一年繰り上げ!大学院博士課程早期修了わんぱく大作戦のあらましについて

こんにちは!札幌と筑波で蓄電池材料研究をしている北大工学系大学院生のかめ (D1)です。日本学術振興会特別研究員DC1として国費からお給料と研究費をいただいています。私が所属する専攻の就学期間は3年です。しかし、平凡に3年で修了してもあまり面白みがありませんので、1年短縮して2年で早期修了してやろうと思い付いた次第であります。

この記事では、博士課程を早期修了する【わんぱく大作戦】のあらましを解説していきます。博士課程の早期修了に興味がある方へピッタリな内容なので是非最後までご覧いただければ幸いです。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

博士課程早期修了わんぱく大作戦の2年計画

わんぱく大作戦の一連の手順は以下の通りになります⇩

  • D1:博士論文提出可能要件を満たす
  • D1・9月~3月:イギリスへの長期留学で錯覚資産を手に入れる
  • D1冬~D2前期:自由応募で就職活動&夏に国研の定年制公募へ応募

以下で一つずつ解説します。

D1:博士論文提出可能要件を満たす (うち一報はビッグジャーナル)

私の所属する専攻の場合、博士論文の提出可能要件は

  1. 査読有り原著論文3報以上
  2. うち2報は筆頭著者&フルペーパー

と定められています。他専攻の提出可能要件がどのようなものか詳細には存じ上げませんが、出版言語問わず査読付き論文をたくさん書けば博士論文を出す権利を得られるようです。厄介なのが②にある『フルペーパー』という6字の文言。”CommunicationやLetterのような軽量級の論文をいくら書いても修了できませんよ”ということです。コチラの修了要件に学士・修士時代に書いた論文がカウントされるか否かはシラバスに未記載なのでよく分かりません。指導教員は「される」と仰るけれども同期の博士進学仲間は「されないんじゃない?」と言っている。まぁ、ドクターへ入る前までに論文を書ける人などごく僅かなんですよね。シラバスに未記載なのはD進までに論文を出版するのを想定外としているためでしょう。

私の場合、研究テーマ運が非常に良かった。おかげでD進前までに博士修了要件を満たすだけの論文を既に出版済みです。具体的には査読済み筆頭著者フルペーパー2報&査読済み第三著者フルペーパー1報 (&査読済み筆頭著者Communication1報)の出版。だから博士課程在学中は口を開けよだれを垂らして家でボーっとしていてもOKなはず。でも修士までの実績が博論提出要件にカウントされない可能性がある。D2後期になってソレを知らされても完全に手遅れなのに加え、早期修了はおろか通常の就学期間で博士号を取れないおそれがあります。そこでわんぱく大作戦の出番が来た。博士課程在学中に博論提出可能要件を満たしてしまおう♪という試み。ドクターの間に3報書けば要件を気にしなくて済む。博論審査会の審査員さんにも (あぁ、コイツはちゃんと頑張ってきたんやな)と良い心証を与えられるはず。早期修了を目指すなら予備審査や博論審査会でかなり厳しく審査されるでしょう。その点、”論文出版”という目に見える実績を重ねておけば、「アイツを早期修了させるべきじゃない」という反対意見を極力封殺できるに違いない。

私の目標は2年間の博士在学中に4報の筆頭論文を出版すること。既に1報は出版済み (Communication)。残り3報はフルペーパーにて出版をもくろんでいます。あわよくば3報のうち1報はインパクトファクター (IF)15以上のビッグジャーナルで出版したい。早期修了するなら1報ぐらいはデカい所に出しておかなきゃ審査会で先生方をギャフンと言わせられない気がする。またまた幸運にも、ビッグジャーナルへ投稿できそうな論文のネタが2つ手元にある状態。うち1報は既に日本語原稿が完成済み。早く英語に翻訳して迅速に投稿作業へと入ります。

