北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
博士課程へ進学(D進)したあと、待ち構えていたのは、まさかの地獄絵図。あまりの辛さに、D進を決めたあの日の自分を全力で殴りたくなったほどでした。
修士は天国。博士は地獄。まるでジェットコースターのように、大学院生活の風景が激変します。私が早期修了を目指した理由?シンプルです。「こんな暮らし、あと一年半も続けてたら死ぬ」と思ったから。せめて“あと半年”なら耐えられる…かもしれない。けど“あと一年半”?ムリムリ笑。たぶんラボの片隅で干からびていたと思います。
世界中の博士学生が泣きながら研究している理由には、何かしら再現性のある『法則』がある気がしてなりません。オックスフォード大に留学していたときも、現地の博士学生たちが皆、胃に穴が空きそうな顔で愚痴っていましたし。
この記事では、私が実体験から導き出した「博士課程が地獄になる7ステップ」を紹介します。
- D進するか迷っている人
- D進前に心の準備をしておきたい人
こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧下さい。
かめあまりにリアルで生々しい内容が含まれています。D進希望の学生さんは、読む前に心の準備を…
STEP1:指導教員から梯子を外される


D進前、指導教員はやたらと博士課程への進学を勧めてきます。博士号の意義。研究者としての将来性。世界を舞台にしたキャリア。まるで未来がバラ色であるかのように、ドクタードリームを語ってきます。
もちろん私も、自分の頭でよく考えました。「同期が次々と就職していくなか、自分だけD進して大丈夫なのか」と。最終的にはD進を選びました。D進しなければきっと後悔すると思ったからです。”いつか海外で働けたらいいな”という漠然とした期待もありました。
M1の9月、指導教員にD進の意思を伝えました。先生は満面の笑みで喜んでくれました。
D進した途端、態度が一変します。「博士課程に進んだのは君の選択だから、自力で頑張りなさい」。あれだけ熱心に進学を勧めておいて、そんなことをおっしゃるだなんて酷い。まるで私を“洗脳”でもするかのように、D進のメリットばかり吹き込んでいたはずなのに。研究の相談をしても、「まずは自分で考えなさい」と突き放される。ではと自力で進めていると、「もっとディスカッションが必要だ」と怒られる。頼ってもダメ。頼らなくてもダメ。一体、どっちなんでしょうか、先生…
STEP2:懐事情が思っているよりも苦しい


博士学生は概して貧乏です。これは日本に限らず、イギリスに留学したときも同じでした。
日本の博士学生が得られる収入の実質的な上限は月20万円。日本学術振興会の特別研究員(学振DC1またはDC2)になれば、その水準に達します。私は学振DC1に採用されました。D1から毎月20万円の支援を受けています。ただし、これは“手取り”ではなく“額面”。ここから税金や社会保険料が天引きされます。実際に手元に残るのは17万円弱。生活費、学費、奨学金の返済。すべて20万円の中でやりくりせねばなりません。
せめて月25万円あれば、もう少し心の余裕も生まれるでしょう。月20万円では節約生活せざるを得ません。何をするにもお金のことが頭をよぎる。苦しい。しんどい。ひもじい。あぁ、辛い。精神的なゆとりすら失われていきます。
STEP3:就職した同期が夏に帰ってくる (帰ってくるな)


D進直後、ラボでの地獄暮らしに慣れ始めた夏ごろ。社会人になった同期が大学へふらりと顔を出してきます。就職先の会社からOB訪問を頼まれたとか。旅行のついでに立ち寄ったとか。理由はさまざまです。
彼らはもう立派な会社員。新人研修を終えて現場に配属され、日々の業務に追われながらも社会に貢献しています。しかも月給は25万〜30万円。福利厚生を含めれば、実質的な収入はもっと多いでしょう。
久々に再会して、会話を交わすそのひとときは楽しい。しかし、彼らが帰ったあとが地獄。あいつらは社会を回している。自分はまだ何の役にも立っていない。途端に猛烈な虚無感に襲われるのです。まるで自分がゴミのような卑小な存在になった感覚がして泣きそうでした。
STEP4:研究が思い通りに進まず病む


