北大博士課程を早期修了した化学系大学院生かめです。
博士課程で起こった重大アクシデント四部作をお送り中です。この記事ではアクシデント三作目として、D1後期に論文が四回連続でリジェクトされた感想とその対処法についてご紹介します。

それでは早速始めましょう!
論文が四回連続でリジェクトされた背景
M2の10月にIF24の国際誌へアクセプト
事の発端はM1後期にまでさかのぼります。
M1の前期に実験で良い結果が出ました。半年かけて成果を論文化。指導教員や国研の共同研究者さんと投稿先を相談。チャレンジの意味合いをこめて、まずはインパクトファクター (IF) 42の学術雑誌へ投稿する運びに。あの有名なNatureはIF50前後。IF42といったらNatureに匹敵する超一流誌。”本当に通るのか?”と首をかしげながら投稿。一瞬でリジェクト!…かと思いきや、なんと論文は査読に回されました。
査読者は合計三名。全員がポジティヴなレビューを返して下さりました。自分一人でも難なく対処できるレベルの指摘ばかり。このままアクセプトされるかと思いました。あまりに順調すぎて怖かったぐらいです。IF42の雑誌に論文が通ればスーパースター。自分もスター軍団の仲間入りか…と夢見心地に。
一流誌へはそんな簡単に通りません。一度目の査読をパスしたあと、すぐに二度目の査読が行われました。今度は別のふたりの査読者によるレビュー。一週間程度で返事が返ってきました。なんとここで『リジェクト』の判断。ふたりのうち一方が”リジェクト相当”との沙汰を下したのです。査読者五名のうち四名がアクセプト相当と言っているのに、ひとりでもリジェクトだと言ったらリジェクトになる。超一流誌への掲載とはここまでも厳しいものなのです。
二度目の投稿はIF38の雑誌。これはものの一週間でサクッとリジェクトされました。三度目の投稿はIF24の雑誌。こちらも数日でリジェクトされました。IF38とIF24の両雑誌から言われたのが「研究のレベルが低いから載せられない」ということ。箸にも棒にも掛かっていないから出直してこいという話。まぁ、レベル不足なら掲載拒否になっても仕方がありませんよね。レベル不足な自覚はありました。IF42の雑誌に査読していただけたのですら奇跡と捉えています。
一度はリジェクトしてきたIF24の雑誌が再投稿を促してきました。「この間はリジェクトしちゃったけど、もう一回投稿してくれたら査読に回すよ」と。
指導教員は再投稿を勧めてきました。査読に回るのが決まっているのだから投稿してみなければ損でしょう、と。自分はもっとレベルの低い、アクセプト確実な雑誌への投稿を希望しました。これ以上リジェクトされ続けるのはメンタル的に辛い。早くアクセプトされて楽になりたかったのです。先生と私とで揉めに揉めました。押し問答の末、メンタルの弱った私が競り負ける形となり、IF24の雑誌への再投稿が決まったのです。
再投稿後、すぐ査読に回されました。それから一か月ほどで返信が。査読者は二名。ふたりともポジティヴレビュー。2~3週間で返信してくれ、とのこと。私と共同研究者さんの二人三脚で査読対応を行いました。翌月、雑誌からアクセプトの通知が。M2の10月下旬、初回投稿から9か月後、三度のリジェクトを乗り越えてアクセプトされたのです。
また通ると信じている指導教員vs.絶対通らないと分かっている学生の私
ビッグジャーナルアクセプトから約一年。D1の9月に論文投稿の機会が訪れました。
今度の論文は自分でもなかなか気に入っています。今までで一番うまくまとめ上げられたような感が。実験成果も発展性も唯一無二。自身がやがて記す博士論文の根幹を形成するであろう骨太な一作です。
とはいえ、学術的なインパクトはありません。誰が見ても「おっ!コレはすごい成果だな」と感心するようなものではない。私と同じ分野に精通したごく一部の方に限って有用な知見。世界でも10~20人ぐらいにしか読んでもらえない可能性も。化学界全体に通じる大きなインパクトは見られないのです。そうである以上、ビッグジャーナルへのアクセプトなど見込めないでしょう。
研究成果の価値を最もよく理解しているのは誰か。他でもありません。データと長時間接してきた当事者の自分です。論文著者は、他の文献と照らし合わせつつ、成果の位置づけを把握しながら論文を記していきます。論文を書き進めていくにつれ、自身の作品にビッグジャーナルへ載せられるだけのインパクトが無いのが分かってきてしまうのです。
