広島生活春夏秋冬vol.24 二年目・10月|広島三原則による東京都併合と運勢ポールシフトに対する分霊箱の防衛術

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PHP

Hippopotamus

かつて通っていた学校では、通年総合成績下位30~40位の者を長期連休中に呼び出し、合宿形式で勉強させていた。我々はそれをセミナー合宿と呼んで、行きたくなくて行きたくなくて西野カナのように震えていた。成績下位の連中は「セミナーだけは嫌だ」「スリザリンだけは嫌だ」とテスト前に猛勉強していた。

私は中学受験を経て進学したのだが、受験で消耗しすぎたせいか、中一時代は燃えカスのようになっていた。勉強したくてもできない無気力の状態で、家での勉強時間は一日平均12分。天才なら12分でもなんとかなるだろうが、要領の悪い自分は順当に落ちこぼれ、下位をゆるやかに低空飛行していた。んで、落ちる所まで落ちて、中一最後のテストで、英語で下から10番目を取ったのだ。総合順位は、たしか225位/270人だった。

学年末のセミナー合宿に呼ばれるかどうかは、春休み直前に明らかになる。豪華ツアー招待者は終礼にて担任から「ちょっと残ってくれ」と呼び出されるのだ。運命の日は、肩をこわばらせて終礼を迎えた。心臓マッサージでも受けているんじゃないかというほど左胸が波打っていた。クラスで何人かが呼び出されたなかで、私は辛うじてセミナー入りを免れた。

夜、両親に満面の笑みで「オレ、セミナー行かんで良くなったけぇ」と戦果報告した。これでぐっすり眠れるわぁ、とぎゅ~っと背伸びして自室に向かった。扉を閉めたとき、両親がヒソヒソ何か話す声が聞こえた。なんか知らんけど、二人が焦っている。せっかくの吉事なのに、一緒に喜んでくれないのか。

寝入っておよそ30分後、父から「おい」と呼び出された。目をこすりながら父の前に立つと、般若はんにゃのごとき形相で凄まれた。「明日から家で勉強合宿を開くから覚悟しておけ」と一方的な通告を受けたのだ。このまま何の対策も講じず学年を重ねたら大変なことになるから、俺が特別に面倒を見てやる、感謝しろよと。寝ぼけて何が何だかよく分からなかったし、とりあえず早く寝たかったので、「おう」と返した。

成績低迷のボトルネックは英語だった。英語以外は100番台でまだ耐えていたけれども、英語に関しては常に200番台で地を這っていた。父は私をテイクオフさせるべく、くもんの基礎英文法テキストを題材に手取り足取り教えてくれた。I have a penからスタートし、hippopotamusの無限唱和を挟んで、Pen pineapple apple penも語源まで辿って実演してくれた。ありがとうございます。

そういえば、なんでhippopotamus(カバ)なんか何度も言わせられたんだろう。発音の練習にちょうど良いからかなぁ、などと何も考えずバカ正直にやっていた。父がなんか笑っているけれど、そんなの知るかと唱和した。カバ、カバ、カバ、カバ、カバ… あ、バカバカバカって言っていたのか。くっそー、いま気付いた。ほんと酷いな。

英語は厳格なルールに基づき行われるスポーツ。ルールを覚えなければ話にならない。逆に、ひとたびルールを覚えてしまえば、自在に使いこなせるようになる。初心者の段階では、英文なんか丸暗記してしまえばいい。私は暗記が大の得意で、写真記憶力を持っている。社会なんかは教科書ごと丸暗記して試験に臨み、おかげで好成績だった。そうか、英語も覚えてしまえばいいのか。英語って、暗記科目だったのか。

くもんのテキストをひと晩で丸暗記し、翌朝、父の前で数十分間何も見ずに英文暗唱した。バカバカバカと言わせた父も、さすがにドン引きしていた。我が家のセミナー合宿は、その日を境に休講となった。

父の手ほどきを契機に、二年次に入ってから成績が爆上がりした。どの科目も順位が垂直上昇し、特に英語は高一で学年首席になるほど伸びた。

*******

Ph.D.

英語の成績に自信を得た私は、自然と勉強を好きになった。ヒマさえあれば寝転がってhippopotamusのようにグダグダしていたのが、隙あらばhippopotamusのようにテキストを読むド変態と化した。北大に次席合格し、筆記試験免除で大学院進学したのち、学振DC1採用や国際誌への筆頭論文掲載を経てD進した。

D1の秋にイギリス留学した。残念ながら訪問先ラボの扱いがアレで、にっちもさっちもいかなくて途中帰国した。失意から立ち上がり、猛烈な末脚すえあしを発揮し、博士課程を一年短縮修了してPh.D.となった。

今からおよそ4年前、M2の9月に札幌デンドライトを開設した。学振DC1に内定した翌日に立ち上げ、これまでいかにぽんぽこりんの研究生活を送ってきたか書き残すために作った。当初は大学院を離れたら更新をやめるつもりだったが、いつの間にか広島生活春夏秋冬がスタートし、長期連載に対する熱意も生じて、寝ぼけてブログを書いていたら手が滑って2034年までのサーバー契約を更新してしまったことから、グダグダ今日まで書き続けている。

私にとって札幌デンドライトは分霊箱ぶんれいばこである。ヴォルデモート卿にとっての「リドルの日記」みたいなものだ。研究の合間に綴った与太話が、いつしか私という人間の正史になっていた。

命と同じぐらい大切なWEBサイトが、ハッキングの危機に曝された。

今月下旬、PHPのプログラムに重大なエラーが見つかった。最先端AIがセキュリティーホールを見つけ、愉快犯が「早く直さないと乗っ取っちゃうよ~」と煽ったことから、世界をひっくり返すほどの大騒動となった。サイトというサイトが緊急メンテナンスに入った。実際、会社からの帰り道に野生のネコチャンから激しく威嚇された。ブログを書いているWordpressもPHP言語ベースであるから、札幌デンドライトまでネコパンチに無防備になったのだ。

もし分霊箱を破壊されると、私の残機が1になる。残機が2あったからこそ命知らずなチャレンジができたのに、1になったらライフスタイルを根底から変えなければならない。

分霊箱を破壊しようと試みるポッター一味を探すべく、親愛なるデスイーターのチャッピーとClaudeを魔法界に特派した。案の定、ポッターはすぐ見つかった。東大寺大仏の鼻の穴のなかに隠れていた。ハーマイオニーはオックスフォード大学にいた。ロンはトッテナムのパブで泥酔していた。当然迅速にアズカバン送りとし、PHP騒動を数日で鎮静化させた。

ブログが守られたのは良かったのだが、私生活でも大変な不便を強いられた。メインバンク・北海道銀行のアプリが開けなくなったばかりか、広島就職して開設し、こっちの広島でも使っている中国労働金庫のアプリまで見られなくなった。おかげで給与が振り込まれてもお金を引き出せず、土日を卵と豆腐だけで乗り越える羽目になった。

さらには献血アプリまで開けなくなり、次回の献血を予約できなくなった。ああ、分霊箱があってよかった。

それにしても、皆、PHPに依存しすぎである。さすがに別のプログラム言語を使った方がいいって。PHP以外にも、PythonとかPPAPとかあるじゃん。ピコ太郎に聞いたら何でも教えてくれるよ。分かんないなら吉本クリエイティブ・エージェンシーにでも問い合わせればいいのに。ホント、どいつもコイツも報連相がなってないなぁ。社会人失格だわ、中学から出直してこい。

献血サイトに10回連続で弾かれ、ようやくパスワードの打ち間違いに気づいた。お前が悪いんかい。出直してこい。

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