博士課程へ全く興味の無かった自分が博士進学を決断するまでの軌跡

札幌と筑波で電池材料研究をしている北大化学系大学院生かめ (D2)です。研究室配属前は博士課程になんて全く興味がなかったものの、自分でも気付かないうちにいつの間にか博士進学 (D進) を選択していました。人生って何があるか分からないですね。まさか自分が博士課程へ行ってイギリスへ留学をするだなんて当初は予測していませんでした。ひょっとすると、人生の最大の醍醐味は未来が誰にも予想できないことかもしれません。自分の将来を見通せず不安を感じる場面は多々ありますけれども、未来が分からないなら分からないなりにもがき苦しみ、打開を図ろうと模索する過程がまた面白いのです。

この記事では、博士課程へ全く興味の無かった自分が博士進学を決断するに至るまでの軌跡を記します。博士課程へ興味のある方にピッタリな内容なのでぜひ最後までご覧下さい。

かめ

それでは早速始めましょう!

当記事では、D進への意欲や気持ちを示すパラメータを『Dの意志』と表します。Dの意志は0~100までの101段階評価。私のDの意志がどのように上がっていくかに注目してお読みいただければ幸いです。

目次

B4【2020年4月~2021年3月】

研究室配属前:修士修了後、絶対に就職しようと思っていた [Dの意志0]

そもそも私には博士課程へ行く気など毛頭ありませんでした。博士課程は人生の墓場。”行ったら終わり、出て来られない”とさえ思っていたぐらい。

研究室配属前、研究室とはそもそもどういうものか知っておこうと思ってネットで検索。研究業界について調べていくにつれ、無給の博士課程生活、その後に控える地獄のポスドク生活など、様々なネガティヴな知識を得ました。博士課程まで行って授業料を取られなきゃいけないだなんて信じられない。わざわざJASSOから借金してまで行くような価値のある場所なのかな?と首をかしげました。アカデミアのポジションは任期制のものが大半。2~3年でクビになる職業に就いても自分の未来を設計する余裕がありません。

もしも博士課程へ行ったらこんな悲惨な未来が待っているのか… 誰が行くか、こんな所。修士課程を出て企業へ就職した方が絶対に幸せになれるはず。研究室配属当初は修士就職する気マンマンでした。博士進学の四文字が頭をよぎったことさえ無かったです。D進に何の魅力も感じません。どうしてD進する人がいるのか分からない。いったい何が楽しいの?

春~秋:徹底された放置プレーで反骨心が燃えたぎる [Dの意志0]

研究室での私の処遇は放置プレー。メインで扱う実験装置の使い方だけ教わって後は放し飼い状態。

どんな実験試料を使うか、どのような実験をするかでさえ一人で決めました。だって誰も面倒を見てくれなかったのだもの。先輩に何か相談を持ち掛けようにも、先輩がバイトで忙しすぎて研究室に姿を現さないから話せません。かといって指導教員は私の研究分野にあまり詳しくないみたいだから頼れないし… 自分の進む道を自分で切り拓き、成果が出るまで突き進まねばなりません。右も左も分からないB4の4月からこんな状態でした。自分の選んだ道が合っているのかどうかさえ不明瞭なまま進む日々は恐怖そのもの。もしも実験方針を間違ったら論文になりません。合っていなかったらどうしよう?卒論をかけなかったらどうしよう?石橋を叩いて叩き割るほどの用心深さで恐々としつつも実験をこなしていく毎日。

指導教員が研究室の学生みなに放置プレーをやっているのならまだ分かります。これほど徹底した放置プレーを食らっていたのはどうやら私だけだったみたい。流石に立腹。面倒を見てくれよ、と。同じだけの学費を払って通っているにもかかわらず、かたや手取り足取り面倒を見てみらい、かたや何の面倒も見てもらえず放置されている。扱いに格差をつけるにも”程度”というモノがあります。あまりに不平等。許せない。絶対にあの人 (指導教員)を見返してやる。徹底した放置プレーに己の反骨心が煮えたぎりました。先生をアッと驚かせるような凄い成果を出してみせるから待っておけよ…

冬:英語論文を出せた! [Dの意志10]

己の反骨心を推進剤に、膨大な量の実験を行いました。文字通り、命がけで実施。実験しすぎて死ぬことになったとしても構わないと思って遂行。ストレスが溜まり過ぎたせいで瞼が痙攣。おまけに腕まで痺れてきました。身体が私の言うことを聞かなくなったのです。それでも手を止めず、粛々と実験を継続。殉職覚悟の実験の結果、11月末には英語論文を書けるだけの成果をGET。指導教員にデータを送ったら大興奮で『論文を書きましょう!』と返信が来ました。やった。これで少しは先生を驚かせられたかな。

先輩には論文の書き方について助言やコツを教わりました。指導教員には私のグダグダの原稿を加筆・修正していただきました。1月初旬に国際雑誌へ投稿。2月の査読対応を経て、3月中旬に無事アクセプト。アクセプト直後、指導教員から『おめでとう!君は研究に向いているかもしれないねぇ^ ^』とのお言葉が。んなもん知るか。調子の良いことばかり言って私をD進させようとしたって無駄ですからね。ていうか、私のことなんてほとんど見ていなかったでしょ笑。研究の向き・不向きだなんて論文一報書いただけで分かるわけがない。

