北大と国研で研究している化学系大学院生かめです。2017年4月に北大総合理系へ次席入学し、学部・修士・博士と北大へ八年間在籍してきました。
高校時代は進路で迷いに迷いました。理学部へ行こうと思ったこともあれば、農学部と工学部とで右往左往し続けた時期もあります。結局は工学部の化学系に進学しました。その決断に何ら後悔はありません。
自らの進路選択を振り返ってみて一貫しているものを見出しました。「医学部医学科」だけには行きたくない。これだけはずっと変わっていなかったのです。医学科といえば人気の受験先。成績の高い連中がこぞって受験して医者になろうとしています。私は医者に対して憧れの気持ちを抱いたことがありません。この記事では、文章を記しながら、医学部医学科へ行きたくなかった理由を考察してみました。

それでは早速始めましょう!
血や生ものを眺めるのが苦手だから


昔からおどろおどろしいものが苦手でした。血液や動物の死体を見た瞬間から吐き気が止まらなくなってくるのです。何というか、生理的に受け付けません。何度見ても全然慣れないのです。
血液に対する苦手意識は払拭されました。北大進学後、60回近く献血へ行って、自らの血液をボーっと眺めているうちに吐き気がしなくなったのです。血液なんてただの赤茶色な液体。「大丈夫大丈夫、怖くないぞ~」と自らへ言い聞かせてているうちに慣れました。死体には未だに慣れませんね。見た瞬間に目を背けてしまいます。車に轢かれた狸の死体など見ようものならその場でゲロを吐くでしょう。一両日中に食べたものを全て余すことなく吐ききる自信があります。
子供の頃、家でメダカを飼っていました。ある朝、一匹がお腹を水面に向けて絶命しているのを見たとき、あやうく気を失って泡を吹きそうに。それがトラウマになって、今でもスーパーの海鮮コーナーへなかなか近づけません。刺身なら大丈夫。魚一本丸々販売しているような場所は必ず迂回して通ります。
生ものの観察が得意でない以上、医学部医学科へ行ってもやっていけるわけがありません。医学科は人間の汚い所を扱う学部。耐えられるとは到底思えませんでした。まずは生物の講義で吐くでしょう。教科書を開くたびに吐くのではないでしょうか。次に解剖実習で吐き散らかします。さらに、外科を見て回る段になって、残りのゲロを全部吐き出すに違いありません。生もの耐性が弱い私は、生物を扱わない学部へ行く方が得策です。だから私は工学部を、中でもグロくない学科を注意して選びました。
人が苦しめば苦しむほど儲かる職業に就くのは嫌だったから


医学部医学科が人気な理由は、医者になると高給取りになれるから。昨今の情報系学科人気の理由も一緒。卒業したら高い給与を受け取れる分野の人気が高まっています。
情報系職種はまだ良いのです。彼らの属する情報系産業が栄えれば栄えるほど社会が豊かになりますから。IT産業は社会へ富を生み出しています。暗号技術や人工知能、ビッグデータ解析技術の発達などは社会をより良くしてくれるでしょう。情報系人材が儲かる社会は、今よりもきっと豊かな社会。他の学問分野も一緒。私のような化学系人材の懐が潤う未来も豊かに違いありません。
医学系職種は事情が少々異なります。彼らが豊かになったからといって、必ずしも人類全体が豊かになるとは限りません。
研究医は豊かになっても良いのです。日々の研究で新たな治療法を編み出してくれれば病気で困る人間が減るでしょう。患者と接する臨床医は、豊かになるのを目指してはいけないのではないでしょうか(*あくまで持論です)。彼らが栄えるのは即ち、病気で困る人間が増えていっていることを間接的に表しています。医療クリニックが繁盛するのは、病気で苦しむ人が大勢いるとき。人々の幸福度が低いときに医者は逆に豊かになっていくのです。
医者って何だか嫌な職業だなと感じました。苦しむ人が増えれば増えるほど自分の懐が肥えていくお仕事。仮に自分が医者になったとしたら、開業して儲かっても複雑な気持ちになるでしょう。病人の方の苦しみと引き換えに報酬を受け取るやるせなさに苦しまされるはず。お医者さんは、働いていて楽しいのでしょうか。儲けを得られるから楽しくて仕方がないのかな。
もちろん、医者の方々には崇高な大義があります。彼らの使命は、病気で困っている人を治療して笑顔にすること。私、常々思うことがあるんですよ。医療界が目指すべきは、人間が病気で苦しまぬよう予防医療を発達させることではありませんか?どうして病気を治す前提で話を組み立てるのでしょう。そもそも病気になる人の数自体を減らせばいいのに。儲けを得る前提で医者になるのは正しいのでしょうか。そこに医療職の大義はありますか?
医学科で学べば性格がねじ曲がりそうに思えたから


