広島在住サラリーマン研究者かめです。北大博士課程を一年短縮して早期修了しました。
博士課程では様々なトラブルに見舞われました。研究が一年間ストップしたり、海外留学先で大変な目に遭って何の収穫も得られず帰ってきたり。D進前から意識していた飛び級。一時はほとんど諦めかけていたほど。厳しい業績要件を超えて早期修了できて良かったです。早期修了できたことを一生誇りにして生きていくでしょう。
もしも早期修了できていなければどうなっていたか。飛び級を諦めかけたとき、本当に諦め、三年での修了に切り替えていたらどうなっていたか。人生に「もしも」はありません。数多の選択肢からひとつだけを選び続けるのが人生ですから。空想を広げるのは自由。”もしもあのとき○○していればどうだったか”と考えるのも面白いです。
この記事では、仮に博士課程早期修了に失敗していたらどうなっていたか考えてみました。早期修了に挑戦中の方や、早期修了しようか検討を加速している方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
確実にうつ病が悪化していた


もともとメンタルは弱い方です。ほんの些細なアクシデントでも胸を刺し貫かれるような鋭い痛みがしました。研究室生活はハプニングの連続。予期せぬ事態が嵐のように押し寄せます。ただ過ごしているだけでメンタルが疲労困憊に。辛くても頑張らなければ成果を出せないから歯を食いしばって耐えてきました。
公聴会の二週間前、うつ病の初期症状が出てきました。アクシデントに見舞われていないにもかかわらず「辛い、死にたい、生きている意味がない」と絶望的な精神状態に陥ったのです。休みたくても休めない日々。失敗が許されない学位審査会を前にして極度の緊張状態を保っていました。メンタルがもう限界だったのでしょう。”早く休ませてくれ”と悲鳴を上げていました。「あと二週間だから頑張ろう…!」と奮起。限界寸前のボロボロな心身でどうにか公聴会を乗り越えました。
めでたく早期修了に成功したわけです。普通なら解放感で喜びの声を上げるはず。
私はといったら、喜びの正反対。公聴会翌日からうつ病の症状が顕在化しました。全てをやり終えて気が抜けたのでしょう。B4からD2までの五年分の心労が表に出てきたのです。何もする気が起こらぬほどグッタリしました。論文を読んでも目が文字を上滑りする。旅行へ繰り出したくても国内旅行で精一杯だった。
もしも早期修了に失敗し、研究をもう一年続けていたらどうなっていたか。メンタルへ強烈な負荷がかけられ続けて、早晩、精神崩壊していたに違いありません。D3の前期はまだどうにかなったでしょう。予備審査と公聴会の足音が聞こえてきた途端にメンタルが崩れてしまったかも。本格的なうつ病症状に苦しめられていたはず。メンタルブレイク後も研究は可能。会社員として働けるだけの精神状態に戻せた自信はありません。
研究はほとんど進展していなかったかも


私の実験で主に使用していた光学機器は、研究室配属当初から壊れていました。OSは二十年物のWindows XP。ディスプレイの電源を付けたらわずか10分で黄色に変色する。実験の途中で急に電源が落ちる場面も。正確に測定可能なごく一部の視野を使って苦しまぎれに実験していたのです。
私の博士課程最終年度の12月。後輩が実験している最中に例の光学装置が壊れました。装置の劣化に伴い、測定可能な視野が完全に消失したのです。修理が必要と承知していながらもしてもらえませんでした。装置の特性上、修理は困難。もし行うなら装置ごと買い換えるしかありません。そのお値段はなんと2,000万円超。指導教員の有する研究費では到底賄いきられない額でした。
装置が不可逆に壊れてしまいました。今後、この装置を用いた光学的実験は無理でしょう。となると、ゼロから新しい研究テーマを考案する必要が。当時、やってみたい実験はいくつかありました。そのどれもが例の光学機器を使わねば行えないものばかりで、いまや実現不可能なのであります。
全くのゼロから研究プランを組み立ててみても構いません。一応私も博士人材。やれと言われたらそれぐらいできます。けれども、組み立てた研究プランに対して何の興味もわかないんですよね。やりたくないことをやらざるを得ない未来が見える。そんな中でもプランを進めるのが苦痛極まりありませんでした。
おまけに、研究は必ずしも一年で成果を出せるとは限りません。ひとつのテーマを論文にするのにだいたい三年ぐらいはかかります。一年目はいろいろ試行錯誤して突破口を探す。二年目に解決の糸口が見つかる。そして、三年目から少しずつ論文として表に発表できるようになっていく。そんな感じ。
仮に博士課程が一年追加されたとしましょう。全くのゼロベースから一年で論文出版までこぎつけるのは難しかったのではないでしょうか。学術論文出版数は増えていなかったはず。どれだけ増えても一報が関の山。目に見える形で研究の進展が得られずにうつ病を加速させてしまっていた可能性が。
過去の悔しさを払拭できずに落胆していたはず


