研究室配属されたB4から研究室を出るD2までの五年間で筆頭論文を七報記しました。一報目が出版されたのはB4の3月。学部生の間に国際誌にて論文出版までこぎつけられたのです。
論文出版まで至る学部生は希少種。その生態はあまりよく知られていません。意欲ある学部生の中には、論文出版に野心を抱く方が居られるはず。ロールモデルがいないことには、学部生のうちの論文出版に現実味を感じられませんよね。
そこでこの記事では、学部四年次の3月に国際誌にて筆頭論文がアクセプトされたB4後期の一部始終を記しました。論文出版を狙う学部生に参考となる内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
特集号発行を知る


10月下旬に指導教員から呼び出しを食らった。何かやらかしてしまったかな。思い当たる節はないけれども。おそるおそる先生のお部屋へ。そこには、満面の笑みで先生が待っていた。コレは絶対に何かやらかしたヤツだ。しかも無自覚に!自分、何をやった?思い出せ!指摘される前に思い返せ!



ねぇねぇ、



はいっ!
いったい何を言われるのだろう。



今年度中に論文を出してみない?
ん?説教じゃなかったのか。論文?いったい何の話だろう。



…どういうことでしょうか?



今度、ある雑誌が特集号を発行するんだって。特集号に投稿すればほぼ確実にアクセプトされるんだけど、出してみない?挑戦してみない?



します!
頭で考えるよりも先に口から勢いよく返事をしていた。



よし!分かった
じゃあこれから頑張ろう



…何を?
今から何が始まるやらサッパリ分からない。特集号?論文?アクセプト…?果たしてこのおっちゃんは何を言っているのだろう。何だか大変なことが始まりそうな危機的予感がプンプンするぞ。ついつい勢いでYesと答えてしまった。やっぱりやめておこうかな。まだ引き返せるかも…



実験道具の手配をしておくね!
じゃ、実験頑張って👍
時すでに遅し。引き返せなかった。
投稿ターゲットはIF3.8の標準的雑誌。1月初旬までに投稿すれば特集号の出版に間に合うらしい。論文投稿まで残り二ヶ月半。データはゼロ。執筆経験もゼロ。全力で走り切って間に合うかどうか、といった所か。Yesと言ったからには頑張るしかない。
自分の実験は筑波の国研でしか行えない。論文投稿予定が決まったからといって直ちに実験を始められるわけではない。実験開始は三週間後。国研滞在期間は三週間。一報の論文を記すのに必要なデータをB4が三週間で集め切らねばならない。難しいとか困難とかいったレベルではない。人間を辞めるぐらいの勢いでいかなきゃデータを揃えられない。とりあえず実験計画だけ組み立てた。筑波到着後、計画がうまく進捗するのをただ祈るばかりだった…
いざ実験!順調に進んでいたはずが…


順調そのものな実験
11月中旬から筑波で実験に着手。事前に作った計画通りに粛々と作業を進めていく。
到着初日は実験セルの大量製造。三週間の滞在期間中に使うであろう100個以上のセルを組み立てておいた。この作業を最初にやっておくと後からスムーズに実験を行っていける。面倒な作業だ。手が疲れてたまらない。やるしかない。やらなきゃ論文を記せない。
実験はすこぶる順調に進んだ。予想していたトラブルは何ひとつ起こらなかった。恐ろしい高速ペースでデータが揃っていく。二週間目の終わりにして早くもデータを揃えられた。理論値と実験値の誤差は僅か。データを取り直す必要すらないぐらいビタビタに揃っている。データ集めってこんなにも楽なのか。なんてことはない。あっという間に集め切られたじゃないか。まだあと一週間も残っている。追加実験でもやっておこうかな。論文を豪華に彩るために。
三週間目。国研滞在最終週。今週でつくば生活もおしまいか。短かったな。でもすごく楽しかった。データを集められたし、実験は面白かったし、国研のおっちゃんたちは皆いい人だったし。
悲劇
事態が暗転したのは三週目の水曜早朝。
国研では共同研究者さんと適宜やり取りしつつ実験を進めていっていた。一週目の金曜に進捗報告を行い、「順調そうだね。続けていこう♪」とのアドバイスを受けた。三週目の水曜に二度目の進捗報告。グラフにまとめたデータを共同研究者さんがジーっと凝視する。私の渾身のデータである。素晴らしいですか。見惚れるほど素晴らしいですか^ ^。喜々として共同研究者さんのリアクションを待つ。1分ほどしてお言葉が返ってきた。



あれっ、何だかおかしくない?
…何が?どこに不自然な点が?



