【高校時代】化学の教師が「学振が云々」と仰っていたような記憶が…

学振DCとの邂逅はなんと高校時代のことであります。高2のころ、学校の化学の先生が授業中に「学振DCが云々」と仰っていた記憶があるのです。日本での博士課程の厳しい境遇を学生に伝える文脈の中でふと”学振”が飛び出してきた。「学振DCを取れなかった学生は在学中に大変な思いをするんだ」と仰っていました。
高2当時の私は京都大学理学部を目指していました。宇宙好きだったので”天文学者になりたいなぁ”とぼんやり考えていたのです。学者になるには博士課程で博士号を取らねばなりません。そして、肝心の博士課程で金銭面にて大変な思いをする。加えて、学振DCで頂けるのは月にたったの20万円。お金を貰いながら勉強できるのは面白そうだとは感じたけれども、
かめ生きていくにはもっとお金が要るし、学者になれるのは実家が太い人だけなのかなぁ…
と悲しく思った記憶があります。
【B2後期】とある先生が講義中に「博士課程では給料を貰いながら研究できます!」と仰っていた


一浪の末に北大へ入り、二年次に工学部へと移行しました。そしてB2の後期、ある先生が「博士課程では給料をもらいながら研究できるんですよ!」と仰ったのです。(何だか聞いたことある話だなぁ…)と先生の話を静聴していたら…出ました出ました、”学振”の2文字が。「学振特別研究員になるのは結構難しいけれども、例年、ウチの専攻では一人以上採用されているから頑張ればなれるよ!」とのことでした。
その先生自身が学振DC1に採択された実績をお持ちなので説明に説得力がありました。自分も頑張ればなれるのかなぁと少しだけやる気になった覚えがあります。
また、その先生は講義中に研究の面白さを熱弁なさりました。
- 世界でまだ明らかになっていないことを自分で解明するスリル感
- 自分の発見が社会を変えうるとてつもない可能性を秘めていること
など、聞いているだけで胸が躍る愉しい話をして下さった。
B2当時、大学院へ進学しようと考えていました。B4の1年だけじゃ研究の面白さを見定めるには全く足らないと思ったからです。ただ、研究の面白さを懇々と説かれ、研究を生業にするのも良いんじゃないか?と思い始めた。「お金!お金!」と銭集めに奔走したって兆単位の資産を築くのは無理だし、ならば知的好奇心を満たすプライスレスな営みに人生を賭けてみるのも一興じゃないかと価値観が変わってきたワケです。
【B4後期】指導教員が「学振が云々…」と言い始めた


B2、B3と勉強を懸命に頑張りました。行きたい研究室が一つ見つかり、どうしてもソコへ配属されるべく成績が必要だったからです。努力の甲斐あり希望が叶い、B3の3月、無事に第一志望の研究室へ配属されました。
B4になりラボライフが始まりました。研究をするのに必要となる基礎知識の勉強から取り掛かり、論文を読んだり筑波へ出張へ行ったりとやりたい放題させてもらいました。己の内にみなぎるエネルギーをぶつける対象として、研究ほど相応しいものはありません。やれどもやれども終わりがないし、自分の努力次第でどこまでも行ける開拓者的感覚へ病みつきになりました。
土日もサルみたいに研究室へ来る私を見、B4の後期、指導教員が私へ「学振が云々…」と言い始めました。先生曰く、学振を取るには今ごろから少しずつ学振を意識して業績集めをしておかなくちゃねとのことだそうです。学振に申請する時期はM2の5月で、私としては動き出すには少々早いんじゃないかと思ったものの、あの人が言うなら間違いないかと先生を100%信じることに。
B4の1月には卒論発表の練習を兼ねて北海道支部の学会にて発表を行いました。3月には全国学会にて口頭発表を行い、同じく3月、国際誌に卒論の成果が筆頭著者として受理されました。
【M1】業績積立てのため血眼になって研究に励む


M1の一年間は血眼で研究に励みました。学振DC1採用のためには少しでも多く業績があるに越したことはありませんから、出られる学会にはすべて出たし、論文のネタになりそうな可能性を感じた実験は残さずやり尽くしました。
所属研究室のここ10年間の博士進学者はわずか1名。唯一の1人も体調不良で退学してしまったため、博士修了者のみならず、D進者ですらいませんでした。まして、学振DC1ホルダーなど居ようはずがありません。私の指導教員でさえ、学生時代に落ちてしまったほどです。とんでもない難関であることだけは分かりました。
学振DC1採用を目指すにあたって困ったのは、内定に必要な努力量が全く分からなかったこと。論文一報あればOK♪とか、受賞歴があれば強いね👍とかいった断片的な知識しか無かったのです。この世で”終わりなき努力”ほど辛いものはありません。頑張れども頑張れどもDC1に近づいている実感がなく、



ホンマに採用されるんかな。採用されなかったらどうしよう…
と吐きそうな思いで毎日研究室へ通っていました。



















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