【2年がかり】海外のビッグジャーナルへ論文がアクセプトされた喜怒哀楽の一部始終

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M1の2月初旬:”論文が査読に回った”との連絡を受けた

わが愛すべき指導教員曰く、Natureを始めとするIF40以上の雑誌では、投稿された論文の90~95%が査読に回される前にエディターによって蹴られるみたいです。

査読には時間がどうしてもかかるから、エディターはレビュアーの手間を考えて、投稿論文全部を査読に回すわけにはいかないのです。

また、投稿者としても他のグループに先を越されぬべく一刻も早く論文を世に出したいと考えているので、アクセプトされるにせよリジェクトされるにせよ、なるべく早い判断を期待しています。

その両方の願いを叶えるため、エディターがまず論文を読み、(コレはなんか凄そうな論文だから査読に回してみよう)と思った論文のみ査読に回る仕組みのようです。

そんな高いエディターの壁ですが、なんと私の論文はその壁を突破してしまったらしいのです。

(査読されたら儲けもの)程度に考え、面白半分でIF42の雑誌に出してみたら、もしかしたら載るかもしれないという所までステージが進んでいってしまいました。

もしこの論文がアクセプトされたら、私は博士課程卒業後、ポスドク期間なしで直ちに大学教員になれるだけの実績を引っ提げて公募に応募することができるでしょう。

国立研究開発法人のテニュア職(任期なし)に就くことも可能であり、無限に広がる可能性を想うと微笑みが止まらなくなってしまいました。

M1の3月中旬:一回目の査読結果。もしかしてこれ、アクセプトされちゃうんじゃない…?!

1月末に論文を投稿し、それから約40日後の3/12(土)に一度目の査読結果を受け取りました。

当時の私は博士進学を決めあぐねており、博士進学と就職を天秤に載せて比較するため就活に邁進していた所でした。

査読結果を受け取ったのは、関西の企業の最終面接へ飛行機で行くべく、札幌駅から乗った快速エアポートにゆらゆら揺られていた時でした。

おそるおそるメールを開き、英文を読み進めていくと、Reject!…ではなくきちんと査読してもらえているような文面でした。

”一度目の”査読は3人のレビュアーによって行われたようでした。

その概要としては、

  • 修正期間は3週間
  • 3人中2人がminor revision (”少しだけ修正すればアクセプトでええんちゃう?”って感じの軽めの要求)
  • 残りの1人がmajor revision (少々質問は多めだが、基本筋はアクセプト前提の好意的な要求)

このような形の査読でした。

指導教員も外部の研究機構でお世話になっている先生も「これアクセプトされるやつやん笑」と大喜びのご様子でした。

もちろん私も大喜びしたものの、今は論文よりも企業の最終面接のことで手一杯だったので、まずは最終面接で内定を勝ち取り、そののち査読対応に全力を尽くすこととしました。

かめ

ちなみに、最終面接ではその場で内々定を頂きました。「博士進学するかもしれませんが…?」と述べた所、「博士課程を修了するまで入社を待ちますよ」とまで言ってもらい、院試に受かって博士進学が決定した後には「研究を思う存分楽しんで下さい」と温かいエールまで送って下さりました

企業の最終面接から帰ってきて、それから3日後に学会発表(オンライン)を行いました。

論文に載せた研究成果をもとに発表を行ったのでかなり突っ込んだ質問にも対応することができ、幸運にも前述の優秀学生講演賞を受賞することができました。

そこからはディープインパクト顔負けの強烈な末脚を発揮して、怒涛の勢いで査読対応に集中しました。

春休みなので本当は青春18きっぷで日本縦断をやりたかったし、研究から離れて1週間ぐらい沖縄でボーっとリラックスしたかったものの、もしこの論文がアクセプトされたら電池業界の若きスーパースターになれるため、

  • 春休み返上は未来への先行投資だ…!
  • スターになれば後でナンボでも遊べるじゃないか…!

と腹をくくり、春休みを査読に全betしました。

私の査読対応の文章を校正にかけ、査読返信期限1日前の4/1に雑誌会社へ返送しました。

レビュアーの要求が高すぎてチョット何言っているか分からない文章も多々ありました。

しかし、周囲の方々やDeepL、そして偉大なるGoogle様のおかげでどうにか難局を突破しました。

M2の5月初旬:Accept…!!かと思いきや、2回目の査読に回されたとの連絡を受けた

わが愛すべき指導教員の経験則では、一般的なIF5程度の雑誌の場合、雑誌会社から「3週間程度で査読対応してください」と言われたらほぼほぼアクセプトされるらしいです。

もし雑誌のエディターにアクセプトの可否を迷われているならもっと長めの対応期間を与えられるし、”3週間”というのは雑誌側の(早くこの研究成果を世に打ち出したいっ!)という気持ちが前面に顕れている証とのことです。

ソレを最初に聞いた時、私は(コレで自分はスターの仲間入りか…!)と勝利を確信してガッツポーズしました。

レビュアーたちもアクセプト前提で好意的な査読をしてくれた(表紙に関するアドバイスまでしてくれた!)から、査読に返信してから2~3週間後にはアクセプト、もしくは再度minor revisionの返事が来るものだと当然のように思っていました。

しかし、待てども待てども返事が来ません。

我々の研究グループが査読に返信した1か月後(4月末)になっても返事が来ず、(いったい何があったのだろうか…?)と少しずつ不安になっていきました。

私が通う北大の場合、学振DC1の申請書提出期限は5/16までとなっていました。

このままだと提出期限までに論文がアクセプトされず、申請書の研究実績欄にも”投稿中”としか書けないので、

  • 早くアクセプトされてくれよ!
  • 一体全体どうなっているんだよぉ

と楽勝ムードがみるみるうちに崩れ去っていったのです。

DC1申請書提出期限の1週間前、雑誌会社から論文が2回目の査読に回ったとの連絡を受けました。

4月初旬から5月中旬までの40日間に何があったのかは分かりませんが、我々の論文のアクセプトの前にもうひと悶着あることだけは確実でした。

まぁ、そもそも投稿したのが最高峰の雑誌だから、レビュアーと何度もラリーするのは当たり前のことなのです。

(できればもう少し早めに連絡して欲しかったなぁ)とは思ったものの、このステージでアクセプトを賭けて戦えていること自体が奇跡なのだから、気長に査読結果を待ち、アクセプトを願ってパワースポットの動画を大量に閲覧しました。

この論文のアクセプトを願い、つくば出張中のM1の11月には、勝負の神様がいらっしゃる鹿島神宮香取神宮にお参りに行きました。

それに加え、同年12月には伊勢神宮へ行き世界平和まで願ったぐらいだから、神様や運気を味方につけた私が負けるなどとは全く考えてもみませんでした。

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