三連休はガッキー三昧
先月の三連休は逃げ恥を一気に視聴した。今月も中旬に三連休が発生。また何かドラマを探して全話視聴してやろうと思い立った。Amazon Prime Videoでドラマを捜索。せっかくなら今月もガッキーが見たい。ガッキーを見ていたら心の波が穏やかになる。検索欄で「ガッキー」と打ち込む。逃げ恥の隣に出てきた『獣になれない私たち』を三連休の相棒に定めた。
ドラマの描写は、自分の人生へ到底起こりえないであろうロマンティックな場面ばかり。ボーッと何も考えず観ているだけで心へ潤いと栄養がもたらされる。「こんなこと、起こるわけがない」とスパッと切り捨ててしまうのは簡単。自分自身、高校時代まではドラマの何が面白いのかサッパリ分からなかった。年を少し重ねてみてドラマの持つ魅力に気付く。ドラマは現実生活へ期待感をプレゼントしてくれる。「こんなドラマチックな場面にひょっとしたら遭遇するかもしれない」との一抹の希望が生じる。もちろん、遭遇する確率は限りなく低い。遭遇する”可能性”があるというポイントが重要。人間は希望を持つことによってのみ存在する。希望を失った人間からは生命力が失われる。希望は人間に対し、どれだけ辛い出来事に打ちひしがれても蘇る活力を与えてくれる。希望さえあれば大丈夫。希望があれば何度だって立ち上がれる。自分のこれからの人生は、完治が見込めない脳の障害【ミソフォニア】に苦しみ続ける漆黒の日々。先行きが暗いのは百も承知。何か一つでも希望を見つけてこの儚い命にしがみついていかなければやっていられない。
ドラマの感想は脇に置いておく。アラサーの泥沼に片足を突っ込んだ理系博士大学院生がラブストーリーの感想を書いたって気味が悪い。そういうことは丸の内OLに任せる。私よりも彼女らの方がラブロマンスに関する語彙力が豊富なはず。とりあえずガッキーが本当に可愛かった。一時はマックスまでたまりかけたストレスゲージがほぼゼロ近傍まで下がった。論文執筆やゼミ発表用意 (*後述) などから完璧に現実逃避できた。本当に素晴らしい時間を味わえた。メンタルヘルスが随分と改善されたような気がする。獣になれない私たちの世界観に染まっていたくて、今月の週末はコレ以外のドラマや映画を一つも見られなかった。今後、この話以上に美しいドラマと巡り合える気がしなくて頭を抱えている。
はてさて、自分に元気を与えてくれたのは果たして、ドラマなのか、それともガッキーなのか?試しにアパートの部屋の東と西の壁にガッキーの写真を貼ってみた所、何だか妙に心身の調子が良くなってきて驚いた。どうやら、私に活力を与えてくれたのはガッキーさんだったらしい。そりゃそうだ、なんせガッキーは国宝級の可愛さだもの。ついでに南の壁にもガッキーを貼っておいた。北側には北海道神宮の木札がある。これで四方の守りが完全なものになった。
あーあ。今年で27歳になるというのに、壁へ女優の写真を貼ってしまった。まだ26歳だからセーフ、、とはならない。いったい自分はアラサーにもなって何をやっているのだろうか。もともと頭のネジは何本か外れていたが、博士課程に入って以降、まだまともだったネジが根元から腐って砕け散ってしまったらしい。そういえば、中学生のときも好きなアイドルの写真を壁に貼っていたような覚えが。たしか、AKBの大島優子さんのだったかな。高校生になってからは乃木坂の大ファンに。一期生の衛藤美彩さんが好きだった。大学受験は乃木坂のピアノアルバムCDを無限に再生して聴きながら乗り切った。乃木坂が居なければ浪人生活から脱却できたかどうか定かではない。自分の精神年齢はいつまでたっても15歳。見た目は大人、頭脳は子供。その名は、、限界理系男子大学院生。
人生最後の雑誌会
博士課程へ進めばもう雑誌会をやらなくて済むと思っていた。事実、D1からD2の前期までは博士学生の発表が免除されていた。しかしD2の夏、指導教員の気が変わり、博士学生も年に一度は発表せねばならなくなった。『最高学年として後輩へ良い見本を見せてやってくれ』とのこと。全くもう、なんてこった。お手本を見せたいなら先生が発表すればいいじゃないか。まぁ、年に一度で済むなら構わないんだけどね。修士までと同様、年に二回発表してと言われていたらおそらく大暴れしていた。
博士課程を早期修了する以上、ゼミで発表するのはコレが最後の機会に。人生ラストの雑誌会。どうせなら何かしらのチャレンジをしたい。難しい論文を取り扱うか、口で喋る言語をすべて英語にするか… 考えた末に両案を棄却。難しい論文をB4にも分かるよう伝えるのは困難。難解で理解の不徹底な箇所を教員らへ突かれたら炎上してしまう懸念が。英語での発表は現実的ではない。英語の原稿を用意するのも面倒くさいし、ただでさえ難しい内容を英語で分かりやすく伝えるのは至難の業。チャレンジするのは【資料製作期間】。どれだけ時間をかけずに発表スライドを作れるか試してやろうと思いついた。
野球ではピッチャーもバッターもなるべく体を開かないことが求められる。体を開かず我慢すれば、上半身と下半身との間にねじれが生まれ、身体から発されるパワーが増幅されるのだ。発表スライド作成も同じ。間に合うか間に合わないかギリギリのタイミングまで作成を我慢すれば馬鹿力が生まれる。尋常ならざる集中力でもって資料が一気呵成に仕上がるというわけだ。普段なら発表3週間前からスライドを作り始める。10日前には資料を作り終え、発表準備をして万全の態勢でもって本番に挑む。今回は論文を発表2週間前に選んだ。コレだけでも自分の中では前例がないが、そこから発表4日前まであえて何もせずに過ごし、3日前になってから遅ればせながら準備を開始。”ヤバい、間に合わねぇ!!!”と強烈な危機感を抱きながら論文を読み、資料を作った。自分でも驚いた。発表前日には仕上がっちゃった。発表練習をして資料調整する余裕もあった。本番は楽勝。ほぼ無傷で乗り越えられた。
今回のチャレンジにより、作業へギリギリまで手を付けない人の気持ちが分かったような気がする。作業を無理やり間に合わせた瞬間に脳内で分泌されるドーパミンがあまりにも快感なのだ。気持ちが良くって仕方がない。「間に合わせてやったった^ ^」と笑みがこぼれ、快楽物質がナイアガラの滝の如き勢いでもって大脳を満たしてくれる。麻薬やラーメン二郎と同じ。これは一度ハマったらクセになってしまいそうな感覚だ。とはいえ、会社へ入って以降もギリギリまで資料作成を我慢していては周りに迷惑。ブログ作成や資格試験の勉強など、誰にも迷惑の掛からない所でこの快感をまた味わいたい。ちなみに麻薬はやったことがない。オックスフォードの商店街脇で浮浪者のおっちゃんが気持ち良さそうに吸っている麻薬を近くで嗅いで一緒に気持ち良くなった程度。