また、M2の10月に高IFジャーナルへ掲載された際、高IF雑誌に載せられるレベルの研究成果がどういうものなのかが肌感覚で何となく分かりました。今回の成果は、前にIF24雑誌へ載ったものよりも明らかに見劣りします。さすがに今回はビッグジャーナルへの投稿は無理。投稿しても落ちる。時間の無駄になってしまうだけ。だったら最初からアクセプトが確実な標準的雑誌に投稿した方がいい。
指導教員の見立ては異なりました。「今回も良い成果が出たね!ビッグジャーナルへ出してみようよ♪」と。
私が今回記した論文は、パッと見ただけならかなりのインパクトがあります。分野に通暁している方がよく読み進めてみれば、実は研究レベルがたいしたものではなかったとの理解に至るでしょう。指導教員は私の専門分野にあまり詳しくありません。分野の素人であるがゆえに私の研究成果が凄く見えてしまうのです。おまけに指導教員には、一年前に私の論文をIF24の雑誌へ通した成功体験があります。”今回も同じように通るだろう”と楽観視していました。
たった一度の成功体験を再現できるとは限らないのに。IF24の雑誌に通ったのなんて偶然なのに。再現性を期待しても仕方がない所で奇跡がまた起こると確信しておられて厄介でした。
ビッグジャーナルにまた通ると信じる指導教員vs.ビッグジャーナルに通るわけがないと確信する私。投稿先で再び揉めに揉めました。今度ばかりは譲れません。出すたびに落とされる『アカデミア・春のリジェクト祭り』開催が確実視されましたから。リジェクトで痛手を被るのは自分だけ。配下に学生が何人もいる指導教員にとって、私の論文が通らないからといって痛くも痒くもないのです。
今度は三日間粘りました。この論文には博士課程修了要件の充足が掛かっています。早くアクセプトされてくれなければ困るのです。ビッグジャーナルになど挑戦しているヒマはありません。
押し問答の末、またもや寄り切られました。IF15前後の一流誌への投稿が決まったのです。最初はまたIF30以上の雑誌へ投稿する運びになっていました。「それだけはホントに勘弁してくれ、絶対通らないから」と熱弁して投稿先のIFを下げた形。IF15とはいえ難関に違いはありません。カンタンには通らない。私の凡庸な論文が通る期待は微塵も抱けませんでした。
ビッグジャーナル行脚したときの感想


最終的に、今回の論文は四回連続でリジェクトされました。五度目の投稿でようやくアクセプト。初回投稿からアクセプトまで半年以上もかかったのです。
一度目の投稿はIF15の雑誌。投稿から2日で瞬殺されました。「研究のレベルが足りていない。もっと専門的な雑誌へ投稿してはどうか」とのコメント。そりゃそうだ。そんなの指導教員以外は分かっていたよ。背伸びして投稿するからこうなるんだ。アドバイスに従ってIFを下げようよ。
IF15の雑誌編集者からトランスファーのお誘いが。同じ学会が発行している専門誌をふたつ案内して下さりました。どちらかに投稿してくれれば確実に査読へ回してやろうとのこと。ありがたや、ありがたや。これで論文投稿は早期決着だ。
なんと、指導教員はトランスファーの誘いを断ってしまいました。「早く通すよりも、粘って高IFジャーナルへ載せた方が得だからね」との判断で(←”誰”にとっての得?)。ビッグジャーナル行脚が幕を開ける嫌な予感。前回みたいに連続リジェクトされるとうつ病になってしまうかもしれません。しかも今回の論文は前回と違って、成果本体にさほどのインパクトがない。ビッグジャーナルに出し続けて粘った所で蹴られまくるのがオチ。粘る方向性を間違えていますよ、先生。方向転換するなら今のうちですよ…
先生が次に投稿したのはIF19のNature Communications。IF15の雑誌に蹴られたあとでなぜIF19の雑誌なら通ると思ったのかな。
投稿してから二か月間、先生からは論文に関して何の連絡もありませんでした。もしかして査読中なのか。さては査読に回ったのか。期待して先生に尋ねたところ、「あぁ、アレならもうだいぶ前にリジェクトされたよ」と軽い調子でお返事が。リジェクトされたならなぜ伝えてくれないのでしょう。私、いま、博士課程に居るんですよ。その論文が通らなかったら永遠に修了できないんですけど。なぜ放置するの?なぜ黙っていたの?どうしてそんな軽いノリで人の運命を左右するようなことをするの?
