北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D2)です。大学進学まで19年間広島に住み、札幌で8年暮らしたのち、広島の企業へのUターン就職を決めました。
大学入試で志望校を選ぶとき、「広島大学へ行こう」という選択肢はほとんど考えませんでした。高校の同級生も多くが県外志望。広島大学への進学を考えている学生は少数派だったのです。
この記事では自身の体験を踏まえ、広島出身なのに広島大学 (広大, ひろだい)へ進学しなかった理由を記していきます。
- 広島大学への進学を検討している方
- 広島大学の問題点を知りたい方
こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。
それでは早速始めましょう!
広島大学が『東』広島市にあるから
広大へ進学しなかった最大の理由は、広大のメインキャンパスが広島市に無かったから。医療系学部だけは広島市南区のキャンパスにて講義を受けられます。私の行きたかった理工学系学部は『東』広島市のキャンパスで講義が行われるのです。
広島市と『東』広島市とでは大違い。人口 (120万人 vs. 20万人)も、他都市への行きやすさ (のぞみ停車駅 vs. のぞみ通過駅)も、それに栄え方も全然違っているのです。東広島市は広島市の隣にある自治体。緑が大変豊かな田園都市です。日本有数の酒蔵があることで有名。私の祖父母も昔住んでいらっしゃいました。老後で暮らす分にはとても住みやすい街。中心部がコンパクトにまとまっていて、イオンやスーパーマーケット、ホームセンターに病院など必要な施設はひと通り揃っています。活力旺盛な10~20代の大学生活を東広島で送るのは厳しい。いかんせん遊ぶ場所が無く、遊びたければ電車に乗って広島市まで出なければなりません。
広大は東広島市の中心駅・JR西条駅からキャンパスまでバスでおよそ20分。東広島の中でも比較的何もない地域にキャンパスがあるのです。
高校生時代に一度、広大を見に行ったことが。広大の周りがあまりに寂しすぎて絶句しました。西条駅から出発した乗り合いバスがどんどん山奥に向かっていく。田んぼだらけの場所で「次は広大前~」と言われて降ろされた時のショックたるや。進学するなら都心部に近い大学へ進学したいと考えていました。東京や神奈川ほどの大都会まで大きくないにしても、隣に山や畑のある広大は流石に田舎すぎてしんどかったのです。
広大へ進学しようと思わなかったのは立地があまりに悪すぎたから。せめて理工系キャンパスが広島市にあれば進学を考えたのだけれども、東広島市はさすがにちょっとなぁ…と。
広大も事態を重く捉えたのでしょうか。キャンパスを徐々に広島都心部へ移転する動きがみられます。まずは文系学部(初っ端は法学部)から移し、そののち理系学部を移転させるようです。もともと広大は広島都心部にキャンパスがあった大学。昔の場所から移転しなければよかったのに、どうしてわざわざド田舎へ引っ越して求心力を低下させてしまったのでしょう。
実家から毎日片道1時間の電車通学をするのは厳しかったから
広大に進学した場合、大学へは実家からの電車通学となることが必定。家の最寄り駅から西条駅までは山陽本線でおよそ40分。西条駅から広大まではバスで約20分。つまり片道1時間、往復すれば2時間もの時間を移動に割かねばなりません。
楽しい大学生活を送りたいと考えたとき、この2時間ものタイムロスは受け入れられませんでした。毎日こんなにも長い時間が潰れるだなんてちょっと耐えられません。家と大学がこれほどまでに遠ければ、大学の近くに住んでいる友人たちと夜遅くまで遊ぶのも難しいでしょう。かといって勉強に集中しようにも、一日2時間も机に向かって勉強する時間が失われては勉強さえままならない。家と大学とをロボットのように往復するだけの4年間になりそうでした。コレって本当に楽しいのでしょうか?広大で4年間も過ごしたところで学位以外に何を得られるのか分かりませんでした。
もう少し難しい大学を狙えそうだったから。旧帝大ではなかったから
広大理工系学部の受験難度は国立大学の上位レベル。”中堅以上-旧帝国大学 (旧帝大) 未満”といった感じ。河合塾の発表する偏差値でいえばおよそ55程度。名前を書けば入れるほど簡単ではなく、かといって目指すのを尻込むほどの難関というワケでもない。広島の中ではNo.1の大学。中四国の国立大学の中でも一番の難関大学です。
