学位審査から一夜明けて
激闘から一夜明けて二月に入った。
博士になった実感がない。自分が博士だなんて信じられない。緊張感が未だ抜けきっていない。明日にでもまた公聴会がやってきそうな感じがする。博士課程の二年間はもちろん、M1から、いやB4から突っ走ってきた。毎日少なくとも英語論文を一報読んできた。多い日は10報読んだ。一週間の最多読破報数は35報。勉強するのが癖になっている。骨の髄まで勉強癖が染みついている。勉強したくてうずうずする。追い立てられるようにして学習してきた日々の副作用だろうか。
起床直後に慌ててパソコンをつける。「やばっ、勉強しなくちゃ💦」とモーニングルーティンへ取り掛かろうとした。少しでも研究戦闘力を高めねばならない。学位審査会で満足のいく応答ができるよう知識を蓄えておかなくては。昨日リストアップしておいた論文を開く。今日も何やら難しそうな論文だ。ちょっと何が書いてあるのか分からない。分からないなりに読もうと試みる。
おいおいおいおい、ちょっと待ちたまえ。戦いは昨日終わったんだぞ。今日から来月末まで何もしなくていい。論文を読む必要はない。質疑応答のための勉強もする必要がない。無理に勉強しなくてもいいんだぞ。自分は博士だ。もう学位を取った。たまにはゆっくりと朝を過ごしてみてはどうか。
……そうか、戦いは終わったのか。終わった、じゃないな。完全に終わった。
これから二か月は勉強する必要がない。激闘の疲れを癒して、会社での無差別級バトル・ロワイヤルへ備えねばならない。会社では最初の数か月に新人研修が行われるらしい。この期間はたいして頭を使わずに済むだろう。であれば、これから半年ぐらいはメンタルを癒す時間に充てられるかな。会社員生活が性に合えば、退職までずっと楽な日々を過ごせる。創造性を強く求められた博士課程と比べれば負荷は低いだろう。
それにしても、勉強しなくていいってこんなにもスッキリするものなのか。勉強はもちろん、仕事もしなくていい。研究関連のタスクはない。博士論文は事務へ提出済み。あとは製本会社に依頼して十冊ぐらい印刷してもらえば終わり。最後の投稿前学術論文は、指導教員らが査読対応してくれることに。自分の仕事はデータ提供のみ。先生や後輩が見てすぐそれと分かるようExcelシートを整理しておこう。
これまで、延々と続くTo Doリストを処理してきた。いったいどれほど頑張れば終わりが見えるのかとうんざりしながら頑張ってきた。リストの長さはシルクロードのごとく、仕事の追加頻度は機関銃のごとし。昨日をもってTo Doリストを不可逆的に焼却できたようだ。燃やす前にネコパンチして穴ぼこだらけにしてやればよかった。
研究室のデスク回りを片付ける作業が残っている。まぁ、書籍や論文印刷物の大半はそのまま後輩に押し付ければ済むか。きっと後輩も欲しがるだろう。「うわぁ~、飛び級を達成した先輩の読んだ本だ~!読みます、読みます、読みますぅ~ (*≧∀≦*)」って。そうかそうか。そんなに喜んでくれるか。だったら全部プレゼントするよ。好きなだけ持って行ってくれ。要らんかったらそっちで捨ててくれ。要らんって言っても押し付けるからな(←最低な先輩ですまん)。
博士(無敵の人)

仕事から解放された私は無敵の人になった。博士(無敵の人)。なんだかすんごく強そうじゃないか。国内外を蹂躙してやろうか。まずは羊ヶ丘のクラーク博士へ肩車してもらって好きな人の名前を叫ぶ。次に京大百周年記念塔の時計をこっそりイギリス時間に変える嫌がらせを。その足で京都の晴明神社へ参拝。「大増税を画策する財務官僚へ一生口内炎ができ続けますように…」と呪いをかける。
無敵の人に怖いものはない。なんせ無敵。スターモードになっている。いまならやりたい放題できる。博士課程の間に我慢していたあんなことやこんなことを堪能できる。さぁ、何でもやっていいぞ!念願の自由だ!何がやりたい?ねぇねぇ、何がやってみたい?
…驚いた。やりたいことが浮かばない。パッと思い浮かぶものが本当に何もない。抑圧期間が長すぎたせいだろうか。耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、検討に検討を重ねて数多の遊びを諦めてきた。早期修了するために数多の犠牲を払った。遊ぶのに罪悪感を覚えるほど追い込んできた。二年でPh.D.を取れた。その反面、多くの享楽と正常な感覚を失ってしまった。
研究や勉強関連のやるべき事ならいくらでも見つけられる。B4の後輩を博士号取得に至らせられるぐらいの研究テーマなら複数思いつく。読んで時間をつぶせる論文もごまんとある。ブログも同様。記事にしたいネタがたまりにたまっている。そういう話ではない。研究やブログ以外だ。今までやってきたこと以外に何かやりたいものは無いの?二か月間の自由時間を、自分は何色に染めるつもりなのだろう?このままではモノトーンになってしまうよ。何か、何でもいいから何か無いのか?
