大学院博士課程で自身の能力に限界を感じた3つの場面【もう無理】

札幌と筑波で電池材料を研究している北大化学系大学院生かめ (D2)です。大学院博士課程で自身の能力に限界を感じ、博士修了後、民間企業へ就職することに決めました。

この記事では、博士課程在学中にどのような場面で限界を感じたかについて述べます。

  • 博士課程への進学を考えている方
  • 博士課程修了後の進路を検討している方

こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。

かめ

それでは早速始めていきます

目次

【研究】自分の過去研究と似たような研究のネタしか思いつかない

一つ目の限界は研究について。博士修了のため論文を何報も書いていくにつれ、少しずつアイディアの源泉が枯渇していき、やがて目新しい研究をほとんど何も思い付けなくなってしまったのです。

自身の過去研究をマイナーチェンジするぐらいなら私にだって可能。試料と条件の組み合わせ方は無限大。実験試料を変えたり実験条件をいじくったりといった風に何か変えるだけで新発見があるかもしれません。私が出来なくなってしまったのは研究のメジャーアップデート。研究の構想から一新し、全くのゼロからオリジナルな研究を打ち立てる『抜本的改革』ができなくなってしまいました。狭い研究室の中だけに長期間閉じこもっていた結果、頭が凝り固まり、似たような思考回路しか辿れなくなったが所以。研究室外の世界へ出るといっても学会ぐらいしか機会が無いし、学会でもどこかで見たような発表ばかりで頭へ創造的な刺激が入りません。

大学の助教職や国研の研究職に応募しようとする場合、自ら考案したオリジナルなアイディアでもって研究計画を作り、プレゼンする必要が。その際、自身の過去研究を引き続き行うのはあまり推奨されていません。なるべく斬新で目新しい研究テーマを持って行って喋らなければならないのです。審査員の記憶に残るような面白い研究計画を発表できた者から順に採用される世界。もちろん、過去の研究業績も大切に違いありません。しかし、今後の研究計画のアイディアが面白ければ面白いほど良いに越したことはないでしょう。まだ世界の誰も思い付いた事のないアイディアでもって研究をデザインしなくてはならない。研究者を志望するならそれが朝飯前にできなければ生きていけません。

残念なことに、私は博士課程にてアイディアの源泉を枯渇させてしまいました。国研の研究職応募に必要なA4用紙数枚分の研究計画を作れなかったのです。何かひと文字でも書こうと試みたって書けませんでした。如何せん、アイディアが降って来ないのです。学振DC1申請時にはまだまだ沢山のやりたい研究が残っていました。あまりにやりたいことが多すぎて、内容の絞り込みに苦戦していたぐらい。D2後期の今は、M2前期の頃と状況がまるで異なります。やりたいことが何もありません。「やりたいことを何でも記していいよ!」と言われても途方に暮れるだけ。ひょっとすると、博士課程の間に研究を頑張りすぎた結果、やりたい研究を大方やり尽くしてしまったのかも。わざわざ研究職に就いてまでしたい研究が自分の中にはもう残っていません。アイディアの源泉を復活させようとしても無理。ココが自分の限界なのかな…と悟り、民間就職へと舵を切りました。

【国研公募】どれだけ研究を頑張っても、ポストが空かない限りは常勤職に就けない

私が目指していた国研職はそもそも、コチラ側がいくら”就きたい!”と切望していても就職が難しい状態でした。大学と同様、国研にもポストの数の問題があるためです。

研究設備や高給の揃った国研の公募には、毎年、多くの研究者が職を求めて集まってきます。競争倍率は5~10倍程度。博士課程修了直後のピチピチな若手研究者もいれば、海外で何年もポスドクをやってきた凄腕の研究者さんもいらっしゃる。私が国研で職を得ようとするならば、彼らのうちの大多数を押しのけられるだけの際立った強みが必要。業績然り、トーク力然り、研究計画の面白さもまた然り。

仮に公募の競争へ打ち勝てたとしましょう。それでも乗り越えるべき課題がまだ残っています。研究グループの中に空席がなければ正規職員として採用してもらえません。空きがあって初めて着任できる。空きがなければ、空くのを待ってその組織内でポスドクになるか、あるいは椅子の空いていそうな別の組織へ職を求めに行かねばなりません。ポスドク任期終了時までに目当てのポストへ空きが生じるとは限りません。むしろ、生じない場合の方が多いのです。椅子が空くのを待っているだけで簡単に2~3年が経ちます。それでも椅子が開かなかった場合は別の組織へ移動するしかありません。最終的に正規職へ就ける人は少数。大半が正規職に就けず、仕方なく民間企業へと活躍の場を求めに行っている状態です。