理論値の出し方がおかしくない?
ちょっと算出式を見せてくれない?
理論値の出し方が、おかしいだと…?そんなはずはない。テキストで何度も確認したぞ。電卓やExcelで検算した。間違うはずがない。合っているに決まっているだろ…… あれっ、やっぱりおかしいわ。うわっ!!物性値の正負を逆にして計算していた。どうしてこんな単純なミスをしたのだろう。言われるまで気付かなかった。共同研究者さん、ありがとうございます。
でも、どうして”誤った”理論値と実験値が整合してしまったのだろう。実験値が変になる要素なんてどこにも見当たらぬはずだけれども…



ねぇねぇ、実験セルってどうやって作ってる?



かくかくしかじか



うわぁ…それだとマズいね。おそらく、セルの作り方が違ったから変なデータばかりが出てきたんだろうね



気付きませんでした…
どうやら実験セルの作り方も間違っていたらしい。理論値と実験値が揃ったのは偶然のたまものだった。理論値の算出法を間違えていれば、実験値の収集法まで失敗していた。何もかもを間違えてしまった。今まで集めたデータは全てゴミデータだったのか。



まぁ、今回の論文投稿は見送ろうかな…
ミスに気付くのが遅れてごめんね…
敗戦ムード一色である。誰もがもう無理だと思っていた。
起死回生
論文出版のチャンスがある。出せば確実に通る絶好機。実験試料は手元にある。正しい理論値算出法を教わって頭に刻み込んだ。作り貯めしていた実験セルだって解体して組み直すことが可能。おまけに札幌へ帰るまでにあと三日ある。
どうしても諦めたくなかった。まだ三日もある。やってやれないことはないだろう。指導教員が私を信頼して託してくれた論文投稿のチャンス。そう易々と逃してたまるかってんだ。みんなが諦めても自分だけは諦めない。札幌に帰る直前まで実験を続けてデータを集め切ってみせる。
進捗報告までに集めた全データを削除。パソコンの中へ新たにファイルを作り、そこへデータを詰め込んで北大に帰ろうと決心。残り三日間、休憩時間を返上して実験し続けた。一日12時間はラボに居たかもしれない。太陽が昇る前にラボで用意に取り掛かった。日が沈み、大半の研究者さんが帰って以降も、納得する成果が出るまで実験した。
尋常ならざる集中力のおかげか、実験成功率が飛躍的に高まっていた。平時の4~5倍はうまくいっていた。成功率がこれだけ高いと研究が著しく加速していく。実験をやればやるほど有益なデータが貯まっていって、あっという間にデータを集め切った。最後の実験は帰札前夜の19時。データ収集を終えられた達成感と安堵感とで不意に涙がこぼれ落ちた。
右も左も分からぬまま論文執筆


データを集め切るのはひと苦労だった。データをまとめるのも同じぐらい大変だった。
論文を書けと言われるのまではいい。注文通りにデータを集めてきたぞ。これを素材に論文を書けばいいんだろう。さぁ、書こう!分かった。でも、ちょっと待ってくれ。論文はどこから書き始めればいいんだ。論文には文章が載っている。要旨やイントロ、ディスカッション等、どの論文にも長々とよく分からぬ話が書き綴られている。そういえば参考文献も載せるんだっけ。えっと…どの論文を引用すればいいんだろう。
どなたか先輩に書き方を尋ねようにも、先輩は一人を除いて学術論文を書いたことがない。唯一の執筆経験者は直属の先輩だ。頼りになるわぁ。先輩の偉大さを感じるのはこういう時なのだろう。しかし、その先輩も研究室に居ないことが多かった。先輩はM2。民間企業への就職が決まっている。M2の12月や1月なんて、遊び回りたいに決まっている。あと少しで会社員生活が始まる。その前に少しでも羽を伸ばしておきたいのが人情だ。
直属の先輩も頼りにならぬと分かった。こうなったらもう、自分ひとりで何とかするしかない。論文の書き方も引用文献の発掘法も全て自分のアタマで考えた。グラフを作る。考察する。文章に起こす。イントロを拵える。何となく良さげな文献を引っ張ってくる。一応、独力でも形にはなった。
成果物を指導教員に見せた。「よく一人で頑張ったね~」と驚嘆していた。先生に添削をお願いする。数日後、真っ赤になって返ってきた。めげずに再度修正して添削を依頼。今度はOKとの判断。よし!これで投稿できる。
1月6日。提出期限ギリギリに投稿した。間に合った… どうなることかと思ったけれども、何とか間に合わせられた。
査読対応、そしてアクセプトへ


