
1~3週間目:まだ余裕。ゼミも授業もないので実験に全集中できた

中旬から始まったつくば滞在は、当初こそ心地よい集中を味わえた。10月初旬まではゼミも講義もなく、純粋に実験と向き合える贅沢な時間だった。私は常々、予定の存在自体が精神を消耗させると感じていた。例えば翌日のゼミの存在は、前日から意識の片隅に居座り続け、当日は時間の管理に気を取られ、直前には技術的なトラブルへの不安に悩まされる。そうした心理的負担が、研究への没入を阻んでいたのだ。
4~6週間目:辛い

10月に入り、状況は一変した。週2回の朝9時半からのゼミが、貴重な実験時間を蝕んでいく。国立研究所では土日の実験室使用が制限されており、平日の実験時間は極めて貴重だった。私は実験セルを組み立てながらゼミに参加するという綱渡りの日々を送った。常に何かに追われる感覚に苛まれ、アパートに戻れば涙が溢れることもあった。
7週間目:限界

第7週目、私は初めて研究室を休んだ。7月から取り組んでいた論文は、特にイントロダクションで行き詰まっていた。「もっとイントロっぽく」という漠然とした指摘に戸惑い、Wordファイルを開くことさえ躊躇われるようになっていた。その日、午前中は自室で過ごし、午後はイーアスつくばをぶらついた。一日の実験進捗は失われたが、心のリフレッシュという意味では大きな価値があった。
8週間目:メンタルの変容

第8週目、私の心境に変化が訪れた。辛さへの感覚が麻痺し、むしろ心地よさすら感じるようになっていた。週4日しか実験できない現状も、論文の度重なる修正も、すべてを運命として受け入れることにした。「こんな理不尽なことってあるんか(笑)」と状況を面白がれるようになり、新たな活力が湧いてきた。
ちょうどその頃、必要な実験データがすべて揃い、講義のレポートも終わった。残すは論文のイントロだけだった。全精力を注いで作り上げた原稿に、共同研究者から初めて前向きな反応を得られた。
9週間目:帰札

最終週は予想外の静けさに包まれた。論文の添削は共同研究者の多忙により持ち越されることになった。実験も論文も授業もない解放感の中で、私は不思議な感情に襲われた。あれほど辛かったはずのつくばが、突如として愛おしく感じられたのだ。人間関係の複雑な札幌の研究室への帰還、そして帰札後すぐに控える雑誌会。それらへの気懸りが、つくばへの未練を一層強めていった。
論文受理への願いを込めて訪れた鹿島神宮では、七五三の家族連れで賑わう境内に身を置きながら、私は静かに祈りを捧げた。

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