D1・9月〜3月:イギリスへの長期留学で最強の錯覚資産を手に入れる

博士早期修了を目論むなら日本にずっと居たい所。しかし今年度、諸事情により実験の拠点とする国研へ出入りできぬため、日本に居たら一年まるまる論文を書くだけで終わってしまいそうな感じでした。そんな時、指導教員らのツテを辿ってイギリスへ留学できることになった[関連記事]。向かう先はオックスフォード。学問の都へ半年間、身を置ける算段が付いたのです。イギリスへ留学するだけならお金さえあれば誰でも可能。現地には語学学校が山ほどあるから留学歴などお金で買える。でも研究留学だとそうはいかない。お金だけあっても相手との縁が無ければ決して受け入れてはもらえませんし、自分を受け入れてメリットのある研究室を見つける運も大切。普段からたくさん神社へお参りしているおかげで私、”ここぞ!”という時の運勢だけは人一倍良いんですよ。学振DC1内定により留学資金が手に入り、指導教員らのおかげで受け入れ研究室も見つかりましたから、半年間オックスフォードへ行きたくさん実験し色々と吸収して帰ってきます。

世界の超一流大学への長期留学経験は今後の人生を有利に進める錯覚資産となり得ります。自分が特に優秀じゃなくても留学経験が私をさも”優秀っぽく”見せてくれる。優秀っぽく見える人に成長の機会はたくさん回る。その成長機会を存分に活かせば、優秀っぽく見えていただけだったのにいつの間にか本当に優秀になっちゃうわけです。海外経験は今後自分の仕事を探すときに強力なツールとなるでしょう。次に解説する企業や国研への就活でパワーを発揮します。

D1冬〜D2前期:自由応募で就活。5月に国研の定年制公募へ応募

M1の3月に関西の中小企業 (便宜上”A社”とします)へ面接を受けに行って内定しました。A社さんは大変寛容で、私の博士終了まで入社を待ってやろうと仰いました。さらに「気が変わったらA社へ入らなくても良い」とまで言って下さっています。A社への入社は魅力的。早期修了後はA社に入社しシャカリキに頑張ろうと思っていました。A社の唯一の欠点が給料の低さ。修士/博士問わず初任給が20万円台前半の設定です。コレだと頑張って博士号を取った甲斐がない。アメリカに行けば博士号取得者は新卒でも年俸10万ドル (1,200~1,300万円)。その半額以下で同等の働きを求められても困るというもの。家賃補助も20代後半まで。その後はA社からの給料のみで家計を切り盛りせねばならない。今後、所得税や消費税、社会保険料が更に上がれば低賃金では生きられません。一人暮らしで手一杯。別嬪な奥さんと暮らしたりやかましいお子様を養ったりするなど望むべくもないでしょう。そこで将来について再度考えるべく、D1の冬からD2の前期に再び就活を行います。なるべく多く給料を貰える化学系大企業に何社か応募。就活に自由度が欲しいので自由応募で職探し。最終面接後に推薦状の提出を要求されるかもしれませんが、そこは「ちょっと待ってくれ」と無理を承知で提出を保留して頂きます。

推薦を使わないのにはもう一つ理由が。D2の春、いま出入りしている国研の定年制職員の公募へ応募したいがためであります。公募は5月、面接は6月、内定の可否は7月に判明。つまり国研の面接 (7月)の前に民間企業の就活 (3~4月)があるのです。私の本命は企業ではなく国研。博士修了後、ポスドク期間を経ずストレートで国研の任期無しポジションを得るためこれまで休日返上で頑張ってきた。金儲けのために研究する (企業のスタイル)のはおそらく自分の性に合わないと思う。「やりなさい」と言われたらおそらくそれなりにやるだろうけれども、使命感に燃えて我武者羅に頑張る所まではおそらくいかない気がする。国研に就職すれば金儲け度外視で未来の人類のため基礎研究ができる。著作や特許は全て自分の名で出版できるから大きなやり甲斐も感じられる。それに何というか、研究所しかない殺風景なつくばが妙に好みなんですよね。仕事に100%集中できるこの街なら思う存分働けるはず。大本命・某国研への内定の可能性を残したいから企業就活で推薦は使えません。国研のポジションを得られるか不明瞭だから保険をかけて何社か企業を受けます。