”何かやらねば”と思うから辛いんだよね。何もやらない時間があったっていい。今までさんざん何かをやってきた。空いた時間を作るまいと次から次へと仕事に取り組んできた。家や研究室でボーっと過ごす日があったっていい。「何もやらない」に挑戦してみよう。手持無沙汰に飽きたら散歩すればいい。雪の吹き荒れる外を歩いて雪だるまになりながら思索に耽ろう。
2月は博士(復員)。徐々に気力を回復させつつ、戦闘の場を離れて実社会へ戻る準備をしていこう。何かやるとすれば広島に戻った3月からかな。海外旅行もまだ諦めてはいない。NISA枠を使ったデイトレードを行い、3月末に東南アジア旅行できるお金を作れないか模索している。
入社準備
入社準備
何もしなくていい期間でも何かをしなきゃいけないのが博士の定め。4月から会社員になる。会社員になるための手続きを行った。
まずは社員証作成。必要個人情報を登録して写真をアップロードする。パソコンのカメラ機能で撮った。自分の顔とは思えぬほどやつれていた。これはいったい誰の顔だ?自分の顔か?ゾンビみたいじゃないか。もっとハリがあったような気がしたけれども。三年間ある博士課程を1.5倍速で駆け抜けるからこんな疲れ切った顔になる。自分の顔を見て休息の必要性を再認識。さすがに休まなきゃ身体がおかしくなるわ。
続けて住居を移る手続き。単身引越しパックへと申し込む。小さなコンテナ一台分へ入り切るだけの荷物を運べるらしい。自分はそんなにたくさんの荷物がない。冷蔵庫とレンジ、書籍、あとは衣類とパソコン用モニターぐらいか。さすがに冷蔵庫は捨てられなかった。北大生活八年目の夏にようやく手に入れた相棒には思い入れがありすぎて別れる気にはならない。大きめの段ボール六個と冷蔵庫だけのコンパクトな荷物に収まった。開封も楽だろう。ミニマリストの特権は引っ越しが楽なこと。
役所手続きもぬかりなく行った。転居届を出したり、マイナンバーカードの住所変更を行ったりした。電気水道ガスの転居手続きまで済ませた。最近は何でもオンライン上で行える。八年前は対面でしかできなかったのを考えれば便利な世の中になったものだ。ついでに学位審査会もオンラインでやってくれればよかったのに。一時間以上も立ちっぱなしはキツい。腰に悪い。貧血になりそうだった。
大学生活を終える実感
入社準備を進めていくにつれ、大学生活を終える実感が出てきた。本当に終わるんだな。終わってしまうんだ。
感慨深いというのとは違う。ひとつの時代が終わる一抹の寂しさなのか。もう少し学生のままで居たかった。気軽に何でもできる学生気分で居られたらよかった。早期修了など目指したくなかった。暗い過去を一閃するために飛び級せざるを得なかったからそうしただけ。力づくで一年のタイムロスを挽回した。D3の学生生活一年間で味わえたであろう喜びや楽しさを犠牲にして。
そもそも、人間は生まれつき肉体的制約へがんじがらめにされている。未だに空を飛ぶことができない。何百年も生きられやしない。衣服がなければ極地で暮らせない。言葉がなければ相手に意思を伝えられない。こんなに制約だらけの日々を過ごしていて、たかが自由時間が一年減ったからといって何だというんだ。一年など、長い人生を振り返れば誤差。しかし、たった一年の自由時間を得るために早期修了しないという選択肢はなかった。
大学院の飛び級は必ずしも全員が達成できる目標ではない。理性に基づく冷静な計算と、超長期的戦略に基づく継続的な行動が必要になる。胆力と学力と逆境をものともせぬ反骨心。意志の強さ、自己分析力、命を削るレベルの集中力まで求められる。早期修了を「運」のひと文字で片付けられては心外だ。自分は誰よりも努力した。普通の課程博士の倍は頑張った。努力と情熱とありったけの犠牲の対価にふさわしい栄光。残りの人生はトップ博士人材として誇りを胸に刻んで歩んでいきたい。
早期修了を選んだ選択に後悔はない。のちのち後悔が生じたとしても、また力づくで正解にしてみせればいいだけの話。
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