北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
日本は急速な少子高齢化に伴い、大学全入時代を迎えました。大学進学希望者がみな大学へ入れるようになったのです。学問の門戸が広く開かれているのは素晴らしいでしょう。ドイツなんて10代前半に「エリート教育組」と「職人組」に選別されるそうです。才能だけで将来を決められないのが日本の教育制度の良さ。しかし、Fランク大学を始め、学位を濫発する大学も。学士号の価値が凋落しているのは見逃せない事実でしょう。
学士課程が全入になったのと同様、修士課程も全入の様相を呈しつつあります。特に国立大理系学部生は大半が修士課程まで進学している。理系分野では修士号ホルダーが珍しくも何ともなくなってきました。修士を出たというだけでは事態がプラスに働くことはないでしょう。
この記事では、大学全入時代における「博士課程進学の意義」を考察しました。博士課程進学をお考え中の方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!
増え続ける修士人材と明確に差別化できる


理工系修士課程の場合、私立大学なら約半数が、国立大学なら8割以上が修士へ進学します。私が通っていた北大工学部の場合、学部卒として働く人間は希少種。10人中9人が大学院へ進むのです。修士進学する連中よりも修士へ行かない連中の方が目立っています。(進学しない特別な理由でもあるのだろうか)と考えてしまうほどに『修士へ行くのが当然』という風潮ができているのです。
しかし、修士から上は異なります。修士から博士へ進む人間は5~10%。専攻によってはゼロ名の所も珍しくありません。私の所属元専攻の修士課程では、42人中4人しか博士進学しませんでした。4人でも大々々豊作だそう。博士課程へ行こうとする人間はごくごく少数派。
少数派、ということはですよ。「希少価値が高い」との意味合いがあるでしょう。博士人材は探したくてもなかなか集まりません。特に日本人博士人材はなおのこと集まらない。修士人材と博士人材の母数が違いすぎるのです。なんせ、博士号ホルダーは、修士号取得者の1/10ほどの数しか居ないのですから。
修士人材は今後も増え続けるでしょう。なぜなら、修士号を持っていないと企業就職へ不利に働くことがあるからです。学士卒と修士了の人材を並べたとき、戦力として使いやすいのは修士人材の方。学士卒は研究に触れていません。思考力や資料作成能力が低いのです。修士学生は少なくとも二年間は研究をしています。二年の差が生み出す人的資本力の差が企業を修士人材採用へと突き動かすのです。
修士号ホルダーが増殖し続けるなか、修士人材は何を強みとして生きればいいのでしょう。少なくとも学位は頼りになりません。実務経験?特殊なスキル?どれかひとつだけでは物足りません。
博士課程を修了すれば「博士号」を得られます。博士号は、何かひとつの分野を極めた証。博士課程は修了要件が難しいです。修士までと異なり、努力すれば必ず修了できるというわけでもありません。保有者が日本人全体の0.01%しか居ない希少資格。博士号を持っているだけで修士号ホルダーと容易に差別化できますよ。理系就活で間違いなく有利に働くでしょう。企業に入って周りからすぐに名前を覚えてもらえたり、博士同士で仲良くなれるなどの嬉しいオマケつきです^ ^
クリエイティヴなポジションを優先的に確保できる


会社員は”歯車”と揶揄されがち。上からの指示へ奴隷のように従って手足を動かす存在だ、と。「社畜」なる言葉もあるようです。会社に通って働く二足歩行の家畜。月イチで支給されるお給料と半期に一度配られるボーナスを楽しみに生きる有機生命体。
大学一~二年次までは学生が活き活きとしています。就活を始める三年次あたりから徐々に面持ちが暗くなってきて、会社就職目前の四年次には世界の終焉を予感させる重たいオーラを放つようになる。これからオレは懲役40年か。長期休みもほとんど貰えずにず~っと働いていくのか。そこには夢も希望もありません。自由を謳歌できた生活が今にも終わりを告げようとしていて、それが果てしなく辛いのです。
人間がメンタルを病むのはどのような時でしょうか。『自らの人生を主人公として生きられなくなった時』です。誰かに何かをやらされる。試行錯誤の余地など存在しない。自身を”代替可能な歯車だ”と感じる。事態の打開は独力で困難である。こういった場面で人の心は狂うのです。自分自身、修士と博士の間に研究関連で一度ずつメンタルブレイクしました。
我々の大半はサラリーマンになるでしょう。どれだけ文句をぶー垂れたとしても、お金を稼ぐためにどこかで働く必要があります。どうせ一日8時間拘束されるなら、せめて幸せに働きたい所。確かに我々は社畜かもしれません。あるいはもっとひどい、奴隷かもしれない。けれども精神面だけは譲り渡したくありませんよね。自ら主体となって創意工夫して輝いている実感を得ながら働ければ幸せかもしれません。
幸せに働ける可能性があるのが創造性を求められるポジション。研究職や企画職はもちろん、開発でも生産技術でもクリエイティヴさが求められます。いま挙げた職種は、上司からの指示へ忠実に従っていれば済む所ではありません。自分の頭で考えを巡らせ、人生経験に基づくオリジナリティーでもって付加価値を産み出すのが求められる場所。ハードな知的労働が求められるでしょう。ヘロヘロになるまで徹底的に考えていきます。考えるよりも身体を動かしている方が幸せな人にとっては地獄。考えて何か新しものを産み出すのが好きな人にとっては天国です。
博士号は創造性の証。なぜなら、何か新しい知見を世の中へもたらしたことでもって学位が与えられるから。博士号を取れば研究職へ就けるでしょう。修士人材よりも優先的にR&D部門へ配属されるのです。国研や大学への研究者就職も見えてきますね。希望すれば事務系の企画事業部へ進むことだって可能。
人生は100年時代だそう。今後、定年が70歳になったり80歳になったりする可能性があります。長く働かなきゃいけないのは確実。平日の日中の大半を労働に費やす以上は、せめて幸せに働いていきたいですよね。労働へ幸せを見出したい方はぜひ博士号を取得してください。博士号を得るために博士課程へ進むことをオススメします。
最後に
現代の日本では少子高齢化が進み、大学全入時代を迎えました。修士課程も似たような傾向を示しています。理系分野では修士号取得者が珍しくない存在になりました。現に国立大の理系学部では8割以上の学生が修士課程へ進学します。北大工学部では9割もの学生が大学院へ進む現状です。
一方、博士課程進学者はわずか5〜10%と圧倒的な少数派。私の専攻では42人中4人という「大豊作」でさえ進学率1割という状況。博士号保持者は日本人全体の0.01%。就職市場において、この希少価値は決して無視できない強みとなるでしょう。
サラリーマン生活を「社畜」と揶揄される現実があります。人がメンタルを病むのは”自らの人生を主人公として生きられなくなったとき”。単なる代替可能な歯車ではなく、創意工夫で輝ける創造的ポジションで働くことが幸福への鍵でしょう。博士号は創造性の証明です。研究職や企画職など、創造的思考が求められる職種への優先的な配属が期待できます。100年時代と言われる人生において、長い労働生活をより幸せに過ごすための選択肢となるかもしれません。
博士課程進学は未来への投資として大きな価値があるでしょう。
コメント