おまけに研究が進みません。何をすれば進捗が出るのか分からない。迷路の中を手探りで進む毎日。
博士課程の研究は、修士時代よりずっと難しい。なぜなら、まだ誰も試したことのない方法で、新たな知見を得ようとするからです。中には先行文献がほとんど存在しないテーマもあります。参考にできる情報がない以上、自分の頭でゼロから考えるしかありません。実験をこなすだけでは不十分。実験以上に、考える時間の方が重要になります。
指導教員はそう簡単には助けてくれません。頼れる相手がいない。味方もいない。すべてを放り出したくなる。手を止めたとしも、誰かが代わりに研究を進めてくれるわけではない…
進捗が出ないことで、博士学生は少しずつ心を病んでいきます。過労、焦り、将来への不安。そのすべてが精神をじわじわと蝕んでいきます。体の怪我なら休めば治ります。たとえふくらはぎを肉離れしても、2〜3週間で完治するでしょう。心の傷は違います。塞がったと思った矢先に、また裂けてしまう。一度壊れた心は元通りにならない。博士課程では、ずっと頑張り続けなければなりません。一度メンタルが崩れたら、修了するまで悪化の一途をたどります。
私の場合、D進前とD進後の二度、ストレスで喀血しました。二度目のあと、メンタルが不可逆的に壊れたのです。それ以来、修了までのあいだ、ちょっとしたことで動悸や息切れが起きました。もう少しで三度目の喀血を迎えるという所でフィニッシュ。どうにか耐え凌ぎました。
STEP5:「自分は研究者に向いていない」と悟る


博士課程に進む人は、たいてい研究者に憧れを抱いています。「研究ってかっこいいな」「仕事にできたらいいな」と思ったからこそ、D進を選んだはずです。私もそうでした。頭を使うことが苦にならないタイプ。研究対象と1対1で向き合える時間は至福でした。指導教員の姿も憧れの対象だった。世界と渡り合う背中が大きく見えた。「いつか自分もああなれたら」と思っていたのです。
現実は違いました。
研究者とは、研究を生業にする職業。成果を出し続け、論文を書き、国際会議で発表する日々。成果が出なければ科研費も取れません。研究の手を止めると、その瞬間から“無価値”になります。研究は、順調な時期ばかりではありません。「どう進めればいいか分からない」という時間が長いのです。苦境を楽しむ余裕があればいいでしょう。博士学生や若手研究者にそんな余裕はありません。
10人中9人は苦境でのたうち回ります。私も苦しみぬいた者のひとりです。研究が行き詰まると、毎日が苦しくて仕方がない。将来に希望を見出せない。研究とかかわるたびに吐きそうになる。もう、頑張れないかもしれない。
研究者に必要なのは楽観主義。何とかなるさと思えなければ、論文がリジェクトされるたび、科研費が不採択になるたびに落ち込んでしまう。事あるごとにメンタルが揺れていては、長い研究者人生を乗り切れません。楽観力。鈍感力。私には、両方ともありませんでした。
STEP6:ビッグジャーナル行脚


