北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
皆さんは学士課程から修士課程へ進む際、みなで手を繋いでエスカレーター式に上がってきたことでしょう。特に国立大学理系学部の方は何も考えず進んだのではないでしょうか。博士課程からは事情が違ってきます。同期の大多数が会社へ就職していくなか、自分を含めごく少数の人間だけが大学へ居残るのです。専攻内ではもちろんのこと、研究室内でも博士学生は少数派。寂しい思いをしている学生が全国にいらっしゃることと存じます。
あるコミュニティー内で過ごす時間が長くなるにつれ、だんだん居心地が良くなってきませんか?ヒエラルキーの中で一番下だったのが、少し上になり、やがて一番上に立つ存在になるから。一番上の代になった途端に自分がさも凄い人物になったかのような錯覚を覚えがちに。周囲へ横柄な態度をとって困らせるモンスターになる懸念も。そこで気を付けるべきは「井の中の蛙」。研究室の中で長く過ごしている博士学生こそ注意しなければなりません。
この記事では、博士課程で「井の中の蛙」になりがちな理由を解説します。博士学生の方やこれからD進する方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!
多かれ少なかれチヤホヤされて博士進学するから


日本の学生は博士課程へ進みたがりません。博士課程修了後のキャリアプランがイマイチ見えてこないからです。最近は博士学生の企業就職も珍しくなくなってきました。博士課程へ行ったら就職できない時代などもう遠い昔のこと。博士課程へ行けば苦労するのは確実。やっとの思いで学位を取ったとしても、金銭的な報酬面で特別な配慮がなされるわけではありません。会社へは博士課程へ行かずとも内定できるでしょう。だったら博士課程へ行かなくてもいいのではないでしょうか。
修士課程から博士課程へ直接進学する過程博士の数が減少傾向に。博士が減少し続けた場合、大学教員は研究室を運営できなくなり、やがては研究を進められなくなります。そこで、教員サイドは考えました。『学生へ博士課程へ行ってもらえないかな…』と。あの手この手を使ってD進を呼びかけます。「博士課程へ行ったら長く研究できるよ~」「企業で早く出世できるよ~」「キミは研究者向きかもしれないね~」と。私もM1のころ、指導教員からチヤホヤしてもらいました。まぁ、悪い気はしませんよね。褒められたりメリットを説かれたりしているだけだから自分にとって悪い話ではない。
私を含め、博士課程へ進学した方は、多かれ少なかれチヤホヤされてきたのではないでしょうか。自分のことを客観視できている人は大丈夫。褒められても「ありがとうございます」とだけ返してひたむきに努力していけます。指導教員の話をソックリそのまま信じてしまった方は危険です。自分がさも超有能かのように錯覚してしまう可能性が。
ただでさえ研究室の世界は狭いです。周りの世界から異質な価値観が流入する余地がほとんどありません。まして、ラボ内の人間関係は閉鎖的。似たような考えの持ち主が集まって、思考回路が硬直するおそれがあります。そう、博士課程は勘違いしてしまいやすい場所なのです。勘違いを勘違いと気付けぬまま一方的に増長させるおそろしさがあります。
ラボの中で孤立しやすいから


博士課程は自らを見失いやすい場所。ただでさえ勘違いの温床となりうるうえ、錯覚を加速させる要素がまだあります。
博士学生はラボ内ヒエラルキーの上位層に位置しています。トップがPI。その下に他の教員。その下がポスドクと我々博士学生です。いわゆる『上の下』といった所でしょうか。一番上ではないけれども、少なくとも上の方ではあります。特に、学生のなかでは序列最高位。博士学生の言うことであれば学部生はひれ伏して従うでしょう。
博士学生は研究室内で孤立しやすいです。
学士・修士の学生から見れば先輩。あまりなれなれしく話せる存在ではありません。教員サイドからすれば、博士学生は放し飼い状態。博士学生は研究者の卵。学位取得後は研究者として独り立ちできるよう、博士課程で実力をつけて欲しいと願っています。博士学生には研究について簡単には手を差し伸べません。助言する機会を意図的に減らし、博士学生へ独力で考えてもらう場面を増やしているのです。
博士課程は個性を伸ばせる場所。自らの強みを研究に活かして成果創出へとつなげる力が高まります。一方で、博士課程では勘違いが加速するでしょう。周囲に己の過ちをいさめてくれる人がいないからです。自分で自分の間違いに気付いて軌道修正できないかもしれません。内省の機会を持たない限り、行きつく所まで行ってしまって、研究でも人間関係でも八方ふさがりになるのがオチです。
よくも悪くも世間と隔絶された場所に居るから


研究は人類の未来を作る営み。社会の流行を気にすることなく淡々と行っていくべきもの。優れた成果は独創的。独創性は辺境から生まれます。現代社会の知的フロンティアはアカデミアの研究室内にある。ラボとは、世間から隔絶された、この世の中に存在する異空間なのです。
大学は社会の急速な変革とは無縁。ゆっくりと、少しずつしか変わっていきません。世界が生成型AIだとか自動運転んだとか言って騒いでいるいま、ハンコや印刷資料といったアナログな媒体の提出を求められます。時計の針が昭和後期で止まったまま微動だにしない組織なのです。大学は我が国のガラパゴス。そのうち天然記念物へ指定されるのではないでしょうか。
我々博士学生がいるのは、そんなガラパゴスのなか。世間との交わりが薄い奥地で生息しています。やることといったら研究ぐらいでしょう。流行に左右されず腰を据えて落ち着いて仕事を進められます。一方で、社会との距離が離れすぎているがゆえ、自らのことを客観視できなくなってしまいがちに。自分って凄いんじゃないのかな。もしかしてオレって天才?増長を食い止める要素がありません。しても自分の姿を一歩下がって眺められなくなり、あっという間に井の中の蛙になって堕ちていくのです。
最後に
以上、博士課程で学生が井の中の蛙になりやすい理由を解説しました。
博士課程は実力を高められる最高の場。有効活用できれば今後の人生にとって有用な時間の過ごし方ができるでしょう。一方で、自らを客観視できなくなった途端に成長は止まります。どれだけ早く「井の中の蛙」になっていることに気付けるか。そもそも「井の中の蛙」にならずに済ませるか。これらが強く問われる世界なのです。
博士課程へ進学したら、学会発表や海外留学を積極的に行ってください。まずは大海を知る蛙になりましょう。日本や世界の同世代がどれだけすごいかを目に焼き付けるのです。おそらく強烈な危機感を覚えるはず。「周りの人ってこんなにすごいんだ…」と愕然とさせられるかもしれません。危機感は成長の起爆剤になるでしょう。猛烈な内省と努力の果てに一皮むけた新しい自分と出会えますよ👍
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