北大と国研で研究していた化学系大学院生かめです。博士課程を一年短縮して早期修了しました。
この記事では、私が博士課程二年での修了を目指し、早期修了を確信した瞬間について記しました。研究に没頭した日々。締切に追われた論文執筆。そして事実上最後の関門となる予備審査会での激闘。そこには苦悩と歓喜が交錯し、時に狂気すら垣間見える研究者としての成長の過程が克明に刻まれています。
この記録が、研究という過酷ながら美しい道を歩む方々への一つの道標になれば幸いです。

それでは早速始めましょう!
【D2・11月上旬】早期修了要件をクリア


大学院を修了するには修了要件をクリアしなければなりません。早期修了なら早期修了要件の充足が必要です。
私の所属専攻で博士号を得ようとする場合、英誌筆頭論文二報以上の出版が求められます。この条件をクリアできなければ何年経っても修了できない仕組み。肝心の早期修了要件は学生便覧へ明文化されていません。そこで、指導教員が裁量権を発揮して独自の修了要件を拵えました。私に課せられたのは「国際誌への筆頭論文五報以上」の出版。最後の一報だけは投稿前でも構わないそう。標準年限修了者よりも高い壁を突破してこそ飛び級に値する。早期修了したければこの険しい試練を乗り越えていけ、とのメッセージがこめられています。
早期修了を考え始めたのはM2の前期ごろ。五報の筆頭論文を出版すべく、博士課程へ入る前からフルスロットルで研究に取り組みました。平日はもちろん、休日返上で研究に没頭。ワーク・アズ・ライフ。仕事と生活の境目を失った極限のフロー状態で二年間を過ごしたのです。
D2の9月に四報目が出版されました。その時点で五報目を書き上げるのに必要なだけのデータは収集済み。修了要件達成のためにラストスパート。原稿作成速度を限界まで高めて飛び級達成を目論んだのです。その甲斐あって、五報目の原稿をD2の11月初旬に完成させられました。論文のステータスが投稿目前の状態になったことでもって短縮修了へGOサインが灯ったのです。
五報目の原稿を指導教員に渡した際、先生から「君を早期修了させるから」と言われました。この時になって己の早期修了の可能性をようやく信じ始められたのです。
【D2・12月上旬】博士論文が完成


博士課程を修了するには博士論文(D論)を提出しなければなりません。先生からのGOサインに加え、D論を期限内に提出できてようやく修了が認められるのです。
D論は過去の成果の集合体。学術論文数報分もの成果を収録した重厚な出版物です。ページ数は100ページ以上が当たり前。海外の超一流大学に所属する博士候補生は200ページ以上ものD論を出して修了するのです。各章には一貫した繫がりが求められます。研究成果が章ごとに独立していてはダメ。全ての章を有機的に接続させ、D論全体でもって何かを提言できるような一つの研究成果物にならなければなりません。
実験結果パートは投稿論文の再編集だけで完成させられます。投稿論文の原稿を切り貼りするだけの頭を使わぬごく単純な作業で。研究背景と総括の部分は自分の頭でゼロから考えねばなりません。特に大変なのが研究背景の執筆。学術分野の基礎の基礎から応用・発展まで抜けもれなく網羅する必要が。自分の研究カテゴリーの総説を記すようなものと捉えて下さい。何百もの論文に目を通し、そこから精選して適宜引用する恐ろしく手間のかかる作業が待っています。
私には困難がもう一つ待っていました。指導教員からD論を英語で記すよう求められたのです。英語で記せば世界中の人間に読んでもらえます。将来、海外へ転職することがあっても、わざわざ日本語のD論を翻訳して相手方へ渡す手間を省けるでしょう。しかし、外国語での論文執筆は難しい。学術的に正しい言葉を使って英語論文を書く大変さは五報の論文執筆で嫌というほど体感済みです。まして、D論は学術論文何報分もの破滅的なボリュームがあります。D論完成に要する労力を思うだけで気が遠くなりそうでした。
D論執筆は五報目の作成と同時並行で進めました。9月初旬から研究成果の切り貼りを書き始め、10月と11月の三連休を使ってイントロダクションパートを制覇。残りの時間で総括部分の仕上げ。五報目完成と時を同じくしてD論の初稿が出来上がりました。指導教員に見せて確認を依頼。そこで受けた幾つかの修正案をもとにブラッシュアップして205ページのD論が脱稿したのです。
12月上旬。D論の仮製本を印刷しながら早期修了への確信を深めていきました。修了要件を充足した。D論もできた。コレで誰かから飛び級について何かケチをつけられることもないのだろうな、と。
【D2・12月中旬】予備審査会を突破