高校や予備校で医学部医学科を目指す連中は大勢いました。理系コースの3割ぐらいが医学科志望だったんじゃないかな。自分は医者になる気などサラサラありませんでした。多くの人々が医学科を志望したがる動機がまるで想像もつきません。高校生の頃、医学科志望の同級生に志望理由をそれとなく尋ねてみました。彼らの大半はお金目当て。医者になってお金を稼いで嬉しい思いをするため、必死になって勉強を頑張っていたそうです。
お金を儲けたい気持ちにフタをする必要はありません。そういう気持ちは持っていて構わないのです。それよりも大きな問題点は、彼らに人命を救う気概が見られなかった所。人の命よりも自らの懐の方が大事。患者さんよりも自分の欲望へと目を向ける人が多かったのです。医学科志望者の中には、私に難癖をつけてボコボコに殴ってきた人間もいました。(こんな奴が医者になろうとするのか…)とおぞましくなってきたのです。
医学部医学科は、入試で高得点を取れて、面接でそつなく回答できれば合格できるようになっています。受験者に誰かをいじめた経験があろうがなかろうが関係ありません。頭さえ良ければ通ってしまうシステムです。良くも悪くも公平にできていますね。要領の良いヤツは、面接のスクリーニングなど苦もなくパスできるでしょう。医学に対する志が皆無でも成績次第で医学生になれてしまいます。
自分が仮に医学科へ進学した場合、お金儲けで医者になりたいヤツらと一緒に六年間も勉強しなければなりませんでした。彼らと日常会話を交わすうちに自分まで金銭の奴隷になってしまったかもしれません。真っ当な医者になる自信はない。おそらくどこかで性格がねじ曲がってしまったはずです。コロナ騒動中にテレビへ毎日出演していた医学教授をご覧下さい。他の産業に対して平気で「不要不急」と烙印を押していました。ああしたプライドの高い、世間知らずの大人たちと六年間も接するのが医学科。行きたいどころか、行きたくなかった。最初から志望度が地の果てまで低かったのも道理です。
最後に
医学部医学科を避けた私の選択には、三つの明確な理由がありました。生物を扱う講義や実習への不安。人の苦しみと引き換えに富を得る医療界特有の構造への違和感。同級生たちの志望動機に感じた根本的な違和感。様々な要素が絡み合い、私は医学部医学科から自然と遠ざかっていったのです。
医療界の収益構造は、私の価値観を大きく揺さぶりました。一般的な理系産業分野が発展すれば社会全体が豊かになるでしょう。一方で、医療分野では患者の苦しみが増すほど、医療従事者の懐が潤う逆説的な現実がありました。医療には、病に苦しむ人々を救うという本来の使命があるはず。理想を言えば、予防医療を発展させ、病に苦しむ人の数自体を減らしていく方向性を目指すべきだと考えています。
高校時代、周囲の医学科志望者たちの多くが、崇高な使命よりも金銭的な動機を優先している姿を目の当たりにしました。医師という職業の本質を見失った仲間たちと六年間を過ごせば、私の価値観も歪んでいたかもしれません。振り返れば、工学部化学系を選んだ判断は、私の適性と価値観に素直な選択でした。進路選択で迷いながらも、医学科だけは選択肢から外し続けた決断に誇りを持っています。
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