試験2日目
起床~試験開始
試験二日目はアラームの爆音で目を覚ましました。
時計は5時55分を指しており、デジタル表示の5:55:55を見て「郷でーす!」と自分にだけ聞こえる声でそっと囁きニンマリ笑っておきました。
私のラッキーナンバーは5であります。
前日の寝起きとはうって変わり、5連続の5を見て最高の気分でベッドから跳ね起き立ち上がりました。
前日やらかした失敗はもう取り消せませんが、勝負はまだまだ決していません。
たとえ0.1%でも合格の可能性があるなら0.1%に懸けて勝負したかったし、私の一方的な片想いで終わりたくないためどうしても最後まで諦められなかったのです。
加えて、前日味わった悔しさがよみがえってきて、体力と精神力が一気に体中へ満ち満ちていきました。
京大へ一矢報いるために全力を尽くす。このままタダで引き下がってたまるものか!
失うものが何もないから、試験終了と同時に果てるつもりで死闘を繰り広げる決意を固めました。
布団を整えてシャワーを浴び、寝癖を直して服を着ました。
そして、「絶対合格してやるんだ…!」と心の中で念じながら、下階の朝食ブッフェ会場に歩みを進めました。
前日は周囲の受験生のオーラについ怯んでしまいましたが、今朝はそのオーラを突き破るが如く、強い気持ちを保っていられました。
おそらく非常に険しい顔をしていただろうから、ブッフェ会場受付のお姉さんには怖い思いをさせてしまったことを申し訳なく思っています。
食べ物の味を全く感じなかった昨日とは全く異なり、野菜やお米が実においしく感じられました。
- 今日は肩の力が抜けて良い調子だな
- なんかいい事ありそうだな…!
などと、幸せの前兆のようなものを感じながらゆっくりと朝のひと時を過ごしたのでありました。
部屋に戻り、荷物をまとめ、チェックアウトを済ませて外に出ました。
目の前にそびえ立つ京都駅を眺め、(今日は笑って広島に帰れるといいな)などととぼんやり考えながらJR奈良線のホームに歩みを進めました。
京阪の神宮丸太町駅に着いた時、(このまま出町柳まで乗っていくのもつまらないなぁ)と感じた私は、下車して北部キャンパスまで歩いて向いました。
美しい鴨川沿いを闊歩しながら「アレがかの有名な鴨川デルタか!」などと呟き、夜は短し歩けよ乙女を参考に華のキャンパスライフをとりとめもなく夢想していました。
出町柳駅の交差点を右折したのち、今日は寄り道せず京大まで一直線に歩きました。
開場とほぼ同時刻に試験会場へ到着し、階段を昇り戦場へと着席しました。
持参したシステム英単語と京大英語25か年をパラパラと流し読みして、頭を英語モードへカチッと変換しておきました。
口パクで英文を黙読して脳と血の巡りを活性化させ、試験開始直前にカバンに荷物をしまい込みました。
3教科目はポイントゲッターの英語であります。
英語は京大入試で一番自信のある科目であり、ココで良い流れを作り、最終科目の理科に弾みをつけようと意気込んでいました。
3教科目:英語
試験が始まり問題を開くと、私は度肝を抜かれる事となりました。
京大恒例の和文英訳が、なんと自由英作文になっていたのです!(註:自由英作文導入初年度の年でした)
おまけに、『積読』について述べる問題が出題されたにも関わらず、私は積読とは何か、そもそも聞いたことすらありませんでした。
あわや勝負を投げ出してしまいそうになるも、
まぁ、とりあえず特異な英文和訳から始めるか。英作文はとりあえず見なかった事にしよう笑
と、出来る箇所から手を付けていく作戦にしました。
中三の頃から沢山トレーニングを積んできただけあって、英文和訳はかなりスムーズに処理することができました。
事前に考えていた時間配分の8割程度の時間で終わらせられ、度肝を抜かれた英作文へと取り掛かりました。
私の記憶では、
- 積読とは何か、外国人に分かりやすく説明する問題
- 積読に関する受験生の意見を問う問題
こうした感じの設問だったように思います。
ま私の場合、前述の通りそもそも”積読”という言葉を聞いた経験がなかったので、(一体何を書いたら良いものか)と頭を抱える事となりました。
あーでもない, こーでもないと10分ぐらい迷ったのち、”積読”という言葉の意味を自分で定義することに決めました。
(京大の先生なら少々テキトーな答案を書いても面白がってくれるだろう)と考えまして、①については『学校の授業中に自身の机の上へ教科書をバリケード状に積み、先生から私の手元を見えなくした上で他の勉強をする』といった趣旨の英文を丁寧にしたためておきました。
また、②については確か、『それはとても良い事だと考えている。先生は受験の結果に責任を持ってくれないのだから、勉強する内容は自分で選ぶべきである。授業中のnaishokuを咎める先生はまず、自身の授業の質向上に努めてはどうか?』といった趣旨の英文を書いた記憶がございます。
記述欄を空欄にして出すのではなく、めちゃくちゃな内容でも何か書いて出せば1点ぐらいは貰えるかもしれません。
