こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究を行う工学系大学院生のかめ (M2)です。
これまで”研究室生活春夏秋冬”と称し、私のB4時代とM1時代を各月ごとに一つずつ記事にまとめてきました。
これからの12記事では、M2時代の研究室生活を振り返るべく、【研究室生活春夏秋冬M2シリーズ】を展開します。
博士進学予定者の研究室生活の一年間の大まかな流れを知りたい方にピッタリな内容だと思うので、ぜひ12記事ともご覧頂きたいと思っています。
それでは早速始めましょう!
後輩が入ってきた!
毎年4月になりますと、ウチの専攻では研究室へ新入生がやってきます。
去年は5名、今年は4名の新4年生がウチの研究室へ入ってくれました。
M1としてB4を迎えた際は(どうやって接すればいいのだろう…?)と戸惑いバタバタしておりました。
しかし、M2になった今年は昨年の経験を活かすことで、後輩との距離の詰め方や接し方についてあまり迷わず済みました。
ウチの研究室には社会人博士課程の方が2名いらっしゃるのですが、企業に勤めず専属で博士課程に属する方は一名もいない状態です。
したがって、私を含め、M2の学生が研究室学生の最高学年ということになります。
研究室の雰囲気は最上級生が作るものらしく、我々M2がダラけていては研究室全体が弛緩してしまいます。
最上級生として後輩の手本になれるよう、これから一層頑張らなくちゃいけないな
と気持ちが引き締まった4月でした。
学振DC1の申請書作成
私が所属する北大の場合、学振DC1の申請書提出期限が5/16と定められておりました。
ゴールデンウィークが明けてすぐ、自身の将来が懸かった書類を提出しなくちゃなりません。
提出期限に間に合わせるべく、春休みの間から研究計画を練りに練ってきておりました。
自分の中で”もうバッチリだろう”という所まで完成度を高め、指導教員へ書類を見せて多少手直ししてもらって文体を整えておきました。
ウチの研究室には過去に学振DC内定を掴んだ学生が居らず、指導教員自体も学振DCを取った経験が一度もありませんでした。
だから(ホンマにコレで大丈夫かなぁ…)と急に不安になってきて、いてもたってもいられなくなってきました。
そこで、同じ専攻で博士課程へと進学する他研究室の同期(Sくん)に声をかけ、互いの作ったDC1申請用申請書を見せ合いっこすることにしました。
Sくんの研究室は毎年コンスタントに学振DC内定者を輩出しており、DCに内定した先輩に見てもらったSくんの申請書から何か得るものがあるんじゃないかと思ったのです。
実際、Sくんの申請書は非常に理路整然としており、申請書から何かオーラすら感じられたほどでした。
私が知らなかったテクニックをふんだんに使って作られているおかげでものすごく資料が見やすかったし、研究全体の模式図からは夢と希望が溢れ出てきて「おぉっ!」と唸らされてしまいました。
そんな申請書を作ったSくんから「面白い申請書だね!受かるんじゃない?」と褒めてもらい、嬉しくなって本当に内定を取れる気がしてきました。
Sくんと学振DC申請以外の様々な情報交換をし、互いの健闘と幸運を祈って散会しました。
月末:Cell Pressから1か月近く、何のリアクションもないんだけど…
3月中旬にCell Pressから査読コメントが返ってきて、定められた返信期限ギリギリに査読対応コメントを送りました。
普通の雑誌ならばコレでめでたくアクセプト…となる所ですが、返信してから1か月近く、何の音沙汰もありません。
いったいどうしたの?何があったの?
このように、私は少しずつソワソワし始めました。
アクセプトなら「アクセプトっ!」、リジェクトなら「リジェクトっ!」とハッキリ言ってくれればいいものを、何も言ってもらえず焦らされっぱなしで気持ち悪くなってきました。
このまま無反応期間が続きますと、学振DC1の申請書の研究成果を記す欄へ当論文の事を書けなくなります。
『査読中』と書くのと『アクセプト済み』と書くのとでは天と地ほど評価が違ってきますから、いち早くアクセプトされて成果欄へ記述できる事を祈ってやまなかったわけであります。
まして、今回投稿した論文はIF40以上ですから、アクセプトされているだけでDC1内定が決まるほど圧倒的なインパクトがあるでしょう。
果たしてDC1申請前にアクセプトされるのか、それは次の記事にて書き記します。
次回予告
研究室生活春夏秋冬M2・4月編はコレで以上となります。
次回、M2・5月編では
- 学振DC1申請
- つくばへ5週間の実験出張
- 論文がリジェクト。あと一歩の所で散る
これら4つの内容でお送りします。
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