私が配属を希望していたグループには空きがありませんでした。グループへ在籍している研究者の年齢層的にも当分の間は空きが生じなさそうな状態。コレはおそらくポストの空きを待っても無駄そう。ポストの空きを待っても時間の無駄に終わり、「何であのときあの決断を下したのだろう…」と頭を抱えかねません。M2の終わりには国研への就職を断念。博士課程在籍中もグループの様子を常にうかがうも、空きの生じる様子が見えなかったため企業就職へと舵を切りました。

博士修了直後に大学や国研でポストを得られるか否かは運に大きく左右されます。コチラの努力ではどうにもならぬ、実力以外の側面も重要になってくるのです。最近では『女性枠』なるものもできましたね。女子に生まれなかったというだけで研究者になれる確率がガクンと下がる理不尽な世の中。研究者になるには運とめぐり合わせの2つが必要。2つが揃って初めてなれる高嶺の花の職業が研究者。私には到底手が届かぬ別世界。研究者になれる方は本当にすごい。心の底から尊敬します。

【語学力】ネイティヴと同じレベルで英語を扱うのは絶対に無理

D1の10月から1月中旬まで、3か月半、イギリスのオックスフォード大学へ研究留学に行ってきました。オックスフォードでは別記事1にも記したような目も当てられない悲惨な目に遭ったわけですが、英語力の問題に比べれば諸々のトラブルは大したことがありません。

オックスフォードには世界中で一番賢い学生が大勢集まります。学問のことや日常の些細な出来事について闊達に議論を交わしていました。イギリス人よりも留学生の方が圧倒的に多かった印象。留学生の喋る英語が驚くほどペラペラで上手だったのです。忖度抜きでめちゃくちゃ聴き取りやすかった。しかも、私のレベルに合わせて語彙の難度を調整してくれ、おかげで私でさえ会話について行けました。

そんな留学生の英語力の数段上を行くのが現地のイギリス人。喋る速度の速さはもちろんのこと、語彙の豊饒さ、ユーモアの効き具合、話題の幅広さなどどれを取っても凄かった。それもそのはず。彼らは我々が日本語を扱っているような感覚で英語を使えるのですから。小さい頃から英語漬けの日々を送るとこんなに英語が話せるようになるのですね。嫉妬を通り越して感動しました。彼らには絶対に英語力では敵わないと嫌というほど思い知らされましたよ。日本人がいくら英語を懸命に勉強してもネイティヴレベルには達しません。無理です。彼らはまるで次元が違います。幼少期から中学卒業まで10年ぐらいイギリスで過ごすぐらいじゃなければネイティヴ感覚で英語を使えません。今から必死こいて勉強して到達できるレベルじゃないのです。

我々日本人大学院生は中学以来、英語に15年近く触れてきたはずなのです。その成果がコレですか。何のために英語をやってきたのやらと悲しくなってしまいました。英語をある程度流暢に使えなければ国際的に活躍する研究者にはなれません。自分は英語がヘタクソである以上、いくら研究者になりたかろうとも素質がないからなれないのです。いや、そもそも私が研究者になってはダメ。私が海外でヘタクソな英語を喋れば喋るほど日本の品格を貶めてしまいますから。

イギリス人の高い英語力を前にして悟りを開きました。 英語の勉強は大切だけれども、それ以上に日本語や教養の勉強の方が大切彼らには英語力で歯が立たない分、話す言葉の論理や内容で勝負を挑むべき。どれだけ英語の勉強をしてもTOEIC800超えがやっとの自分が、これ以上、英語を勉強してもあまり意味がありません。だったら勉強するのは英語ではなく、英語を使って話せる内容の幅を広げてくれるものであるべきじゃないか?英語「を」話すのはヘタクソかもしれない。吃音気味の気質も手伝ってなかなか流暢に話せません。英語「で」話す内容ぐらいはなるべく豊かにしたい。聞く価値のある内容を話すことで”コイツの英語はヘタクソだけれども聴く価値はあるぞ”と思わせたい。世界トップクラスの大学に通う学生といえども読書離れが始まっているそう。私は彼らよりも多くの本を読み、教養の量と幅で勝負していきたいです。

最後に

大学院博士課程で自身の能力に限界を感じた3つの場面についてはコレで以上。博士進学を検討していらっしゃる方や博士課程について知りたい方の参考になれば幸いです。

参考記事

  1. 週刊オックスフォード最終回 不本意な形での帰国。この留学を自身の将来にどう活かすか【打倒・オックスフォード↩︎

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