特集号でも査読は行われる。特集号はアクセプト前提の査読。そうはいっても、査読の質を落とせばレベルの低い論文ばかりが掲載されてしまう。査読で論文をガツンと叩いておく。執筆チームに加筆修正を求め、良質になった論文だけをアクセプトして掲載させるわけだ。
投稿から一か月半後に査読コメントが返ってきた。メジャーリビジョン。大幅修正が必要だそう。B4相手とはいえ査読に容赦はない。弱点を次から次へと的確に指摘されて思わず泡を吹きそうになった。何やらよく分からない専門用語が羅列されている。返答したのだが、どう応対すればいいのか分からない。
指導教員に対応を仰ぐ。



こういうのはね、
じっくり考えれば答え方が分かってくるよ
との有難いお言葉をいただいた。全然参考にならないんだけど。何を問われているの?それに対してどう答えればいいの?分かんないよ。もう少し助けてくれてもいいと思うんだけど。でも、自分ひとりで何とかするしかないんだよね。誰も手を差し伸べてくれぬのならば、己の能力を全力で拡張して目の前の事態に対処していくほかはない。
当時はまだ生成型AIが登場していなかった。論文執筆も査読対応も自分の力で応対するしかなかった。査読者のコメントを理解できるまで読み込む。相手が何を言おうとしているのか、テキストを開いて検討を加速。分かったらすぐにアタマで返答を考え始める。検討に検討を重ね、アクセプトされるよう慎重に返答の言葉選びを行っていく…
査読返答期限一週間前に返答原稿が出来上がった。指導教員に添削していただく。それから投稿。今度は一週間で返事が来た。「アクセプト」だそう。ようやく戦いが終わったようだ。
指導教員と国研の共同研究者さんから祝福のお言葉を賜った。本当に良かった。一時はどうなることかと思った。データ集めは頓挫するわ、論文の書き方は分からないわ、査読者がちょっと何を言っているのか分からないわ… 全てを乗り越えてアクセプトにこぎつけた。研究室開設史上初の学部生筆頭論文出版者、ここに誕生。
最後に
論文執筆の打診を受けてから、アクセプトまでの道のりは波乱に満ちていました。
実験開始直後は順調な滑り出し。一週間を残してデータを集め切られたのです。しかし、理論値の算出と実験セルの作製に致命的な誤りが見つかってしまいます。自分以外は投稿を諦めようとしていました。あと3日しかない。諦めて当然です。しかし、自分だけは諦めませんでした。全データを白紙に戻しての再挑戦を決意。研究者としての執念と集中力が試される瞬間となりました。一日12時間以上、実験に没頭。自分でも驚くほど高い成功率でデータを揃えられたのです。
論文執筆は孤独との戦いでした。執筆経験者の少ない環境で、手探りの日々が始まります。試行錯誤を重ねて原稿を形にしていきました。指導教員の添削を受けながら、投稿までたどり着いたのでした。査読では専門用語の羅列に戸惑う場面が続きます。相手が何を言っているのか考えつつ、苦心して返答を考え出しました。そしてついに、アクセプトの朗報を手中にできたのです。
学部時代の論文執筆を通して、予期せぬ困難に直面しても諦めない「強い意志の大切さ」を学びました。今後、私と同様に論文出版へ挑戦する学部生の皆さんには、私の体験記がひとつの道標になれば幸いです。


















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