幸か不幸か、中三あたりから学校での成績が爆伸びし始めました。テストの総合順位が学年270人中200位から21位、15位、そして4位までトントン拍子で上がっていったのです。模擬試験での偏差値も上昇。河合塾模試の偏差値で65を切ることは滅多に無かったような記憶が。正直、広大よりも2ランクぐらい難しい大学が合格射程圏内にありました。東北大学や名古屋大学、あわよくば京都大学にも手が届きそうな成績。
難関大には厳しい入試を突破してきた頭の良い学友がたくさん居ます。賢い連中と知り合い、仲良くなることで自身の価値観の変革や精神面の飛躍的成長に繋げられるのです。私が広大へ進学した場合、在籍学科の中で最も賢い人間になりかねません。誰と喋っても刺激を味わえなくて「全然面白くないなぁ…」と物足らなさを覚えるに違いないでしょう。大海を知らない井の中の蛙になってしまうかも。向上心を持たず、性格は傲慢になり、四年間でほとんど成長を見込めないでしょう。であれば広大よりも難しい大学へ行った方が良い。幸い、旧帝大へ行けそうな成績を取っているのだから、無理して広大へ進学する必要は無いのではないかと考えました。
広大は旧師範学校。学校の先生を育成する教育学部は全国屈指の名門学部。創立は1949年。戦後に作られた大学ですから旧帝大ではありません。旧帝大と旧帝大以外とでは配られる研究予算の規模が段違い。私の行きたかった理工系学部の場合、予算額が多ければ多いほど研究の自由度が上がる傾向が。つまり、広大へ行くよりも旧帝大へ行った方が研究をより快適に進めやすいのです。実験試料の調達や解析装置の更新等も旧帝大の方が遥かに恵まれているはずでしょう。数年後、大学で研究する場面を想像した際、少しでも自由に研究できた方が楽しいのではないかと感じました。広大へ行っても最低限の研究はできるでしょう。より良い環境へ行けるチャンスが目の前に転がっていた以上、恵まれている研究環境を選んで将来を明るくしたかったのです。
一度広島の外に出てみて広島を客観的に見てみたかったから
私は広島で生まれて広島に育てられた、広島が好きで好きでたまらない生粋の広島っ子。広島の何もかもが好き。空気も水も、景色も食べ物も、スポーツも、熱い県民性も、その全てが大好きなのです。私の前でお好み焼きを「広島風」と称しようものなら、”ふ”の音が耳に届いた瞬間に「おいっ(怒)!」と無慈悲に怒りの鉄槌を振り下ろします。金正恩同志よりも無慈悲に下ろす。手加減は一切しませんよ。容赦なく鉄槌を振り下ろして相手の頭蓋骨を粉砕骨折させてみせる。
大学も広島の大学へ行っても構いませんでした。しかし、「どうせなら大学だけは県外に出ても良いのではないか?」と考えました。広島を遠くから眺めてみれば広島の魅力を客観的に捉えられるでしょう。離れる距離は物理的に遠ければ遠いほど良い。理想は沖縄、もしくは北海道まで離れてみること。県外から広島を眺めてみたとき、広島の中で感じた魅力を改めて強く感じるかもしれません。その反対に、(確かにこれは嫌かもしれないな…)と広島の良くない面にも気付くかもしれません。広島の光陰両方の一面を観察し、「それでも広島が好きだ!!」と言えるのならUターン就職すればいい。「やっぱ広島より他の場所がいいな…」と感じたら他の場所で働くべきでしょう。
いずれにせよ、広島を客観視するには広島を一度離れなければいけませんでした。広大へ通うわけにはどうしてもいかなかったのです。
最後に
広島県出身なのに広島大学へ進学しなかった理由はコレで以上。まとめると、
- 広大が東広島市にあるから。立地が悪すぎて行く気になれなかった
- 実家から通える範囲にあるが、あまりに遠すぎて進学が現実的ではなかったから
- 自分の成績的にもう少しハイレベルの大学を狙えそうだったから
- 一度広島から出てみて広島を客観視して見たかったから
このような形になります。
大学・大学院と8年札幌で過ごし、最終的には広島へのUターン就職を決めました。Uターン就職しようと思った理由が気になる方は以下の記事をご覧ください⇩
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