北大博士課程を早期修了した化学系大学院生かめです。D2の12月に行われた予備審査会で滅多打ちにされました。
その日の記憶は今でも鮮明に残っています。審査室に入った瞬間から終了までの100分間、まるで別次元の時間が流れていたかのよう。厳しい質疑応答の嵐。全方位からの諮問へ応戦する中で、自分の研究者としての覚悟を問われることになりました。
この記事では、予備審査会で学生がボコボコにされる理由を記します。博士課程に在籍している方、これから進学を考えている方に少しでも参考になれば幸いです。

それでは早速始めましょう!
公聴会で不合格になれば、学生の研究業績カウントがリセットされるから


予備審査会の1~2か月後には、学位審査ファイナルラウンドの公聴会が行われます。正真正銘コレが最後。公聴会で審査員の諮問をパスできれば博士号が授与されます。公聴会で不合格になる学生はほとんど居りません。私の所属専攻でも過去十年間で一人も該当者が出なかったそう。ファイナルまで進めた人の大半がパスして博士号を得て出ていくのです。そもそも、公聴会まで進める時点で相当な力量の持ち主。力のある人が力を示して学位を得るのは順当でしょう。
仮に公聴会で失敗したらどうなるか?質疑応答でまともに答えられず、”不出来”の烙印を押されて審査に落ちちゃったら…? ここで書くのもおぞましい事態に陥ります。博士論文 (D論) 提出要件に加算した学生の研究業績がリセットされるのです。D論は過去の研究業績の集合体。頑張って記した学術論文の成果を各章へ収録します。研究業績がリセットされる以上、D論作成に使用した学術論文データの再使用はできません。この状態からD論を再提出して学位を得るには、またゼロから業績を集め直してファイナルへ挑むしかないのです。
仮に公聴会で不合格になった場合、まず間違いなくオーバードクター(OD)になります。D3で終わるはずだったのにD4で、いやD5、あるいはD6までかかるかもしれません。学振DCやJASSO奨学金などの金銭的支援はD3まで。ODしてから修了するまでの間、これまでの貯金を取り崩しながら、あるいは親から借金して生きていかねばならないのです。後輩が先に博士号を取って修了することもあるでしょう。OD期間の延長に伴い精神的負荷が増大し、気力が尽きて博士課程を続けられなくなって退学を選ぶ可能性も。
仮に予備審査会で不合格になっても研究業績はリセットされません。博士課程修了時期が半年から一年程度遅れるだけで済みます。予備審査会で審査員が学生をボコボコにするのは、学生に最終審査へ耐えうる力があるか否かを審査員が入念に確認するため。公聴会で落ちてリセットされたら学生が哀れ。本当に公聴会へ進出させて大丈夫かどうか、博士候補生の将来を想って慎重に見定められているのです。鬼の形相で審査員がボコボコにしてくるのは、審査員が学生の将来を想う優しい方々だから。我々審査対象者は、先生方の恩情に感謝しなければなりません。
不出来な学生を最終審査に進めさせれば、審査員の沽券にかかわるから


予備審査会の審査員はD論の主査と副査。私の場合、主査一名と副査三名の計四名に審査されました。公聴会の審査員はもっと多いです。主査や副査に加え、所属専攻内の教授や准教授ら10人程度が審査員として参加します。予備審査会の合否判定はD論の主査と副査で下します。公聴会の合否は主査と副査と審査員全員で判断する。
審査員が予備審査で最終審査へのGOサインを出したら、ある程度は学生の力量を認めたことになりますよね。”最終審査に耐えうるだけの力を有す”と見なしたから合格判定を出したのですから。その後、最終審査に進んだ学生が公聴会で大炎上すればどうなるでしょう?公聴会終了後、公聴会のみ出席する先生方から主査と副査へ非難の声が噴出します。「先生方は予備審査で何を見ていたのですか?」「なぜこの程度の出来の学生へ合格判定を出したんですか?」と。
予備審査会を構成する先生方の立場になって考えてみましょう。審査の質に疑念を持たれて嬉しいはずがありません。先生自身の研究力まで遠回しにバカにされているように感じるはず。プライドが傷つき、非難してきた先生との人間関係がズタズタになって崩壊することでしょう。主査と副査の沽券にかかわるに違いありません。人前でメンツをつぶされることほど大人にとって辛いことは無いのです。
先生方は、ご自身の誇りと矜持を守るため、不出来な学生を最終審査に進めさせるわけにはいきません。博士候補生を様々な角度から諮問して学生の力を推し測り、”これならきっと大丈夫だろう(他の先生から文句を言われないだろう)”との安心感を得たいのです。
【通過儀礼】予備審査会とはそういうものだから


学位審査会には通過儀礼的な側面があります。先輩博士からの厳しい洗礼を乗り越え、そこでようやく博士コミュニティーへの仲間入りを果たせるのです。我々に対して厳しい声を投げかけてくる先生方も、我々と同様、学生時代に別の先生から洗礼を浴びせられてきました。その先生は別の先生から、その先生はさらに昔の先生によって手厳しい洗礼を受けてこられたのでしょう。学位審査会でボコボコにされるのは、学位審査会がそういう場だから。考えても仕方がない。そういうものだと受け入れて臨むしかありません。
先生方が学生に試練を与えるのは、先生自身が過去に同じように滅多打ちにされたから学生にもやっているだけ。ただそれだけです。深い意味はありません。博士課程に代々伝わる因習のようなものだと捉えてください。この伝統芸能を引き継ぐかどうかはあなた次第。私がもしも何かの縁で学位審査員になったら、おそらく博士候補生を泣くまで徹底的にボコボコにすると思います笑
まとめ
予備審査会は、単なる研究成果の審査の場ではありません。それは、博士としての適性を厳しく問われる場であり、同時に研究者としての覚悟を試される通過儀礼でもあるのです。審査員による厳しい指摘は、実は学生を守るための配慮。公聴会での致命的な失敗を防ぐためのセーフティネットとして機能しています。予備審査会で容赦ない質問を浴びせられるのは、審査員の方々が私たち学生の将来を真摯に考えてくださっているからこそ。この伝統は、研究者コミュニティの中で脈々と受け継がれてきました。
予備審査会に臨む後輩の皆さんには、この場が持つ深い意味を理解した上で、強い覚悟を持って臨んでいただきたいと思います。
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