そういった甘い期待を抱きながら心を込めて英文を書き、スペルミスをチェックし終わった時、試験終了の合図を聞きました。
試験の手応えとしては悪くなく、自由英作文の結果次第では6割越えも期待できました。
最後の理科に向け、まずまずのスタートが切れたような気がしました。
英語は200点中115点の出来でした。
昼休み
昨日と同様、北部キャンパスを散歩しながら食事を摂ろうと思っていると、LINEに京大工学部を受けていた高校の友人から「時計台前で話しよう!」と連絡が届きました。
ちょうど自分も誰かと話をしたかった所だったので「いいよ!」と返事し、コンビニで購入してきたおにぎりとサンドイッチを頬張りながら、のっそりと本部キャンパスまで歩いて行きました。
指定された場所で待っていると、待ち合わせ相手の彼がやって来ました。
試験の出来を聞いてみると、国語と英語は良い出来で、彼も数学で大撃沈したようでございました笑
また、双方とも”ラストの理科が勝負”という認識でおおよそ一致していました。
「お互い頑張ろうな!」とエール交換し、他にたわいもない話をしたのち、それぞれの試験会場へと戻りました。
最終科目は長丁場。3分で完成するペヤングカップ焼きそばを60杯も作成できる長い長い大戦 (おおいくさ)であります。
180分間最後までエンジン全開で駆け抜けるべく、カフェイン入りのエナジージェルを一本摂取して頭を覚醒状態にしておきました。
手持ちの問題集を流し読みし、物理と化学の知識をすぐ取り出せるよう、血液を前頭葉の表層へと局所集中させておきました。
また、最初は物理から解き、のちに化学へと移る予定だったので、脳内の知識のレイヤーもその順番通りに組み替えました。
そうこうしているうちに試験官がやって来て、教室の前でおもむろに試験準備が始められていきました。
私も教材をカバンにしまい込んで筆記用具を机に出し、臍下丹田に力を入れて集中力を徐々に高めました。
最終科目:理科
理科では6割を取ろうと考えていました。
物理・化学ともに6割を取り、200点中120点以上を取ろうと目論んでいました。
私の場合、京大農学部配点のセンター試験(現・共通テスト)の点数が350点中287点(82%)であり、農学部の合格最低点を630点と想定していたため、二次試験で340点前後取れば受かる計算でした。
二次試験を受けた手応えとしては
- 国語:5割前後?(50点)
- 数学:3割あるかな…(60点)
- 英語:5割~6割の間??(115点)
このような感じだったため、理科で6割獲得すれば勝てると踏んでいたのです。
合格が目前に迫ってきて、カフェイン効果も相まってか気分が一気に揚がってきました。
そのままの勢いで試験を開始し、怒涛の勢いで物理に取り掛かりました。
数学の時に私を襲った発作は影を潜め、心穏やかに問題を解き進められました。
ただ、どうもその年の物理が難しかったらしく、大問3つとも半分ぐらい解き進めたあたりではたと行き詰ってしまいました。
そこで、気分転換として化学に取り掛かりました。
計算問題や構造決定をスイスイと解き進め、どうにか7~8割程度解答できました。
試験時間がまだ30分ほど残っていたため、一点でも多くかき集めるべく、解ききれなかった物理の問題へと舞い戻りました。
結局、物理はあまり解き進めることができず、全ての空欄にそれらしい記号を書きこんでタイムアップとなりました。
物理/化学の出来は、それぞれ3~4割/7~8割ぐらいだと感じられました。
合計で6割に届くか届かないかギリギリの所であり、合格可能性も(ひょっとすると受かったんじゃないか…?)と思えるぐらいにまで上昇させられたように感じました。
前日までの絶望的な状況を鑑みると、(よくここまで巻き返してこられたなぁ)と、少しだけ自分が誇らしくなりました。
自分の合格を祈念しつつ、試験官に答案用紙をお預けしました。
理科は合計で120点前後の成績でした。 (註:正確な数字を覚えていないのでアバウトな表現としております)
広島へ帰還
疲労困憊で試験会場を後にし、出町柳から京都駅までワープしました。
自動券売機で新幹線のチケットを購入し、お土産等には目もくれず、広島・博多方面のホームへと向かいました。
新幹線は非常に混雑しており、ケチって自由席券を買った私は新幹線内の出入り口付近で立って移動する事となりました。
ギューギュー詰めの車内で座席が空くのをじっと待ち、新大阪で大勢の乗客が下りた隙に急いで席を確保しに向かいました。
椅子に座り、一息つくと、解放感で頭がフワフワしてきました。
気が抜けたせいか、眠気が一気に襲ってきて、再び目が覚めた時には広島まであと10分という所まで迫っていましたた。
自分が不合格になっていようとは、この時の自分には想像もつきませんでした。
試験当日の手応えとしては、合否半々の手応えだった訳ですから…
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