こんにちは!札幌と筑波で蓄電池材料研究をしている北大工学系大学院生のかめ (D1)です。修士課程のときJASSOから借りていた第一種奨学金の返済が半額免除となりました。この記事では半額免除 (半免)となった感想と業績に関する内容を綴ります。
- 修士課程のJASSO第一種奨学金の返済免除を狙っている方
- 大学院で借りられる奨学金 (学生ローン)の知識が欲しい方
こうした方々にピッタリな内容なので是非最後までご覧ください。
それでは早速始めましょう!
全額返済免除を狙う過程で成長できたのは間違いない
半額免除になった私ですが、当然ながら狙っていたのは全額返済免除(全免)枠。M1・M2と2年間で計200万円も借りましたから、半額免除 (半免, 100万)と全免 (200万)とでは雲泥の差というわけです。もし全免になったならば、大学受験浪人時代に親に支払わせてしまった生活費&予備校代・合計100万円を親へ一気に返す予定でした。半免だと懐事情的にソレが厳しく、退院して娑婆に出てから自分の稼ぎで親へ仕送りするつもりでした。浪人時代、親にはお金や世間体の面でたくさんの迷惑をかけてしまった。それらを全て帳消しにする事は最早不可能なんだけれども、せめてお金だけでも親に返して「あの時はどうもありがとう」と言いたかった。
何としても全免を勝ち取るべく、修士課程の2年間は己の限界を幾度も超えて研究業績を積みに行った。出られる学会には全て出たし、査読アリ学術論文も筆頭3報&第三著者1報と合計4つの論文を書いた。おかげで学会賞を獲得できた[関連記事]。毎年全国で700人しかなれない日本学術振興会特別研究員DC1にも採用された[関連記事]。インパクトファクター24の超一流雑誌にも掲載された[関連記事]。修士課程の自分にこれ以上「頑張れ」と言っても頑張れないほど突っ走った。
専攻内での全免枠はたった1枠に限られていました。半免枠は何枠かあれども全免枠は1つだけ。私を含め、誰しも(あわよくば全免に…!)と願っている。だから1枠をめぐる競争は熾烈を極める。どれだけ頑張れば枠を勝ち取られるかは”神のみぞ知る”といった形。自分がどれだけ頑張ろうとも周囲も同じぐらい頑張っているので、諦めたらそこで脱落するバトルロワイヤルの状態でした。
授業で痛恨の一撃を食らう。コレが致命的な大打撃に
(自分は全額免除にならないのだろうな…)と予感したのはたしかM1の3月のことか。というのも、大学でのとある集中講義で『良』を取ってしまったからです。奨学金返済免除ポイントを稼げる項目の一つに【すべての講義成績が『優』以上であること】というものがある。大学院の講義は普通にやっていれば誰でも”全科目『優』以上”ですから、この項目でポイントを取るのは何ら難しくありません。しかし私はやらかしました。レポートを5つ課されていたのに4つしか出していなかったのです。残り1つもレポート自体はちゃんと作っていましたよ。ただ、そのレポートを講義担当へ出し忘れたのでやっていなかったも同然です。
成績が『良』となったのち、講義担当の先生へ「履修取り消しできませんか…?」と事情を説明すべく懇願に。しかし「そんな身勝手な理由で履修取り消しなどできません !(原文ママ)」と一蹴されてしまいました。私の一つ上の先輩が”『良』を取ったから”という同じ事情で履修取り消ししてもらった前例が。その事を伝えても「ダメなものはダメです」とあっけなく跳ね返されて終わりました。まぁ、私が同じ立場の教員であってもゴネられたら「レポート出さなかった貴方が悪いんでしょう?」と突き返していると思うんですよね。講義担当教員の私への処置には100%納得できます。
返済免除ポイント稼ぎのため血眼になったM2の一年
講義での不注意によりポイント獲得の機会は失われました。しかしまだ挽回のチャンスはたくさん残されていました。(何とかポイントを稼げないものか…)と一層研究へ励むように。「授業の項目でポイントを得られないなら研究の項目で満点を取ろう」と、学会と論文の両項目の点数を上げるべく血眼になって頑張りました。あまりに研究へ精を出した結果、ストレスでまぶたが痙攣し始め言うことを聞かなくなりました。挙句、M2の8月には自宅のトイレで喀血してしまいました。それでも何とか耐えられていたのは、自分のために全額免除を勝ち取りたかったわけではないから。人間誰しも、人のためなら限界を超えて頑張れます。自分のエゴを満たすためなら力は限界の範囲内にとどまりましょう。けれども、家族や恋人など大事な人を喜ばすためなら馬鹿力を発揮できるものです。