とはいえ、研究のプロから『研究に向いているよ』と言って貰えたのは嬉しくもありました。Dの意志はやや上昇。”博士課程?考えてみてもいいかな”ぐらいの関心を寄せる対象になりました。

M1【2021年4月~2022年3月】

春:アレッ、研究、なんだか面白いぞ… [Dの意志50]

論文出版でポテンシャルを認めて貰えたおかげか、M1からは私の研究へ指導教員が今までより少しだけ多く研究へ携わってくれ始めました。実験方針や論文の書き方等でアドバイスを乞うた際、有意義で的確な助言を下さるようになったのです。おかげで研究進捗の負担が減りました。今まで一人で背負っていた重圧を先生と二人で背負うことになり、心が一気に軽くなり、かる、楽になったのです。研究を楽しむ余裕が生まれました。実験試料に何を使おうか、どんな実験条件で実験しようかな…などと、データを出すまでの過程に面白さを見出せる余裕が生まれたのです。

そこでふと気付いてしまいます。「アレッ。研究、なんだか面白いぞ…」と。

B4までは研究なんてこれっぽっちも面白くありませんでした。苦しくて苦しくてたまらない、ただの拷問のような時間でした。暗闇のなか、行先を誰にも相談できず、手探りでおそるおそる進むのは辛かった。こんなしんどい営みを一生涯続けるだなんて無理。修士で終わりにしたい。研究が面白くなってくるにつれ、徐々に考えが変わってきます。この世に研究ほど面白い営みは他に無いのではないだろうか、と。うんうん唸って考える時間は確かに辛い。でも、その苦難を乗り越えたら、その先には人類未踏の知的フロンティアが広がっている。しかも、新領域の第一発見者になれる。おまけに、開拓者として論文に名を残すことも可能。知的好奇心と名誉欲が同時に刺激され、研究の虜になったのです。ヤバい、面白い。面白すぎる。研究する手を止めようにも止められなくなってきました。

夏:進路、どうしようか… [Dの意志70]

研究の面白さに開眼して以来、「博士課程へ行こうか/行くまいか」と毎日のように自らへ問いかけるように。D進したら研究を続けられる。まだ見ぬ新領域の第一発見者になるチャンスをも得られる。行きたいなぁ。博士課程へ行きたいなぁ… Dの意志は70。心はD進したがっていました。

しかし、D進は現実的に考えて困難。第一、いくらD進したいという気持ちが強くても、D進後の生活費を得られる見込みがありません。JASSOから第一種奨学金を借りる?三年間で400万円以上も?…ちょっと厳しいかな。400万円の借金を背負いたくはない。だったら学振DC1はどうか?コレもあまりアテにはできない。内定率は15%前後。6~7人に1人しか受からない制度へ内定する前提でD進を企てるのは危険。

あぁ、どうしよう。博士課程へ行きたいな… D進意欲は強いのに、お金がないせいで進学を諦めなきゃいけません。お金さえあればすぐにでもD進を決意するのに。お金、どこかに落ちていないかな。競馬でも当たらないかなぁ。いや、宝くじの方が可能性があるか。サマージャンボでも買ってみるかな… 進路決定の時期は着々と近付いてきていました。早く決めなきゃ。どっちにする?D進か、就職か。

秋:博士課程進学を決意 [Dの意志80]

M1の9月、勢いで進路を決めました。D進する。博士課程へ行ってやるぞ、と。

もしも博士課程へ行かなかったら、就職後、間違いなく後悔するだろうと思いました。就職後、企業で博士号持ちの上司を見て「D進しておけばよかったな…」と悔やむのが目に見えていたのです。仮に就職したあと博士課程へ入りたくなったとしても、企業が会社員博士の道を許してくれるかどうか分かりません。”D進するなら会社を辞めろ”と言われたとき、自分に会社を辞める勇気はおそらくは無いでしょう。会社にしがみつき、かつ、博士号ホルダーを羨望の眼差しで見続けるのです。そこで味わう辛さはきっと想像を絶するものがあるでしょう。

進学して苦労するのは分かっている。研究でも、お金の面でも、将来のキャリアパスでも途方に暮れるだろう。仮に博士課程でどれほどの苦痛が待っているとしても、D進せずに就職して後で後悔する人生の方が耐えられない。やらずに一生ウジウジ悩む未来より、思い切ってやってみて後悔した方が100倍良い。D進後の生活費は学振DC1を当てて稼いでやる。6~7人に1人の難関を突破する。是が非でも突破してみせる。

冬:北大のフェローシップに一期生として採択 [Dの意志100]

M1のクリスマスイブ、JSTの博士進学者対象フェローシップに内定。おぼろげな記憶では、私の代がフェローシップ第一期生でした。支援額は月15万円。暮らしていくには十分ではありません。けれども、生活費を徹底的に切り詰めれば生きてはいけるだけの支援額。D進後のお金の心配をしなくて済むようになったおかげでD進をためらう気持ちが消滅しました。ここまで来てようやくDの意志が固まり、進路がD進一択になったわけです。

最後に

博士課程へ全く興味の無かった自分が博士進学を決断するに至るまでの軌跡は以上になります。博士進学を検討中の方へ参考になれば幸いです。

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