博士課程における苦しみのひとつが「論文のリジェクト」。心を込めて書き上げた原稿が、学術雑誌から掲載拒否される。編集者の判断で弾かれることもあります。査読者による審議の末に落とされることも。リジェクトされるたびに胸の奥がズタズタにされます。まるで努力や人格までも否定されたかのような惨めな感覚に陥るのです。
個人サイトを運営している身としてはなおさら辛い。ブログでは、どんな記事も自由に公開できます。論文の世界では、掲載可否を他者に委ねなければなりません。どれだけ頑張って書いてもリジェクトされうる。編集者や査読者の“気分”で掲載されるか否かが左右される。理不尽な理由で落とされることすら珍しくありませんでした。
稀に良い成果が出るとどうなるか。指導教員がトップジャーナルへの投稿を求めてきます。NatureやScienceなど、採択率5〜10%の超難関雑誌。仮に掲載されれば、研究者としての評価は跳ね上がります。科研費も億単位で採れる可能性がある。ただし、学生にはほとんど恩恵がな。大学院在籍中の成果は、基本的に指導教員の業績としてカウントされるからです。
そうとは知らず、私たちはトップジャーナル挑戦の打診に喜んで応じてしまいます。やっと自分の実力が認められた。勘違いしてしまう。そう、本当の地獄はここから始まるのです。
ビッグジャーナルの厳しさは、採択率の低さだけではありません。一度リジェクトされても、別のビッグジャーナルへ再投稿が始まります。またリジェクトされれば、次のジャーナルへ。これを何度も繰り返すうち、論文を書く意欲そのものが失われていきます。「なぜもっと早く、格下の雑誌に投稿させてくれないのか」と、怒りがこみ上げることも。私が経験したビッグジャーナル行脚は、D1の後期からD2の前期まで続きました。アクセプトされるまでに半年以上かかりました。抑えきれないもどかしさと吐き気と闘い続ける毎日でした。
STEP7:大好きだった研究が嫌いになる


貧しさに耐え、孤独と戦い、適性のなさに打ちのめされ、論文地獄にもがき苦しんだ末。ついに、かつて心から愛していた研究が、心底嫌いなものに変わってしまいました。
修士課程までは本気で研究が好きだったはず。新しい現象を発見したときの興奮。アイデアが浮かんだ瞬間の高揚感。何度でも味わいたいと思っていた歓喜。いまでは「どうして研究なんかに執着していたのか」と首をかしげる始末。
研究に意味を感じなくなりました。社会の役に立つのは二の次。まずは自分の心が壊れずに済む生活を望むように。基礎研究で将来の文明を支える? そんな高尚な目標は他の人に任せます。当面の安定と安心を優先しなければやっていられなくなったのです。
企業に入る。開発職としてそれなりの収入を得る。それなりに充実した毎日を過ごす。アカデミアで日々苦しむよりも、企業へ行く方がずっとずっと幸福そうに思えました。研究職にこだわる理由が見つかりません。もう、何もかもがどうでもよくなっていたのです。
D進するまでは、まさか研究好きの自分が研究嫌いになるとは思いもしませんでした。博士課程は、研究好きがもっと研究好きになる場所だと信じていました。理想に満ちた楽園のような場所だと。博士課程は、楽園どころか『地獄』。誇大広告もほどほどにしてください。これまでの人生で、これほどまでに辛い時間を過ごしたことがありません。大学受験浪人の辛さなど比較になりません。あの一年を十倍にしても、博士課程の一年には到底及ばないでしょう。あぁ、苦しかった。よかった、修了できて。なんであんなところに行きたいと思っていたのだろう…
最後に
博士課程には、個人の努力だけでは解決できない問題が多く存在します。研究の進み具合も、論文の採否も、すべてが思い通りに運ぶとは限りません。多くの要素が運や周囲の環境に左右されます。進学を考える際には、相応の覚悟が求められるでしょう。直感や勢いで選ぶ道ではありません。選択する以上は、想像を超える困難が待ち受けている可能性を受け入れなければなりません。
博士号の取得が、将来のキャリアにとって不可欠だと確信できる場合にのみ、D進をおすすめします。明確な目的がないまま進んでしまうと、深い後悔を招くかもしれません。
私自身は、博士号を絶対に必要とする立場ではありませんでした。それにもかかわらず進学を選び、結果として大きな後悔を抱えることになったのです。もし過去に戻れるとしたら? 博士課程を選ぶことはないでしょうね。進学を決断する前に、まず進む理由を明確にすべきでした。進学理由が肚落ちしてから進路を判断すべきだったと感じています。






















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