北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
研究熱心な修士学生にとって最も大きな悩みは「博士進学」。進学するか、就職するか。胃に穴が開くほど検討に検討を重ねます。自分の気持ちが”進学”に傾いていてもD進できるとは限りません。学生を取り巻く周囲から同意を得る必要があります。一番の難所は『親の説得』でしょうか。親が挑戦を後押ししてくれるのであれば心強い。挑戦に対して後ろ向きな言葉を投げかけられたら、D進を前に気分が落ち込むかもしれません。
この記事では、修士課程在籍中のご子息がいらっしゃる親御さんに向けて記事を記します。子供が「博士課程へ行きたい」と言い出したらどうすればいいか、元・博士学生の立場から解説しました。子供の博士進学を機に、親子関係の進展や円熟化にお役立ていただければ幸いです。

それでは早速始めましょう!
「大丈夫?」より「応援してるよ」


修士学生の博士課程進学率は10%程度。博士課程へ進む決断は、「企業就職」という大多数が選んだ道を振り切る行為。見通しの不透明さ。経済的なリスク。社会的な孤立感。様々な困難が待ち受けています。皆さんのお子様は、この先に数多の苦難があると承知のうえで、なおも研究の道を選ぼうとしているのです。
D進を決意するまでには数か月間もの逡巡期間があります。皆さんのお子様は、皆さんの想像以上に苦しんできたでしょう。私もD進を決めるまで一年近く迷いました。辛かったですね。進学する前からメンタルがヘロヘロになるぐらいに。悩み。揺れ。先行きの不安。自身の覚悟を何度も問い直してきました。
皆さんのご子息は、「博士に進む」と言い出すまでに、ネガティブな情報を十分に調べ尽くしています。現実の厳しさを承知のうえで、それでも研究を続けたいと願っているのです。だからこそ、親から投げかけられる言葉は重く響きます。「本当に大丈夫なの?」「そんなことをして意味はあるの?」といった否定的な言葉は、学生の心を折ってしまうかもしれません。本人が一番欲しいのは「応援」。忠告ではなく信頼を。心配よりも、味方としての存在を。
博士課程では、研究の価値が評価され、学位へ変わるまでに長い時間がかかります。順調に研究が進んでも三年。分野によっては修了までに四年以上かかるのが当たり前なケースもあるようです。博士課程という長期戦へ挑むには精神的な支えが欠かせません。味方が多ければ多いほど心は前を向くもの。近親者が味方で居てくれれば、お子様も安心して挑戦に一歩踏み出せるでしょう。
修士学生の親御さんには「見守る役割」をお願いしたいのです。どうか、お子様の身に何があっても味方でいていただければ幸いです。
「博士課程ってどんなところ?」


博士課程とは、研究に己の全てをぶつけて挑戦する場所。授業はほとんど無くなります。毎日が研究の連続です。朝から晩まで研究三昧。時には休日も返上して、未解明の問題と格闘する日々が続くでしょう。
修士課程までは「勉強」が中心でした。博士課程に進むと「研究」を行い、自分が世界で初めてとなる知見を生み出さなければなりません。研究のやり方は自分で編み出します。答えの出し方も、答えらしきものの姿も、誰も知りません。新しい真理を切り拓く行為は孤独。沈思黙考する時間が増えます。
研究以外にも様々な苦労が。成果が出なければ論文が通りません。論文が無ければ学位を得られない。キャリアの道も多種多様。アカデミアに残るのか、企業へ転じるのか。それとも全く別の道へ進むのか。研究をやりながら将来について考える。博士課程はあまりにも多忙です。
だからこそ、親御さんには尋ねていただきたい。「博士課程って、どんな場所?」と。たとえ専門内容まで理解できなくても構いません。おそらく、内容を理解したくてもできないでしょう。子供にとっては、自身の進路へ関心を抱いてもらえるだけでも励ましになるもの。親が無関心ではなさそう。自分の進む道に興味を示してくれている。それだけでお子様の孤独感を大いに和らげてあげられるでしょう。
研究の話題をきっかけに、進路や人生設計についても対話が深まるかもしれません。博士課程は、長く、険しい道のり。未来がなかなか見えてこないからこそ、親との会話が前に進む際の手助けになるかもしれません。
「研究って面白いの?」
「博士課程を出ると何になれるの?」
「論文ってどうやって書くの?」
素朴な問いかけで構いません。問いの一つ一つが、子供にとっては“聞いてくれた”という安心につながります。博士課程は孤独な世界。周囲には同期がほとんどいません。だからこそ、研究の外にいる人が関心を寄せてくれるだけで、大きな救いになるのです。
「何かあったら、いつでも帰っておいで」


博士課程では、順風満帆な学生のほうが少数派。多くの学生が、途中で一度は深刻な壁にぶつかります。研究がうまく進まない。成果が出ない。論文が通らない。自信を失い、自己肯定感がどん底に落ち込む時期も。
メンタルを崩す学生も少なくありません。私自身、研究が半年以上進まなかった時期に、朝起き上がることさえできない日々が続きました。頭では「やらねば」と思っていても、身体がどうしても動かないのです。自分を責める気持ちと焦燥感だけが募っていきました。ストレスをためすぎて、喀血したこともあります。本気で「博士課程をやめようか」と悩みました。
博士課程は、単なる学問研究の場ではありません。人間としての精神的限界に向き合う日々でもあります。博士号の英名は「Ph.D.」——Doctor of Philosophy(哲学博士)を名乗る学位です。求められるのは、専門知識の探究だけではありません。試練に打ち勝てるだけの意志の強さ。失敗を受け止めるしなやかさ。疑問に耐え抜く孤独力。人生哲学を問われ続けるのが博士課程です。
だからこそ、支えが必要です。困難な局面において学生を支えるのは、「困ったときはいつでも頼っていい」というメッセージ。たった一言を子供に伝えるだけで、子供サイドの心には余裕が生まれます。”自分には最後の避難所がある”。この実感が、追い詰められた極限状態でどれほど支えになることか。
実家には、社会が提供したくてもできない役割があります。評価も競争も縁のない場所。学業の成果が出なくてもいい。人間関係でつまずいても大丈夫。何があっても受け止めてくれる環境。親が和やかな空気を醸し出してくれるだけで気持ちが大きく和らぎます。
私の実家は、博士課程進学にあまり関心を示してくれませんでした。肯定も否定もしない。無関心。頼りたくても頼りになりません。海外留学前は、母親からの超長文お気持ち表明ラインに苦しまされました。悩みを一人で抱え込まざるを得ず、案の定、自壊しました。あくまでもこれは極端な一例です。必ずしも全員がこうなるわけではありません。仮にメンタル崩壊前にどこかへ駈け込めたら相当楽だったでしょう。この記事をご覧の親御さん各位には、最初から最後までずっとお子様の味方で居てあげていただければ幸いです。
最後に
博士課程への進学は、深く悩み、覚悟を決めたうえでの決断です。進学を口にしたとき、子供はすでに多くの不安と向き合ってきています。親の応援は、何よりの支えになるでしょう。理解しようとする姿勢。話を聞こうとする気持ち。いざというときに戻れる場所。そのすべてが、挑戦する意志を後押しします。
博士課程で得るものは、知識や学位に限りません。困難と向き合う経験が、人格の厚みを形作っていくでしょう。ご子息には、どうか温かなまなざしを。進学の相談を受けたときは、そっと背中を押してあげてください。それが、子供自身の力を引き出す第一歩になります。
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