「進学するなら、覚悟を固めてね」
博士課程への扉を叩こうとする者なら、一度は指導教員から言われるであろう言葉。かつての私も、先生からその覚悟のほどを問われ、内心首をかしげたものでした。“一体、何をそんなに脅かす必要があるのだろう”と。
博士課程という場所に足を踏み入れて初めて、あの言葉が脅しではなく、慈悲に満ちた忠告であったことを理解します。ここは、覚悟がなければ一日たりとも立ってはいられない場所。強固な意志を下地として、自らの力で結果を掴み取り、人生を切り開いていく能力が試されるのです。
本稿では、博士課程でまことしやかに囁かれる「結果が全て」という掟の正体について、紐解いていきます。
かめそれでは早速始めましょう!
第一の掟:努力は前提であり、評価の対象ではない


修士課程と博士課程。両者を隔てる決定的な違いは、一体何でしょうか。 それは、「努力」という行為が持つ価値の変容にあります。
修士課程までは、いわば努力が報われる牧歌的な時代でした。 研究の作法を学び、真摯に取り組む姿勢そのものが評価されたはずです。 たとえ試行錯誤の末に道を踏み外したとしても、そのプロセスが修了の妨げになることは稀でしょう。
しかし、博士課程の扉をくぐった瞬間、ルールは一変します。 ここでは、努力はスタートラインに立つための入場券に過ぎません。 努力一本槍、作業量一辺倒では到底乗り越えられない壁が存在するのです。 温情や情状酌量といった言葉が通用しない、冷徹なまでに結果が支配する世界。博士課程とは、学び舎から、価値評価の市場へと変貌した姿なのです。
第二の掟:成果だけが、世界と対話する唯一の言語である


実力主義の市場では、誰もが等しく評価されるわけではありません。 限られたパイは、優秀な者から順に切り分けられていきます。 研究者の椅子。学振や科研費といった生命線。それらは全て、実績という名の共通言語を巧みに操る者が手にするのです。 実績がなければ、新たな実績を積む機会すら与えられない。この容赦のない現実が、博士課程の日常です。
では、私たちが血の滲むような努力をするのは、何のためなのでしょう。 頑張っている自分に悦に入るためでしょうか。努力という行為自体に目的があるのでしょうか。 答えは、否です。
努力とは、目的を達成するための手段に他なりません。 皆さんが本当に欲しいものはどちらでしょう。努力する美しい過程ですか。それとも、努力の末に得られる果実、すなわち「成果」でしょうか。 かつての私が欲したのは、紛れもなく後者でした。 実験に明け暮れたのは、一本の論文を世に出すため。 発表練習を繰り返したのは、学会の壇上で賞を勝ち取るため。 膨大な時間を費やして申請書を磨き上げたのは、生活の糧を得るため。 成果が出て初めて、費やした時間と情熱は客観的な価値を帯びるのです。
これから博士の道を歩む方、そして今まさにその道を歩んでいる方に、一つだけアドバイスを送らせてください。 「頑張ったこと」を誇るのはやめましょう。誇るべきは、その手で掴み取った「成果」だけです。
第三の掟:努力の価値は、敗北の日にこそ証明される


成果、成果と繰り返してきましたが、ではプロセスに全く価値はないのでしょうか。 成果を生み出せなかった努力は、無価値な残骸と化すのでしょうか。 面白いことに、話はそう単純ではありません。努力の真価が問われるのは、むしろ成果が出なかった日、すなわち敗北の日にこそあるのです。
どれほど心血を注いだ論文も、査読者との相性一つでリジェクトされるのが日常茶飯事。 どれほど実績を積み上げたつもりでも、公募ではさらに優れた実績を持つ者が現れるかもしれません。 残念ながら、私たちは物事の成り行きを完全にコントロールすることはできないのです。
私たちにできることは、ただ一つ。『人事を尽くして天命を待つ』ことだけ。 無情にも天に見放された時、蓄積してきた努力はまず、自分自身を守るための盾となります。「これだけやったのだから仕方ない」と潔く現実を受け入れ、絶望の淵から這い上がるための燃料に。「これだけの挑戦ができた自分は、決して無力ではない」と、次の一歩を踏み出すためのプライドを保つための防具に。 努力はまず、私たちの心を支えるのです。
研究者にとって、敗北は単なる敗北ではなく、極めて価値の高い「データ」の収集に他なりません。 不採択に終わった論文には、その分野の専門家からの詳細なフィードバック、いわばトップジャーナルからの無料コンサルティングが添付されています。指摘を真摯に受け止め、実験や論理構成を練り直す。蹴られた論文は、以前とは比較にならないほど強固なものへと生まれ変わるでしょう。 公募での敗戦は、自身の研究がアカデミック市場でどのように評価されるかを示す正確な指標となります。応募を通じて得た客観的評価は、次の申請書をより戦略的なものへと磨き上げるための、何よりの指針となるのです。
一つ一つの敗北を冷静に分析する。そして、得られたデータを次の戦略に活かす。PDCAサイクルの繰り返しが、私たちの努力を「成功確率アップのための科学的アプローチ」へと昇華させていくでしょう。 そう。努力の真の価値とは、転んだ時に心を守る盾となること。そして、次にさらに高く跳ぶための、強固な踏み台を築き上げること。 敗北の日にこそ、私たちの努力は精神的な支柱となり、未来の勝利への礎となるのです。
最後に
勝負の世界は、常に非情です。 しかし、どうせなら勝ちたいと願うのが人情というものでしょう。 自己弁護の声ではなく、心の底からの歓喜の雄叫びを上げたいはず。 であるならば、私たちが何よりも重視すべきは、やはり【成果】ではないでしょうか。
博士課程で試される「覚悟」とは、この冷徹なまでの掟を受け入れ、それでもなお成果創出にこだわり続ける姿勢そのものです。 結果という名の神に祈りを捧げ、人事を尽くし続ける。 その修羅の道の先にこそ、研究者だけが見ることを許された、美しくも厳しい景色が広がっているのです。



















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