ビッグジャーナルへの掲載歴が2回あって国研に落ちるとは思えませんが、もし落ちたら1年早期修了ではなく半年早期修了へ切り替えD3の5月に再度国研にアプライします。

最後に:博士課程を1年繰り上げ2年で修了しようと思った動機

ここまでわんぱく大作戦について一生懸命述べてきました。最後に”どうして博士課程を一年早期修了したいのか”を記して締めくくります。

私が早期修了を志した理由は『大学受験浪人で遅れた一年を取り戻したいから』です。高三次の京大受験に滑って空いた空白の一年間はココでしか取り戻せないと思ったからです。もし受験浪人していなければ早期修了など志さなかったはず。地に足つけて研究を進め、三年間で安牌に修了するのを目論んだに違いありません。いや、そもそも博士進学さえ検討しなかったかもしれない。M1の夏から就活を始め、M1の3月ごろ、周囲の同期と一緒に推薦で楽々内定を得ていたことでしょう…

浪人生としての一年間、本気で勉強し続けました。一日5時間やらなかった日はなく、夏休みや受験直前期には一日10時間粘りました[関連記事]。精神の限界まで己を絞り込んだものの、第一志望の京都大学へは結局行けませんでした。不完全燃焼で北大に進学し、学部時代はそのショックで部活にもサークルにも入りそびれてしまいました。”一年をドブに捨てた…”とウジウジ悩む。いつまでたっても苦しみ続ける。そんな私を見かねた彼女にフラれる。どん底に落ちてもまだ悩み続ける… 畢竟するに自分の中で大学受験はまだ未決着だったのです。2016年3月9日、京大に落ちて以来、自分の秒針は依然として停止したままだった。”どこかでけじめをつけなきゃいけない”と汚名返上の機会をうかがう毎日。ふつふつと奥底からたぎる膨大なエネルギーをどこかにガチ思い切りぶつけたかった。

B4の4月から研究室に入り、(目の前のことを全力でやろう)と研究へ邁進することに決めた。トントン拍子で研究が進み、M2の10月、自分で書いた論文が海外のビッグジャーナルに掲載される運びとなった[関連記事]。京大の連中の大半には一生手が届かないレベルに到達。京大に対するある種の劣等感が解消された瞬間であります。しかし心のどこかにもどかしさが残った。(まだ足らない、何かが足らない…)と渇望感を覚えていました。京大に対するコンプレックスは晴れた。けれども1年遅れたことに対するネガティヴな気持ちは払拭されないままでした。

【博士課程を早期修了するぞ】と決意したのは論文がアクセプトされた瞬間だったか。ガンガン研究を頑張ることで博士課程を2年で出てやろうと目論み始めた。実は大学院の早期修了はB4の4月から少しずつ考え始めていました。(土日にも研究室へ行けば他人より早く研究を進められるぞ!)と、カレンダーを完全無視して狂人の如く研究室へ足を運ぶ。時々休んだ方が精神衛生的には良いでしょう。けれども、『早期修了』を合言葉に意地で皆勤賞を貫き通した。学生生活のフィナーレに大学受験との決着をつける。1年巻き返せるならどれだけ犠牲を払ってもいい。実際、ストレスをためすぎM2の8月に口から血を吐いてしまいました。流石にその時は寝込んだものの、研究室へ勉強道具だけ取りに行って家で専門書を読んでいました。過去3年2か月のラボライフにおいて、研究をやらなかったのは実家へ帰省した時ぐらい。ほぼ毎日のように研究室へ行って作業を進めておりました。したがって、博士課程を3年で出る人と2年で出る私の累積登校日数はほとんど同じなんですよね。履歴書上は繰り上げている風に見えるかもしれませんが、人より多く大学へ行っているので”繰り上げた”という自覚がない。最も、受験と決着を付けられさえすれば私としては万事オーライ。常人の3年分の努力量を2年でこなして博士号をもぎ取る所存です。

大学院博士課程早期修了わんぱく大作戦は以上になります。この作戦に基づき日々を過ごし、D2の3月、博士課程を1年繰り上げ娑婆へと繰り出すつもりです。

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