博士課程の学位審査は三段階式。一つ目が中間審査会、二つ目が予備審査会、そして三つ目が最終審査会。博士課程を修了できるか否かは予備審査会での出来に左右されます。予備審査さえ通過できれば学位取得がほぼ確定。逆に通過できなければ半年以上の期間延長が待っているのです。予備審査会へ臨むには、事前に修了要件の充足とD論の仮製本完成が求められます。どちらも完成させて予備審査会に臨み、学位審査員の了承を得て最終審査会に進めるのです。
三段階の学位審査において最も厳しいと言われているのが予備審査会。ネット上で様々な学生の体験記を見てみると、皆ほぼ例外なくボコボコにされています。もはや博士課程の「様式美」でしょう。博士課程修了前の洗礼、いや通過儀礼のようなものなのかもしれません。
予備審査会でボコボコにされるのはなぜか?それは、先生方が優しいからです。
もしも最終審査で不合格になったら、これまでの研究成果がリセットされ、修了要件に加算できなくなります。博士課程を修了できずに落伍する可能性が著しく高まるわけです。予備審査会で不合格になっても業績はリセットされません。博士課程在籍期間が半年か一年延びるだけで済む。予備審査会で学生へ厳しい試練を与えるのは、最終審査に耐えうる研究力を有しているかを見定めるため。先生方が思いやりに満ち溢れているからこそ、学生をあえて無慈悲にボコボコにして力を確かめにかかるのです。
案の定、私もボコボコにされました。質疑応答時間は20分と聞いていたのに、実際にはその三倍の60分間も行われました。一つ一つの指摘が実に鋭かった。返答に窮した瞬間、ここぞとばかりに次から次へと質問が飛んできて処理が追いつきません。指導教員曰く、質疑応答後半の私は顔が真っ青だったようです。終了後、「貧血を起こしてない?大丈夫?」と心配されました(立ち疲れただけ)。
口頭発表40分。その後の60分もの質疑応答を経て、無事に予備審査会を終えました。学位審査会での会議の末、私を最終審査会へ進めさせる沙汰が下ったそうです。ココでようやく早期修了を確信。半信半疑で進んできた早期修了達成ロードの終わりがハッキリと見えました。予備審査会終了直後は早期修了できる実感がほとんど湧いてきませんでした。予備審査会から時間が経つにつれ「早期修了できるんだ…」と実感を得られてきたのです。
1月末の最終審査は「どうせ早期修了できるしな♪」と楽な気持ちで臨めました。目論見通りに早期修了成功。私の挑戦は成功で終わりました。
総括
研究者の魂の昇華とも言える博士号取得。その道のりを標準より1年短い2年で駆け抜けた私の挑戦は、幸いにも実を結びました。
振り返れば、それは孤独で過酷な戦いのようでいて、実は多くの方々の支援に支えられた旅路でした。指導教員からの厳しくも温かい指導、研究室メンバーの献身的な協力、そして事務方の皆様の細やかなサポート。全ての方々への感謝の念が、今も胸に深く刻まれています。
早期修了は、ただ単に期間を短縮するだけの挑戦ではありません。それは、研究者としての自分の限界に挑み、新たな高みへと上り詰める精神的昂揚の時間でもありました。この記録が、同じ道を志す誰かの心の支えとなり、また勇気を与えるものとなれば、これ以上の喜びはありません。
そして最後に。 世界には、まだ誰も見たことのない真実が無数に眠っています。皆さんも、その発見の旅に出てみませんか?
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