今まで何をされても耐えてきました。研究室配属前に約束したのとは異なるテーマを渡されたときも、自分の意に反してビッグジャーナルへ投稿されたときも堪えてきた。今度ばかりは我慢できませんでした。先生に「何をしてくれるんですか?!」とブチぎれたのです。私が最も嫌うのは ”時間” を無駄にされること。お金や体力なら回復可能。時間だけは何があっても返ってきません。かけがえのない資源たる時間を、しかも博士課程での貴重な二か月間を奪われた。ふざけんなよと言いたいぐらいでした。先生と険悪になったら学位取得に差しさわるのでグッと堪えたけれども。
三度目の投稿はIF10の雑誌。まだまだ先生も懲りません。少しでもIFの高い雑誌へ何とかして通そうと画策しておられます。案の定、一週間でリジェクトされました。同系列雑誌へのトランスファーも例のごとくお断り。
四度目の雑誌はIF9の雑誌。先生の「今度こそは通るから言うことをきいて🥺」との言葉を信じて投稿。一か月間の査読を経てリジェクト。先生は私の顔を見るのも気まずそうでした。あの~、あなたの話を信じましたけど、、、結果どうなりました?最初に私が言った通りになりましたよね。通るわけがないと言い続ける私を説き伏せ、強引に挑んだビッグジャーナル行脚は四戦全敗と焼野原状態。半年間もの時間が失われる、何の収穫もない挑戦となりました。
五度目の投稿でようやく私が希望する投稿先を選ばせてもらえました。IF4前後の標準的な雑誌。私の研究成果の掲載にふさわしい、身の丈に合ったジャーナルです。投稿したらすぐ査読に回されました。一か月後にふたりの査読者から返信が。両者ともポジティヴなレビュー。難なく処理して返信。それから一か月後にアクセプト通知が。初回投稿から八か月後、四度のリジェクトを乗り越えて終戦したのです。
事態をどのように打開したか


ビッグジャーナル行脚は回避できませんでした。投稿先を決めるのは指導教員。我が博士課程の命運を握っているのも先生。ヘタに逆らったら博士号を取れなくなります。どれだけ押し問答しても、最終的には指示に従わざるを得ませんでした。
私にとって最悪の事態とは何か。ビッグジャーナル行脚が延々と続き、いつまで経っても論文がアクセプトされない状況です。
博士論文提出要件を満たすには論文出版数稼ぎが求められます。論文掲載雑誌のIFは関係ありません。重要なのは「論文数」だけ。ビッグジャーナル行脚を続けても論文出版数は稼げないでしょう。アクセプト確実な雑誌へ投稿する方が博士修了へ近いのは明らかです。だから嫌だったのです。高IF雑誌へ投稿するのが。高IF雑誌へ通って得をするのは、学会に出たとき「オレIF24の雑誌に通ったんだよ^ ^」と自慢できる指導教員だけ。博士号が欲しい自分にとって、ビッグジャーナル行脚は泥沼でしかありませんでした。
私が博士課程で行ったのは、最悪の事態を免れるための精一杯なあがき。IF30以上の雑誌に投稿しようとする指導教員を止めてIF15で納得させる。Nature Communicationsに落ちたあと激怒する演技をして、IFを上げようとする指導教員へ待ったをかける。四度のリジェクトのあと、五度目の投稿では確実に通る雑誌へ投稿する。失われた時間は取り戻せません。少しでも早く論文をアクセプトさせ、この不毛な戦いをいかに終結させるか考えながら動いていました。
もしも自分が巧みな弁論術を持っていればどうだったか。きっと、ビッグジャーナル行脚突入前に指導教員を説得し、標準的雑誌への投稿を認めさせられていたでしょう。博士課程の半年間を無駄にすり減らさずに済んでいたのです。楽だっただろうなぁ。研究が好きなままだっただろうなぁ。消耗せず落ち着いて過ごせて楽しかったに違いありません。ビッグジャーナル行脚を通して研究と指導教員が嫌いになりました。己の弁論スキルの低さを呪うばかりであります。
最後に
博士課程在籍中に論文が四回連続でリジェクトされたときの出来事について綴りました。この出来事がきっかけで研究嫌いになりました。幼いころからの夢だった研究者になる道まで諦めるに至ったのです。
ビッグジャーナル行脚の後半、もうアカデミアに居続けるのですら嫌に。D1の1月から就職活動を始め、地元の民間企業で技術職を得ました。採用されたのは研究職ではなく開発職。研究はもう嫌。かかわりたくもない。研究とは縁のなさそうな開発職を希望して採ってもらえました。アカデミア脱出への意欲が高すぎて博士課程早期修了にも挑戦。無事に一年間の飛び級に成功し、一年早くこの環境から出ていくのに成功しました。
アカデミアから出られてホッとしています。自分には徹底的に相性の悪い場所でしたね。
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