研究室生活春夏秋冬vol.47 D1・1月 オックスフォード留学、終了。絶望に打ちひしがれながら進路を決定。就活を開始

目次

12/29~1/19:欧州旅行→帰国(リア幸-100)

百万トルコリラの夜景

昨年29日にオックスフォードを後にし、最初の渡航地・イスタンブールを起点に欧州旅行を開始しました。

  1. 12/29-1/3 イスタンブール@ブルガリア
    1/3-1/4 夜行列車
  2. 1/4-1/5 ソフィア@ブルガリア
  3. 1/5-1/7 ベオグラード@セルビア
  4. 1/7-1/10 ブダペスト@ハンガリー
  5. 1/10-1/12 ウィーン@オーストリア
  6. 1/12-1/14 ミュンヘン@ドイツ
  7. 1/14-1/17 ロンドン@イギリス

と3週間で7か国を周ったのです。旅行早々、身体がおかしくなってしまいます。慣れないドミトリーでの集団生活を始め、デリカシーの無さ過ぎる人間に嫌気がさしてストレスを溜めてしまいました。誰かから風邪を移されてしまったのでしょうか、旅行二日目にして早くも体調を崩しました。咳が止めどなく溢れ出てきます。痰は赤黄色。血が混じっていたのです。

五か国目のウィーン以降はドミトリーから個室に変更。確かにストレスは和らげられたものの、体調が上向く兆しはありませんでした。体を良くするには個室に住み続けるしかありません。しかし、個室に住み続けるにはドミトリーの数倍もの宿泊費が必要です。ドミトリーの相場は一泊2,000~3,000円。対して個室は7,000~10,000円ものお金がかかります。個室にあと2か月半住み続けたら、おそらく宿泊費だけで少なくとも50万円を超えるでしょう。さすがに50万円もの巨額な手持ちのお金はありません。

そもそも私が旅行をしているのは、オックスフォードのラボで実験可能な態勢が整うのを待つ、いわば時間つぶしの側面があります。旅行をしている間にラボの状況が少しでも改善されていたら良いなぁ、と。先月まで3か月過ごした経験上、おそらくあと3か月待っても状況は1mmも改善されないでしょう。ボスやポスドク、それに博士学生のやる気が引くほど無いからです。ラボの改善を待とうと思えば、当初の留学終了予定日【3/29】まで旅行し続けねばならぬことに。ココで私は思いました。「そこまでして待つ必要はあるのだろうか…?」と。

3か月もの長い放置プレーを食らわされたオックスフォードのラボは、わざわざ高い宿泊費を払ってまで戻りたい場所ではありません。帰りたくない、否、もう足を踏み入れたくさえない思い入れ皆無な場所なのです。オックスフォードに帰ったとて住む場所が無いから野宿が確定。前よりもストレスを溜め、3/29まで走り抜けられるか分かりません。だったら日本に帰ってしまおう。欧州生活で身体と懐を消耗し続けるより、静かで広々とした下宿で身体をゆっくりと治した方が良さそう。

留学を途中で諦めたくない気持ちはもちろんありました。しかし、得るものが皆無な留学を続けるメリットが何も思いつきませんでした。帰国日を1/19 (金)に設定。以前予約した便をキャンセルし、新たに便を予約して日本に帰る決断を下しました。ヒースロー空港から離陸する瞬間は「この3か月半って何だったのだろう…」と虚無感で頭がいっぱいでした。何のために留学へ行き、何のためにあれだけ沢山のお金 (主にオックスフォード大学への月々14.5万円もの在籍料)を支払ったのだろう、、、と。

1/17:進路を定めた(リア幸-90)

もしも留学で何か少しでも研究に手応えがあれば、たとえその先の道のりがどれほど険しかろうとも研究の道に進むつもりでした。国研と大学のいずれのポストを目指すかはさておき、”企業就職ではなくアカデミアの道を選ぶ”と覚悟を固め、自身の持てる力を研究へ120%注いで死ぬ気で戦い抜く決意でした。留学先で何も起こらなかったのだからもうどうしようもありません。手応えどころか感触さえなかった。ただ行っただけ。膨大なお金を払って不満を溜め、小便と大便をして帰ってきただけでした。

