共通テストの裏側

工学部棟では共通テストが行われた。金曜午後から日曜夜まで学生の出入りが禁止された。共通テストと二次試験では、大学教員らが試験監督に駆り出される。何年か前には指導教員が共通テストの試験監督に駆り出されていた(と愚痴を吐いていた)。工学部本棟から離れた我々の研究棟は、出入りが終日許可されている。年中無休で出入りOK。居室にベッドさえあれば泊まれる。大学のイスは固すぎて寝られない。睡眠をとるために柔らかいラグジュアリーチェアが欲しい所。
年末年始や土日と同様、共通テスト日でもお構いなしに研究室へ行った。最終審査会の用意を気持ち程度やった後、ブログ執筆へと全力投球。金曜は一万字、土日はそれぞれ二万字ぐらい記せた。作業進捗ペースが恐ろしいほど早い。集中しすぎて死ぬんじゃないかと思うほど。最近、生成型AIをいじりすぎたせいか、自分の創作速度がAI並みに高まった。AIの中の人をやれるかもしれない。今度、ChatGPTの中に入れてもらおうかな。
共通テストの問題を眺めてみた。日本史だけやってみたところ81点だった。受験で培われた記憶は八年経っても衰えていない。北大在籍中に日本の通史を繰り返し勉強していた成果であろう。英語のリーディングと数学なら9割は固い。国語の問題はちょっと意味が分からない。化学系大学院生としては化学で高得点を取りたい所。パッと問題を一望してみて、解けそうな箇所がどこにもなかったので何も見なかったことにした。
TAで後輩にブログ布教活動
後輩がインターンで道外へ出かけた。それに伴い、後輩がTA業務へ穴をあけた。後輩からラボメンバーへ代理役を募られ、自分がすぐに手を挙げて採用された。
TAはM1のとき以来3年ぶり。私がTAを担当した学年は、いま研究室でM1として活躍している。自分自身もB2のとき、ガッキー似の美人な先輩がやっていたTA講義に惹かれ、その人の居る研究室を選んで配属された。結局、ガッキーさんは自分と入れ替わりで民間企業へ就職していなくなっていた。このように、TAの存在は多かれ少なかれ進路にも影響する。「所詮はTAでしょ」と手を抜くわけにはいかない。
悪だくみの得意な自分のことだ。何の考えもなしにTA役を買って出るわけがない。演習問題の解説をした後、たっぷり1時間控えめに当サイトの宣伝活動を行った。B2は将来の有望な我が読者層。研究室配属後、大学院試験受験直前や博士課程進学の検討を加速する際に嫌でも見ることになる。ネット検索で札幌デンドライトと出会ったとき、「そういえばB2のころ、なんか怪しげなTAさんが一生懸命宣伝しとったなぁ…」と思い出してくれれば幸いだ。隅から隅まで読んで役立てて欲しい。良いこともドロドロとしたことも全部書いた。全て読んで理解したうえで自身の生活に還元してもらいたい。
いまB2の後輩が研究室配属されるのは14か月後。君たちが研究室へ入る頃までには記事をさらに充実させておくからね。博士課程と早期修了については合計100記事超の巨大ラインナップにする予定。これだけ記事を投稿すれば日本一の骨太サイトになるんじゃないかな。配属後から博士課程早期修了までの完全サポート体制を全速力で整えている。一年後までには大枠は完成しているはず。それまであともう少しだけ待っていてね。
自分は研究者になるのが夢だった。研究者になる前までに消耗しすぎて、夢を諦めざるを得なかった。後輩には、研究活動での消耗度合いを少しでも抑えてほしい。研究者の座をつかみ取るまでの間、研究者になれるだけの気力を残しておいてもらいたい。夢を諦めた自分の代わりに夢を成就させてほしい。当サイトの読者さんから一人でも研究者が誕生すれば、頑張ってサイトを創った甲斐があるというものだ。
わちゅごなダンスを覚えたぞ
年末年始、ブログ執筆の息抜きに「わちゅごなダンス」を見ていた。椅子から立ち上がって一緒に踊る。キレとリズム感と腕の角度を意識して映像の完コピを試みる。何十回も踊っていたら、いつの間にか体がダンスを覚えてしまった。今ではファイターズガールのダンスを見ずともひとりで踊れるように(気持ち悪い)。果たしてコレは何の役に立つのだろう。27歳理系男子大学院生(工学)のわちゅごなダンスなんか見て誰が嬉しいねん。
博士課程での後悔のひとつは、ファイターズの本拠地・エスコンフィールドへ一度も足を運ばなかったこと。
