北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
博士課程は辛かったです。四回連続での論文リジェクト。イギリス留学で研究失敗。期待に胸を膨らませてD進したのに、散々な思いを味わいました。修了できて心底ホッとしています。永遠に思われたあの日々にも終着点がありました。自分も無事にゴールへたどり着けた。大きな達成感を得られたのです。
学生生活で最も嬉しかった瞬間はいつか? 意外にも、公開論文説明会(公聴会)終了直後ではありません。私の幸福ゲージがMAXになったのは学位授与式にて。それまでジワジワと高まっていっていたのが、セレモニー中に爆発的な伸びを見せました。全身に鳥肌が立ったのです。感動しすぎて頭を抱えたのは、生まれてから初めてのこと。
この記事では、博士課程修了の感動は、学位授与式で遅れてやって来るをテーマにお話しします。大学院で苦しい思いを味わっている学生さんに希望を与える内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
公聴会終了直後は喜ぶ余裕が無かった


私の公聴会は、D2の1/31に行われました。札幌はウインターシーズンのど真ん中。毎晩20~30cmのドカ雪が積もる過酷な環境。公聴会の午後、雪が止みました。太陽が顔を出し、晴れ間すら見え、あたりが明るくなってきたのです。学位審査前から吉兆の予感が。(多分うまくいくだろうな)と前向きな気持ちで最後の試練へ立ち向かいました。
公聴会は、発表時間40分、質疑予定時間が20分。合計1時間の長丁場。肉体的に大変です。ずっと立ちっぱなしなものだから、終盤は筋肉の疲労でフラフラになります。精神的にも辛いです。専攻内の教授・准教授が私だけを見つめるなか、1時間プレゼンをやらなければなりません。矢のように鋭い質問も飛んでくるでしょう。うまく切り返せなければ炎上して、博士課程を『もう一年』やることになりかねません。
気合いを入れて臨んだ公聴会。
最初の発表時間40分を無難に終えました。懸念していた質疑応答も、一部の質問を除き、ちゃんと応対できました。想定通りの質問が多かったですね。質問が準備の定置網に引っかかってくれた。事前準備の通りにてきぱき捌いて難なく対処できました。結局、質疑応答は25分ほどで終了。予想よりも短かったです。30分か40分ほどかかると思っていただけに、あっさり終わってしまって拍子抜けしました。
私の見立てでは、公聴会を終えた瞬間、奇声を上げて雪山にダイブするはずでした。そりゃそうです。抑圧から解き放たれた自分がやることといえば雪山突撃しかないでしょう。
実際はどうか。ダイブしませんでした。奇声すら上げなかった。ラボの学生部屋で、魂が抜けたような顔をして自席へ座っていました。長きにわたる抑圧を耐え凌いできて、喜ぶ気力も無かったのです。解放の日が訪れたのを未だ信じられずにいました。公聴会にも続きがあるんじゃないか。もう一回やれと言われやしないか。起こりもしない最悪のシナリオへ恐怖しては唸り声を上げていました。
修了、確定


2月下旬。学部から八年過ごした札幌を離れました。向かう先は、地元・広島。Uターン就職に向けて、少し早めに用意を進めていきました。
3月2日、修了者の学生番号がオンライン掲示板へ貼り出されました。そこには私の番号も。一年飛び級での早期修了が確定したのです。
学位取得が決まった以上、もう研究をやらずとも構いません。自分の過ごしたいように春休みを好きに謳歌できます。予定を詰め込んでみてもいいでしょう。ドクター時代を全速力で突っ走った反動か、何かへ取り組む心理的余裕がありません。家でダラダラ。河川敷でゴロゴロ。何もしなくていい状態から幸福感を味わいました。日が経つにつれ、徐々に解放感が高まってきましたね。「ああ、本当に博士課程が終わったんだ…」と事態を納得するに至りました。
感動が訪れたのは、最後の最後。学位授与式にて


3月25日、学位授与式が行われました。一生で一度のセレモニー。レターパックで学位記を送ってもらうのでは後悔するでしょう。広島から札幌に戻って参加しました。家から大学まで7時間。遠かったですね。それでも行きたかった。
実は私、大学の卒業式に参加するのが人生で初めてでした。学部の卒業式はコロナ騒動で中止。修士の修了式は、研究出張につき不参加。最後にしてようやく参列できます。学士・修士時代の分までセレモニーの雰囲気を味わい尽くすつもりで北海道へ行きました。
北大の場合、課程博士を、学士や修士の修了者とは別格扱いします。他の学生が自由席ななか、博士号授与者だけ指定席制です。また、博士は壇上で研究科長から学位記を手渡ししてもらえます。おまけに、課程博士だけ、学位記ホルダーがタダで手に入る。学士や修士の学生は売店で1,200円ぐらい出して買わねばならぬところ、貧乏生活を送ってきた博士だけは無料で支給されます。最高ですね。苦労して博士課程まで進んだ甲斐がありました。
冗談はさておき。博士課程修了の感動は、セレモニーの学位記授与の瞬間に訪れました。
自分の名前が呼ばれました。起立し、壇上まで歩いて向かいます。工学院長から学位記を受け取りました。周囲から万雷の拍手を浴びながら一礼。頭を上げるまでの3秒間で、二年間の出来事が走馬灯のように脳内を駆け巡ったのです。
辛かった記憶ばかり思い出された。大学院をやめたいと千回以上は考えた。退学届まで用意していた。最も追い込まれていた留学からの帰国直後は、指導教員へ退学届を手渡す半歩前だった。そこからよく立て直した。よく飛び級までこぎつけられた。自分で自分を誇らしく思った。今日ぐらいは少し自惚れてもいいよね。えらいぞ、自分。よく頑張ったね…
壇上から降りた瞬間、泣きそうになりました。誇張抜きで人生史上最大の感動でした。苦しみが深いぶん、喜びも大きくなるもの。論文リジェクトも、留学失敗も、数えきれぬほどの理不尽な思いも、歓びに昇華されました。これまでの日々は、今日、この豊穣で贅沢な感情を味わうためにあったのかな。誰にも褒められることのなかった頑張りが、神様から祝福されたような気がしました。
苦しむ博士学生の皆さん、終わりの日を信じて突っ走れ!
博士学生の皆さん。いま、ドクターの過酷さにのたうち回っているかと存じます。苦しいでしょう。しんどいでしょう。耐えられないかもと思ったでしょう。
安心してください、博士課程にも終わりが訪れるから。学術論文を記せば終わります。博士論文を仕上げ、学位審査会で合格判定を受ければ解放されるのです。皆さんがいま味わっている苦しみは、学位審査会にて歓びに変わります。苦しめば苦しむほど後で幸せになれるでしょう。
苦しむ博士学生の皆さん。終わりの日を信じて突っ走ってください。無理のないよう息切れしないペースで。マイペースでいいから、走り続けましょう。三年も耐えられない方には早期修了をオススメします。私のように一年飛び級すれば苦しむ期間を短くできますよ。





















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