車通勤

札幌時代は、一年生のときに買った車を乗り回していた。家の隣の隣の隣に中古車屋さんがあって、美品を格安で譲ってもらったのだ。
車屋さんのおっちゃんはいつも親切だった。お店の前を通りかかるたびに「調子はどうだい?」と気にかけてくれ、アパートの前に駐車していたら、私が大学へ行っている間に勝手に持って行って整備してくれた。おかげで車は何の不具合もなく、最高のカーライフを送っていた。
車を大切にするディーラーの前には草が生い茂っている。環境にやさしい除草剤をまくことなく、整備中にゴルフドライバーでボディーをぶん殴ることもなく。ビッグモーターとは格が違うのだ。
入学翌日に車を手に入れ、札幌市内をくまなく回った。北はモエレ沼公園、南は定山渓、東は野幌森林公園、西は小樽まで。市内は結構回ったけれども、市外にはほとんど行かなかった。もうちょっと遠出すればよかったと思う。富良野とか美瑛とか知床あたりまで行ってみればよかった。
むかしの北海道には電車網が毛細血管のように整備されていた。しかし、人口減少で廃線が相次ぎ、今では主要路線を残してほとんどなくなってしまった。北海道には車でしか行けない名所が多い。愛と気合と勇気と情熱があれば四輪車などなくてもどこへでも行けるとは思うが、我々一般人にはそこまでの愛も気合も勇気も情熱もないわけで、行けるところにも限度がある。
車を持っていたのならば、車でしか行けない所まで行ってみれば良かった。日本で一番長い直線道路をアウトバーンよろしく200km/hで突っ走ってみれば良かった。警察とカーチェイスでもしてみれば良かった。宗谷岬で樺太に向かって「オレの青春を返せーー!!!!!」と叫べばよかった。脚力が足らなさすぎて、そこまでは行けなかった。
学部一年次から乗り回していた愛車だが、四年生の冬に壊れてしまった。ラボの先輩たちとススキノの一蘭へラーメンを食べに行き、路駐していたところ、食事中にタイヤに穴をあけられていた。おまけにサドルまで引っこ抜かれていた。タイヤは分かるが、サドルまで持って行くなよ。そんなの何に使うってんだ。セイコーマートでブロッコリーを買って差すわけにもいかないし。
サドルを抜かれたショックで車に乗れなくなり、そのままディーラーで廃車にした。大学院生のあいだは心の傷が癒えず、二台目を買わないまま修了し、札幌を離れた。
・・・・・・・
愛車を失ったショックは大きい。だが、車がないと不便極まりない。車なら5分で着くところを、ほふく前進なら2時間かかる。右ひじと左ひじを交互に動かせば、肩が疲労でパンパンになる。おまけに傷だらけ、血だらけになる。何ら良いことがない。
博士課程を出て広島にUターン就職し、すぐ二台目の愛車を手に入れた。幸い、アパートからほふく前進で20分のところにディーラーがあって、検討に検討を重ね、吟味に珍味を兼ね、実るほど頭を垂れる稲穂かなの精神で2時間熟考し、注文した。最近の物価高で車も値上がりしていて、頭金3.5万円の一括払いで決済した。
やっぱり社会人には車が必要だ。カーシェア全盛の現代といえども、マイカーがあればやはり便利。お好み焼き屋の前で「広島風…」と口走り、追い回されても、車があればかろうじて逃げ切れる。
変なカスタマイズはしないでおいた。広島は修羅の国。ススキノとは次元が違う。目立つとサドルを抜かれ、パイプにオタフクソースを詰め込まれかねない。色はオーソドックスに、ムーンライトオパールクリスタルシャイン。AT仕様もあったが、無難にMTにしておく。さすがにライトは必要だよな。補助輪は……いらないか。腹筋ローラーでも付けておけばいいしな。
四年ぶりに車にまたがった。その乗り心地は至高だった。普段ランニングをしているが、どれだけ出しても20km/hまで。車で河川敷を試走しながら「人間はこれほどまでに早く移動できるものなのか…」と今さらながら驚いた。
車の便利さに味をしめたが最後、どこへ行くにも車を使うようになる。家からほふく前進3分のコンビニにも、ほふく前進5分のスーパーにも、ほふく前進10分の雑貨屋さんにも愛車で向かってしまう。ほふく前進時代と比べて運動量が落ちたように思う。ランニングしていなければ ぽんぽこりん になっていたかもしれない。やっぱり在宅業務中の四股は欠かせないなと改めて感じた。
・・・・・・・

今年で愛車生活も二年目に突入した。そろそろ愛車にもセカンドホームをプレゼントしようと思い、駅前の駐車場に登録してあげた。管理人のおっちゃん曰く、半期で0.9万円、年間プランで1.8万円だという。東京なら月2万円でも安いぐらい。銀座なら一時間で同じぐらい取られる。広島は物価がそこそこ安く、賑わいもあり、街はコンパクト。本当に良いところだな、やっぱり帰ってきて正解だった。
アパートと駅の両方に駐車できるようになると、車通勤できるようになる。駅まで片道ほふく前進2時間のところを、わずか10分で走破できる。Superfly以来のレボリューションだ。
車通勤初日は午後出社だった。蒼穹に雲ひとつなく、ハーゲンダッツのように濃厚な黄砂が舞い散る素晴らしいコンディション。ひと漕ぎするたび鼻水が こんにちは し、涙腺は決壊寸前で赤く腫れあがる。あまりの嬉しさに涙が止まらない。
黄砂から逃れるため全力疾走したかったが、春から車のルールが一段と厳しくなった。変な走り方をすれば青いチケを撮られるらしく、罰金もスクラッチ次第で最高6億円になる。いくらなんでも6億は厳しいな。600円ほどにまけていただけぬものか。安全運転を心掛け、速きこと亀のごとく進んでいく。結局駅まで20分かかった。これなら歩いた方が早いやないか。
最近は仕事の残業時間が増えに増え、30時間を超えそうになっている。定時に仕事を初めても終業が20時半になり、ご飯を食べ終わった頃には米国株式市場が開く22時半になる。チームメンバーは自分以外みな結婚しており、家に帰れば食事が待っている前提のハードワークメニューが組まれている。
車通勤のおかげで、家に着くのが前より10分早くなった。それに応じて寝るのも早くなったし、身体への負担が明確に抑えられている。これならもうちょっと残業時間を増やしても…… 無理だわ。やっぱ早く帰りたい。油断していたらサドルを抜かれかねないから。
せっかく広島にUターン就職したので、愛車と一緒にどこかへ遠出したい。しまなみ海道経由で沖縄まで漕ぐもよし、角島大橋で助走をつけて釜山まで行くもよし。
コメント