”どれだけ頑張っても全免は厳しい”と言われるまでもなく分かっていました。私のライバルは授業のポイントを落とすような不注意な人間ではありませんし、当たり前のように論文や特許、その他ボランティアなど様々な項目で点数を叩き出してくるのですから。それに加え、返済免除ポイント加算の仕組みは私に都合悪くできていました。論文をたくさん書いても論文加算ポイントには”上限”があり、学会にどれだけ出たとしても、ポイントの上限にひとたび達すればそれ以上の参加は”ポイントに加算されない”というのですから。つまり、論文や学会など一芸に特化するよりも、バランス良く幅広い分野で得点を稼いだ方が有利なのです。どこか一項目で満点を取るより、全項目で漏らさず得点した方が返済免除レースを勝ち抜けるというワケ。どうにかしてこの嫌な仕組みを力でねじ伏せてやりたかった。けれどもやはり敵わなかった。不注意で『良』を取った時点でレースから脱落していたのです。
反省はするけど後悔はしない
たった一度の不注意でもって急転直下に地獄へ墜落。大学に入って講義関連でヘマをやらかしたのがこれが初。一度のミスで100万円の獲得を逃し、(もっと注意しておけば良かったなぁ…)と反省しきりな毎日であります。ショックがあまりに大きすぎて前を向くのが難しいほど。体調を崩してまで研究に励んだあの2年間は果たして一体何だったのか?半額免除の事実を知った七夕の夜は虚空を見つめるしかできなかった。
自分の不注意は大いに反省せねばなりません。しかし、課題を忘れちゃうほど研究を頑張った点は素直に自分を褒めてあげたいです。そもそも私、大学院へは講義ではなく研究を頑張りに進学しました。奨学金の申請用紙にも「研究を頑張りたいのでお金を貸して下さい」と書いたような記憶があります。院生の本分たる研究へ150%で頑張れたことはささやかながら自分の誇り。専攻内の同級生の誰よりも多く論文を書いたのは厳然たる事実。今回の結果に対して一切の悔いはありません。しっかり反省はするのだけれども決して後悔は致しません。
【業績面】今回はライバルが手強すぎた。通常の年ならライバル全員が全額免除になってもおかしくない業績だった
個人的に、このたびの返済免除レースは自分とライバル2名とのデッドヒートだったように思います。三者が三様にポイントを稼いだのも大きな特徴と言えそうです⇩
- Aくん (仮):
キチガイみたいに我武者羅に学会へ出まくり学会賞を3回も取った - かめ (自分):キチガイみたいに論文を書いたし学会賞も1回取った
- Bくん (仮):論文に特許、ボランティアに受賞などオールラウンドな活躍ぶり
返済免除レースの勝者はAくんでもかめでもなくBくんでした。Aくんと私は半額免除、Bくんは全額免除でのフィニッシュです。やはり、一芸型ではなく幅広い項目で加点するのが重要なようです。あと、”講義のポイントを落とさない”などミスの少ない者が勝ちます。Bくんが勝つべくして勝った当然の結果だと言えますね。Bくん、おめでとう!意識が飛んでしまいそうなほど全免が羨ましくてたまらないよ…!
今回の返済免除レースはあまりにライバルが手強過ぎた。通常の年なら3人ともに全免相当の業績ですから、この代の競争がいかに激しかったかがお判りいただけるかと存じます。3人が同じ代に集まったのは「運が悪かった」としか言いようがない。ウジウジ気にせずスパッと割り切り、自分がやるべきことへ強烈にスポットライトを浴びせて集中して毎日を過ごしていきます。結果にこだわるのは言うまでもなく大事。それより遥かに重要なのが『自分の最善を尽くすこと』です。最善を尽くしてどうにもならなけりゃ仕方がないじゃありませんか。人事を尽くして天身を待つ、これからもこのスタンスを貫き通す所存です。
最後に
JASSO第一種奨学金の返済が半額免除となった感想は以上です。しくじり先生のかめによる
みんな、講義のレポートはちゃんと出そうね!
とのコメントでもって本記事を締めくくりたいと思います。
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