私が博士課程早期修了を目指した理由のひとつは、大学受験浪人で背負った一年のビハインドを挽回するためです。
北大進学後、受験で一年回り道したのをずっと悔いてきました。どうしてあの時もっと上手く勉強できなかったのだろう、なぜ自分の身の丈に合わない受験校を選んでしまったのだろう、と。
私にとって大学院の飛び級は、受験コンプレックス克服のための手段。博士課程を二年で修了して、会社員生活を27歳からスタートするためのツール。浪人せずストレートで進級してきた97年世代と9年ぶりに同じ土俵で戦いたい。早期修了でつけた勢いでもって同世代をごぼう抜きし、今度は自分の側が快哉を上げて喜びたい。浪人で味わった悔しさを晴らすために早期修了は絶対条件でした。飛び級以外の方法で劣等感を晴らすのは不可能だったのではないでしょうか。
早期修了は聖戦でもありました。私の指導教員は、自分が九年前に落とされた京都大学で学んでこられた先生。この方に認めてもらって博士課程を早期修了できれば、京大に対するリベンジを間接的に果たしたことになると考えました。飛び級すれば、あのときの悔しさをキレイさっぱり晴らせるでしょう。過去に対する執着を断ち、未来へ向かって飛躍するのにどうしても欠かせないステップだったのです。
入った研究室の先生がたまたま京大出身だったのか?いえ、研究室配属先選びをしていたB3の頃から専攻内で京大出身の先生を探していました。配属前から将来的な飛び級を見据えていたのです。実は当初、修士課程の飛び級を企んでいました。飛び級要件は満たしていたものの、先生から「それはやめておけ」と全力で止められ、”であれば博士課程なら”と今回の飛び級に挑んだ背景が。
もしも早期修了できなければどうなっていたか。
受験浪人で失った一年間を取り戻せません。学歴を一年ショートカットできないまま会社へ入ることになります。過去に対する未練を拭い去れないまま生きるのは辛かったでしょう。落胆どころの騒ぎではない。絶望ですよ。絶望。「どうせ自分は何をやってもダメなんだ」とネガティヴな気持ちに苛まれていたでしょう。いつまでも受験生時代の記憶を引きずる見苦しい人生を歩んでいたかもしれません。2chへ出没する怪物のような学歴厨になっていた可能性もあります。
博士課程をやめていた可能性が大


私が博士課程へ進学したのは学位目的ではありません。別に博士号が欲しいわけではない。自分の限界に挑戦したい。海外留学してみたい。そして浪人の一年を挽回したい。これらの希望を叶えるために博士課程まで進学しました。
D進後、本気で頑張ってみました。うつ病になるほど自らを追い込んでみて、出来るものと出来ないものとの区別を付けられるように。海外留学の願いも叶えられました。渡航先ではずいぶん酷い扱いを受けた。一方で、海外ならではの有意義な経験もたくさんできたし、今では「留学してみて良かったかもな」と前向きに捉えられています。二年間の博士課程を通じて、自分のやりたかったことは大体できました。あとは早期修了さえできれば完璧です。
仮に早期修了に失敗すれば、浪人の一年を巻き返す機会を失います。やりたいことはおおかたやり切りました。やり残したものに関しては挽回するチャンスがありません。そんな状況で博士課程へ残って研究し続ける意義とは何でしょうか?別に学位が欲しかったわけではありません。足の裏の米粒など、汚らしくて口に含みたくもない。あと一年間も踏ん張っていける気力の源が枯渇していたのです。もしも早期修了できなければ、飛び級失敗の旨を知った瞬間に博士課程を退学していたと思います。
早期修了できて本当によかった
博士課程早期修了に失敗した悲劇的シナリオを描いてみました。
自分で記しておいて申し上げるのもアレですが、なかなか恐ろしい未来が待っていたのですね。想像するだけで身の毛がよだつほど。今回挙げた四つのシナリオのいずれもが耐えがたい打撃だったでしょう。
早期修了できて本当によかった。飛び級に成功し、あの一年間を巻き返せて心底安堵しています。早期修了の可能性を信じて走り続けた自分を褒めてあげたいぐらい。偉いぞ、自分。よく頑張った。これからも頑張ろう。心を壊さぬよう休み休みでマイペースを心掛けていきたいです。


















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