研究室生活春夏秋冬vol.60 D2・2月|博士 (無敵の人) 爆誕。八年間の札幌旅を終え、故郷の広島へ堂々凱旋

後輩くんが卒論発表賞を取ってくれた

五年目にして初めて後輩ができた

この一年間、B4の実験や資料作成を世話していた。筑波へ行った時は実験方法やデータ解析手法を教えた。札幌ではスライドの作り方をアドバイス。研究室五年目にして初の後輩だった。自分の培ってきた技法を少しでも継承してくれればいいなと思って指導した。

もともと自分はおせっかいな性分。首を突っ込まなくてもいい事象にまで突っ込んで余計に世話を焼いてしまう。いまの時代におせっかいを焼けばヘタするとパワハラ認定。ハラスメントを意識せねばならぬのは大学教員だけに限った話ではない。面倒な先輩だと思われては困る。会社で管理職に就いたときの練習と位置付けて接し方を工夫した。
過度に世話を焼くのは好ましくない。アドバイスの提供は最低限。もっと助言が欲しければ当サイト『札幌デンドライト』へ来いと伝えた。

後輩くんは勉強が得意だった。成績は学科内一位。卒業時に工学部長賞をもらえるらしい(←めっちゃすごいよね)。塾講師のアルバイトを四年間してきたらしい。人へ言葉を伝えるのがうまい。人当たりも良い。でもって若干サイコパス気味。おまけになぜかすでに博士課程進学希望。研究者へなるのに理想的な素晴らしいスペックを備えている。

彼にはひとつだけ欠点があった。物事を深く掘り下げていく「考察」ができない。頭はいい。体力は十分。ただ、研究と勉強の区別がついていない。このままでは努力のベクトルを見誤って、そのまま突っ走って破綻するだろう。真面目な後輩くんのことだから、「どうして、どうして?」と思い詰める未来を容易に思い描ける。
彼自身が方向性の誤りを自覚するのを待ってもいい。かわいそうだが最も確実なやり方だ。自分はM1の後期に勉強と研究の区別がついた。そんなことを教えてくれる人は周りに誰もいなかった。自分はコイツに何を遺せるだろうかと考えた。研究成果を残せぬまま、せっかくの時間と高スペックを無駄にしそうな後輩くんへ何を伝えられるか。

自分にできるのは「背中で示すこと」と「方向性を示唆すること」。態度は口以上に雄弁である。学位審査会で最高のプレゼンを見せて”こんな風になりたい”と思ってもらおう。努力の方向性を学習から深掘りへ転換させるコツも伝えられるだろう。なんせ、自分が当事者として苦労してきた事象だ。問いをどのように設定するか。いかにして掘り進め、いかにして金鉱を探り当てるか。こうしたことならそれとなく教えられるかも。

卒論発表会

一年間、自分なりに工夫して後輩くんと接してきた。だが、伝えたいことの10%も伝えられなかった。

自分と後輩くんとは違う人間。自分の期待や願いを彼へ背負わせてしまってはいけない。「早く論文を書かなきゃ学振DC1に通らないぞ」だなんて口が裂けても言えない。彼には彼のペースがある。後輩くんの人生の主役は彼自身。毒親に人生を撹乱された自分だから、誰かから何かを押し付けられる不快さは痛いほどよく分かる。押し付けたくない。でも何かしらを伝えなきゃいけない。身動きを取りたくても容易に取れない、この相克に苦しめられた一年だった。

卒論発表会の3日前。専攻内の教授と研究室メンバー全員の前で私の学位論文審査会があった。無事にパスして博士課程早期修了が決定。一年の飛び級を成し遂げた。質疑応答はほぼパーフェクトゲーム。ちょっと何を言っているのか分からない審査員さん以外の質問へ完璧に答えられた。

公聴会から二日後の日曜日。研究室で暢気にブログを書いていた。午後、後輩くんが研究室へ来た。発表練習をしに来たらしい。彼は発表会の練習を20日ぐらい連続で毎日やっている。まだやるのか。生真面目だな。努力が報われてほしい。卒論発表優秀賞という形で。
ついでに私へも聞きたいことがあるとのこと。なんでも、公聴会で先生から質問されて私が答えた箇所をもう少し教えて欲しいらしい。自分の卒論発表会で質問されそうな気がするから対策しておきたいみたい。そういうことなら喜んで教える。30分ほどみっちり教え込んだ。緊張で顔が歪んだ後輩を見て「明日は楽しんでよ♪」と送り出した。

迎えた卒論発表会。
口頭発表は上々の出来だった。まるでバスガイドのような滑らかな発声。吃音気味で声がたどたどしかったB4時代の私と比べれば雲泥の差。
質疑応答の出来も悪くなかった。公聴会で私が問われたものと同じ質問が飛んできた。公聴会で私が答えた通りに彼が答えて難なく解決。まるで模範解答を読み上げたような感じ。ズルいわ笑。そんなの、うまくいくに決まっている。前日に後輩くんとふたりで確認した事項をピンポイントに尋ねてくる質問もあった。よかった、あの時ちゃんと教えておいて。彼は端的かつ明瞭にサクッと返答した。4分間の質疑応答時間があっという間に過ぎ去った。

