちゃない。所詮、自分の駒に過ぎない学生の将来なんかよりも己の出世の方が大切だから。
投稿先選びで学生側の希望が通ることもあれば、指導教員に押し切られる形でビッグジャーナルへと投稿することになる場合も。学費を「払って」大学へ行っている我々学生の意向が通らぬだなんておかしな話ですよね。
査読期間がべらぼうに長い。論文がリジェクトされる場合がある


論文は雑誌会社へ投稿後、雑誌編集者と複数の専門家らの目によってじっくりと査読されます。査読期間は短くても一か月。長い場合は半年間、ないし一年かかるケースもあるようです。IFの高い雑誌ほど査読期間が長びく傾向が。厳しいチェックを受けてようやく研究成果が日の目を浴びます。一週間ぐらいで査読が終わってくれるのなら構わないんですけれどもね。一か月も待ちっぱなしだなんてしんどいですよ。査読結果が返ってくるまでソワソワしっぱなし。査読結果が気になるがあまり、他の作業が手につきません。
何か月も待ってようやく査読結果が返ってきます。査読者が修正点を指摘してくれる場合もあれば、”掲載に値しない”と判断して『リジェクト』と言ってくるケースも。何か月も待たされた挙句、リジェクトだなんて酷すぎる… 時間を失ったショックがあまりに大きすぎて放心状態に陥ります。私自身、過去に計7回リジェクトを食らった経験が。リジェクトだけは何度食らっても慣れません。部屋の窓を開け、思い切り悪態をつき、ウィスキーを原液でガブガブ飲んでストレスを発散して心を切り替えます。



私が論文出版に関して最も嫌なのが【リジェクト】。コイツがあまりに嫌なものだから論文を書くのが嫌いになりました
雑誌会社へお金を何十万円も「払って」掲載してもらう


査読が終わり、めでたくアクセプト。論文の雑誌への掲載が決まりました。掲載に際し、お金が「必要」になります。お金を貰えるのではありません。コチラから雑誌会社へお金を「払わねば」ならないのです。一報の論文を掲載するのにウン十万円必要。Nature Communicationsなんて、一報の掲載に100万円以上も取るのです。高い出版料を出せぬが故に論文投稿を見送る研究者も現れるぐらい。研究成果物を載せてあげるのになぜお金を取られなばならぬのか分かりません。
学術雑誌以外の雑誌では、クリエイターは雑誌に寄稿したらお金を「貰え」ます。”原稿料”という名の報酬をもらえるわけです。当たり前だ。成果物を雑誌へ載せてあげるわけだから。雑誌会社は販売料で儲けを得る。雑誌を作るためにクリエイターへお金を払う。学術雑誌の世界では違います。雑誌会社は閲覧料で儲けを得つつ、論文執筆者からもお金を取る。とんでもないヤクザな商売ですね。このような仕組みを最初に考え出した人は稀代の大天才でしょう。
最後に
学術論文の執筆は、まさに絶望との戦いの連続。データが足りないことに気づく焦り。何度も繰り返される書き直しの疲労。投稿先選びでの軋轢。長い査読期間の不安。そして時にはリジェクトという大きな落胆。おまけに掲載が決まっても、何十万円もの出版料を要求される理不尽さ。
よくブログ記事を書くのと同じ感覚で論文が書けると思われがちですが、その労力は比べものになりません。一報の論文を仕上げるための苦労は、ブログ記事100本分にも相当するでしょう。
それでも私は6報の論文を書き上げました。なぜなら、この絶望的なプロセスを乗り越えることでしか成長できないことを知っているからです。苦しみながらも、一報また一報と積み重ねていく。それが研究者を目指す者の宿命なのかもしれません。これから論文執筆に挑む方々には、この「絶望との付き合い方」を知っておいていただきたいと思います。
コメント