自分は生粋の広島カープファン。カープを愛し、カープにはさほど意識されていない男。カープ好きの広島野郎がファイターズへ鞍替えするなどあり得ない。しかし、ファイターズガールが目の前で可愛いダンスを踊ったら、あっさりカープへ反旗を翻して「F」の帽子をかぶるかもしれない。大好きなカープを応援し続けるためにエスコンへ行かない選択を下した。札幌駅と新千歳空港を往来するたびにエスコンが見える。天空に聳え立つ新球場を眺めては「行きたいなぁ」とこぼしていた。
重い腰を上げてエスコン遠征を決心したのが昨年11月。その頃にはもうプロ野球のレギュラーシーズンが閉幕していてチケットを入手できなかった。次にファイターズがエスコンで試合をやるのは3月。3月にはもう地元の広島で任侠新生活を始めている。結局、エスコンには行けずじまいになりそう。ファイターズガールと一緒にわちゅごなダンスを踊る機会もないだろう。行けるときに行っておかないからこういうことになる。少々無理をしてでも一度ぐらいは足を運んでおけばよかった。
スペイン旅行を諦める

2月と3月の胸算用をしてみた。引っ越しや新居の敷金・礼金等への出費を鑑みると、20~30万円足らない計算となった。あと二か月間、どれだけ頑張って節約してもお金が不足する。一万円や二万円ならどうとでもなる。十万円単位の不足はどうにもならない。打ち出の小槌でもあれば嬉しい。残念ながら、そのようなものを自分は持っていない。何か出費をゴッソリ削り取らねばならない。生活が破綻する前に応急処置が必要だ。
不要な本をメルカリで全て売った。メルカリへの出品が難しいものはブックオフで売却。全部で4万円ほどの収入になった。サッカーのユニフォーム20,890円を買う予定もキャンセル。DAZNの今シーズン視聴権購入30,000円分も見送った。それでもまだまだお金が足らない。あと十万円以上、どうやって作ればいいんだろう。
最後の最後に目を付けたものは、来月中旬に行う予定だったスペイン旅行。渡航費で15万円弱。ホテル代と食事代等を合わせれば25万円。コレだけはどうしても譲りたくはなかった。学生生活ラストで掴み取った海外旅行の権利をそう易々と逃したくはない。今回のスペイン行きを逸したが最後、会社を退職するまで海外旅行へ行けなくなるだろう。時間とお金と体力が奇跡的に揃ったD2の春休みに何も思い出を残せない。
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旅行をキャンセルすることに決めた。お金を用意するには旅行を諦めるしかない。
25万円あれば当座の金銭問題が解決する。新生活が始まって初任給が振り込まれるまでの間もどうにか凌げるだろう。幸い、航空便は全額返金可能プランで予約していた。宿へのお金もまだ返金可能期間だ。いま引き返せばお金を取り戻せる。海外へ行きたい気持ちはあったが、こればかりは背に腹は代えられない。
迅速に旅行の解約手続きを進めた。キャンセルメールが届いたとき、問題が解決されて安堵する気持ちと、旅行へ行けなかった無念とで複雑な心境になった。結局、八年間で一度も海外旅行に行けなかった。行きたいときに限ってお金が底を尽きていた。お金がそこそこあるときに限って忙しくて行けなかった。一度だけ経験した海外はイギリス留学。オックスフォードで散々な思い出しか残せずに途中帰国して終わった。
いま思い返せば、貧乏な自分に海外生活だなんて無理な話だった。海外へ出向けるのはリッチ層だけの特権。自分みたいなプアーマンがヘタに海外へ夢を見るから悲しい思いを味わわされる。もしも国内だけに目を向けてつつましく生活していれば、今ほどは金銭的に苦労しなくて済んでいただろう。博士課程で金銭的に苦労したのも同じ。研究は富裕層の道楽だ。貧乏人が日々節約して、やっとの思いで捻出したお金で進めていくものではない。研究をやるのは心へ余裕がある人に限る。余裕のない私のような人間が研究へ挑むから早期修了なんかを目指さなきゃいけなくなる。
…こんなことばかり言っていたらますますお金が逃げていくね。お金はお金が好きな人のもとに集まるから。会社員になったらたくさん稼いでやる。お金に汲々としなくて済む日々をつかみ取る。お金の悩みから解き放たれて、何のストレスもなく笑える和やかな毎日が欲しい。お金に苦労し続ける八年間だった。これからの八年間は、お金にモテてモテてモテまくる八年間にする。どうやったって彼女なんてできないからね。せめてお金にぐらいモテたって構わないでしょ。
3年以内に1,000万円貯める。5年で2,000万円、10年で5,000万円にする。7,000万円貯めたら仕事を辞める。ぽかぽか温かな海辺で一日中ゴロゴロしてのんびりと過ごしたい。
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