翌日、学科内懇親会があった。その中で優秀賞が表彰された。発表者約40名のうち、受賞できるのはわずか3人だけ。所属研究室からはふたりが選出された。うちひとりが自分の後輩くんだった。彼の名前が読み上げられた瞬間にホッとした。彼の努力が報われて安心した。先輩としての責務は十分には果たせなかった。私の助けなどなくても成果を出せることを結果でもって証明してくれた。

後輩くんへ

自分は卒論発表会にて、先生方からの初歩的な質問に答えられなかった。緊張で思考回路が全停止。物事を考えて返答をこしらえるどころではなかった。そこで味わった悔しさをエネルギーに変え、努力を重ねて実力を指数関数的に伸ばしていった。M1の後期には全国学会で講演賞を取り、翌年度には学振DC1へ内定したり海外のビッグジャーナルへ筆頭論文がアクセプトされたりした。最初の力がカスだっただけに、その伸びには目を見張るものがあった。努力していて楽しかった。伸びる喜びを噛みしめられて。

後輩くんはB4時代の私よりも遥かに実力が高い。プレゼン能力は自分のM2時代ぐらいのレベルにあるのではなかろうか。このまま順調に伸びていってほしい。直線的にではなく指数関数的に。プレゼンでも論文出版数でも、何もかもで傑出した存在になってくれ。どうか太陽系を突き抜けてアンドロメダ銀河まで行ってほしい。

後輩よ、私を超えていけ。超えられるものなら超えてみやがれ。B4で査読付き英語筆頭論文を出してみろ。B4からD2までの五年間で論文を七報出してみろ。オックスフォードへ留学に行ってみろ。博士課程を一年短縮修了してみせろ。自分には手が届かなかった研究者になってみやがれ。君の前には日本一高い壁を築き上げておいた。どうかこの試練へ果敢に挑戦して乗り越えていってもらいたい。

学振特別研究員退任報告

来年度の科研費支払請求が始まった。2025年4月以降も博士課程へ在籍する人間は書類を作る必要がある。書類、書類とやかましい世界だ。アカデミアの世界は書類が大好きだ。書かせられる書類の量がハンパではない。
プロジェクトひとつでもこの作業量。10個も20個もプロジェクトを掛け持ちしていたら一日中書類を書いていなきゃならない。いまの指導教員がその状態にあたる。かわいそうに。集めた予算があまりに多すぎて手続きがクソめんどくさいようだ。

自分は貰えるものをすでに貰っている。科研費は二年分消費済み。給与はあと二か月分もらえば事足りる。報告書を作らずバックレてやろうかと思った。こんなものを作るのは面倒臭い。書かずに済ませられるならそうしたい。

まぁ、書類に記す文章を記すのは私ではなくChatGPTだ。AIにやらせればいいのだから書類ぐらい作ってやるか。生成型AIに注文すれば即座にそれっぽい文章を仕上げてくれる。生成型AIが出てきてくれて本当に良かった。不毛な作業へ費やされる時間と労力を大幅削減できた。もしAIがいなかったならば、報告書用文章を自分の頭でイチイチ考えて記さねばならない。想像するだけでおぞましい世界線。テクノロジーの進化とAIの登場に心から感謝申し上げる。

超音速で書類を書き上げた。日本学術振興会特別研究員DCにゃんの辞退願と、科研費の年度別使用報告書を2分で作成した。辞退願だけ提出する。12時34分56秒を狙って提出した。計測時刻は12時33分54秒。分も秒も外れてしまって大変遺憾である。科研費の報告書は3月以降に提出する。今度こそは12時34分56秒を狙って出せればと思っている。

博士論文提出完了

北大の学位申請システムで博士論文のPDFを提出した。合計204ページもの超大作。二年分の汗と涙と情熱と血液とよだれと鼻水を練り合わせたものである(グチャグチャやないか)。

在学期間短縮による申請者、か。二年で出られたのがまだ信じられない。先月末に公聴会を乗り越えたのは本当に自分なのか。まさか私が大学院を飛び級修了するだなんて。一番高位の学位である 博士号 をつかみ取るだなんて。中学一年生での校内成績は270人中200位以下。劣等生だった自分が同世代トップの証である日本学術振興会特別研究員DC1に採用され、その中でもほぼ最速で博士課程を駆け抜けていった。

仮に博士課程を三年かけて修了していれば、公聴会突破と同時に達成感を得られたのだろう。二年での修了は自分にとってあまりに早すぎた。何といっても、達成感が湧き上がってくるのに時差が生じてしまっている。なんだよ、『達成感の時差』って。聞いたこともないわ。達成感ってすぐ湧いてくるものじゃなかったの?達成感くんよ、君はいまどこで何をしているんだ。イスタンブールで屋台のおっちゃんにトルコアイスで弄ばれているのだろうか。いや、おそらくロンドンあたりでのんびりと紅茶を飲んでいるに違いない。

博士課程を早期修了した実感を早く味わってみたい。実感はいつ到来するのだろうか。やはり、学位記を受け取った頃なのかな。【博士(工学)】と記された学位記を見てようやく「オレも遂に博士か~」となるのだろう。大学院修了式は3月25日。博士になった達成感を噛みしめる間もなく会社員生活がスタートする。できれば一か月ぐらい余韻に浸っていたい。そう簡単にゆっくりさせてもらえないのが現代人の性である。

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