【ブラック】大学院生が「土日」の概念を失っていく過程

「週末」とは、一体いつから存在するようになったのでしょうか。

少なくとも大学院という知の探求の場において、その概念は極めて曖昧です。 かつて博士課程に在籍した私も、曜日の感覚が融解していく不思議な体験をした一人なのでした。 B4からD2までの五年間、研究室の扉を潜らない日は、果たして何日あったことか。

学生が週末に研究室へ通う光景は、決して珍しいものではありません。 むしろ、ホワイトな研究室と評判の場所でさえ、週末に学生が姿を見せるのはごくありふれた日常と言えましょう。では、一体なぜ、未来ある若者は自ら休日を研究に捧げるのでしょうか。

この記事では、大学院生が「土日」という概念を失っていくプロセスを解説します。いつの間にか休日出勤するようになった院生の方や、事前に休日防衛策を施しておきたい方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

ステップ1:研究進捗による慢性的な時間不足

我々の貴重な時間は研究が食いつぶしていきます。研究が進めば進むほど自由時間が減っていくのです。

研究には明確なゴールがありません。「○○をやったら終わり!」というものではないのです。○○をクリアしたあと、「今度はそれよりもっと高い目標をクリアしよう」となる。高性能化を目指す場合もあれば、反応の機序や原理を追求していく場合も。いずれにせよ、研究とは『延々と続く深掘りのプロセス』です。そこに終わりは存在しません。

ひとつの研究課題を掘り下げていけば、少なくとも5個以上の深掘るべき課題が見えてくるでしょう。各課題をまた深掘っていけば、またそれぞれ5個以上の新課題が浮き彫りになるはず。それら全ての深掘りに挑戦する余裕はありません。しかし、なるべく多くの課題を解き明かしたいと思うのが研究者の性ではないでしょうか。知的好奇心旺盛な院生や、そんな先生を持つ学生は、解決すべき課題の数をどんどん増やしていくことに。研究が進捗すればするほど課題が増え、時間が足らなくなっていくのです

ステップ2:時間が足らないなら土日にやればいいじゃない

我々は研究者である前に学生であります。研究だけをやっていればいいわけではありません。実験・解析はもちろん、ゼミの発表準備、講義の受講・レポート作成、後輩のお世話など様々な仕事があります。どれ一つとして疎かにしていいものはない。全てにおいてレベルの高い合格点をオールウェイズ叩き出していかねばなりません。

長期休暇の間はまだ良いのです。講義とゼミがないぶん研究へ時間を割けますから。学期中が本当に大変。殺す気かと言いたくなるほどの仕事量が課せられます。どれだけ能率化を試みても時間が足らないでしょう。講義レポートを生成型AIに投げ、AIの処理時間中に英語論文を読んで雑誌会の用意をする離れ業が必要に。

平日だけでは時間不足。どれだけ頑張っても間に合わない。そうなったときに我々が試みるのは「発想の転換」。平日だけでは無理?だったら土日にもやればいいじゃない、と。俗にいう【マリー・アントワネット式研究法】です。パンがないならケーキを食べればいい。平日だけで片付かなければ土日を捧げればいい。

早い人は学部生の頃から、遅くともM2から院生は土日にもラボへやって来るように。時間不足を挽回するための苦渋の策。院生のプライベートはこのようにして失われます。

ステップ3:仕事の報酬は仕事

我々が土日に研究室へ行かなきゃならなくなったのは、あまりに多い仕事をどうにかして処理するため。あくまで一時的な作戦のつもり。仕事のピークを乗り越えたあとは平日出勤だけに留めるつもりだったはず。多忙な日々を乗り越えた皆さんに嬉しい報酬が待っています。仕事の報酬はさらなる仕事。To Doリストを処理し終えたと思ったのもつかの間、すぐに別の仕事が舞い込んできて手を休まさせてもらえません。

研究にはその性質上、終わりが存在しません。ステップ1にて、”ひとつの課題を明らかにしたら別の課題が5個以上現れる”と述べました。仕事を終えた我々の前には新たに5個の課題が待ち受けている。手を付けずに休んでいたいのが正直なところ。指導教員は休ませてくれません。こちらの気持ちなどお構いなしに「○○の次は△△をやってみようか」と無邪気に提案してくるのです。

先生の指示をにべもなく断ったら関係性が悪くなるでしょう。最悪の場合、学位取得に差し支えが生じるかもしれません。我々が大学院へ通うのは学位を得るため。先生と仲良くするためじゃない。欲しいものは友情ではなく学位。しかし、肝心の学位を認定するか否かは先生サイドが主導権を握っています。ある程度は先生の指示に従っておかないと学位を受け取られないでしょう。

仕事の報酬として仕事を受け取りました。我々の仕事がさらに増えたわけです。今まででさえ平日だけでは片付けられませんでした。そこに別の仕事が上積みされたとなったら、もっと時間が足らなくなりますね。我々が考えるのは、土日出勤の常態化です。あくまで一時的な措置のつもりだった土日出勤を平常運転にしていくのです。そうしたくてしているわけじゃない。土日に来て仕事せざるを得ないから土日にも働いています。

ステップ4:俗世との隔絶と「土日」という概念の消失

一週間はふたつに大別されます。月曜から金曜の平日と、土曜と日曜の休日のふたつ。平日はもちろん研究室に行く。週末も当然のごとく研究室へ向かう。あれっ、毎日研究室へ行っていますね。何ということでしょう。週7でラボ通いする学生が出来上がりました。

毎日研究室へ行くとどうなるか。一般社会と隔絶されてしまいます。世間の流行りへ無頓着になるでしょう。質素な服装、簡素な価値観、モノトーンな日々を当たり前のこととして受け止めるように。起きてすぐ考えることは「今日は何時から研究室へ行こうかなぁ」です。ラボ以外の場所へ行こうなどとは思いもよりません。というより、ラボ以外の場所へ行く気にならないでしょう。行ってしまったら仕事が滞って、明日の自分が苦しむのが自明だから。

我々の頭から「土日」という概念が完璧に失われました。指導教員へ忠実な、優秀なしもべがココに完成したわけです。

最後に

大学院での日々は、私たちの知的好奇心を限りなく満たしてくれます。しかし同時に、私たちの内面から何かを削ぎ落としていく側面も持ち合わせているのかもしれません。私たちが失ったものは、単に「土日」という時間だけだったのでしょうか。あるいは、社会と接続するための、ある種の感性だった可能性も否定はできません。いずれにせよ、知の探求が、人生を豊かにするためのものであると信じたいものです。少なくとも、学位証書を受け取る、その日までは。

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