流石に私も考えました。研究へこれ以上しがみつき続けるのは何か間違っているのではないだろうか?私は研究が大好きです。しかし研究は私のことをあまり好いてはいないみたいなのです。いくら努力を重ねても報われる兆候が一向に見受けられません。今回の留学の件を筆頭に、論文のアクセプトや新しい実験装置の配備など、自分の力ではどうにもならない要素があまりに多すぎると感じます。何か一つの成果を得るために要する努力の量が他分野とは大違い。中高時代にやってきた乗馬、今も続けているランニング、多くの人に見ていただけるまでに成長した当ブログの執筆などとは桁違いの量。

研究にいつまでもしがみついていたら、何も報われないまま身体と精神とをすり減らし、一つ、また一つと歳を重ねていく未来を容易に想像できます。コレはそろそろ進路を決めて動き出さなくてはならない頃合いではないか、と。そこで私、決めてしまいました。博士修了後は日本の民間企業へ就職します。企業では必ずしも努力が報われるとは限りません。しかし、企業への就職に成功すれば、アカデミア特有の不安定な境遇 (薄給&任期付き雇用)とは完全に決別することができます。『安心感を持って人生を歩める』ということ。毎月決まった日にお金が振り込まれますし、結婚を始め、いつ頃にどのようなライフイベントを持ってくるかを主体的に選択する自由を得られます。

イギリスに住み、「研究よりも生身の人間との関わり合いを大切にしたい」と強く感じました。人との交流が皆無、あるいは極端に少ない環境へ3か月も身を置き、”研究なんかやっても自分の心は何ら潤わないんだ”と真理に達しました。『人と違うこと』を第一優先事項に掲げてきた半生。留学のおかげか、私も恋愛や結婚といった『多数の人間が価値を見出すこと』に価値を見出す人間だったのだと気付いたのです。理想の生き方ができそうなのは、手持ちの選択肢の中だと企業就職の一択でした。研究者として大学で働くとライフイベントを軒並み逃してしまいそうだったし、大してやりたいことのない人間が起業して遮二無二動き回れるとも思えません。とりあえず企業へ就職します。もしも大学や国研で研究者になりたくなったらまたその時考えましょう。

1/19:後期授業料も全額免除(リア幸-80)

留学から帰ってきて郵便ポストを開けると、郵便物の一番上には後期授業料の減免審査結果の入った封筒が。前期は全額免除でした。果たして後期の審査結果はどうかだったのか。有難いことに後期も全額支払い免除となりました。半期分の授業料26.2万円を手元にとっておけるのはあまりにもデカい。留学中、オックスフォード大学への在籍料 (14.5万円/月)を中心にお金を沢山消費しました。授業料を支払う懐の余裕は正直、ほとんどありません。支払わなくて済み本当に良かったです。命を半年間長ら、安堵しました^ ^

ちなみに留学中、郵便物は実家の広島へ転送されるように手続きしていました。他の郵便物はちゃんと広島に届いていたにもかかわらず、減免審査結果の封筒だけどうして札幌の下宿へ送付されてしまったのでしょう?北大の事務の方が封筒を郵便局へ送らず、ご丁寧に一軒ずつポストに入れて回ったためなのかな?だとしたら有難い反面、少々迷惑でもあります。もしも授業料の支払いが免除でなかったら、1月末までに免除にならなかった分の授業料を支払わねばなりませんでした。その支払いを親にお願いしようと思っていたのに、無人の札幌に封筒が届いてしまったら振込用紙を親に渡せなかったじゃありませんか。もしも期日までに授業料を支払えなかったら除籍。”オックスフォードから帰ってきたら北大に通えなくなっていました”って笑えますよ (笑えません)。

1/22:就活を開始。第一志望の企業へ研究概要を送る(リア幸-75)

博士課程の早期修了を見据えて就職活動(就活)を開始。一番行きたい意中の企業へ履歴書と一緒に「働きたいんですけど…」とメールを送りました。するとすぐ、『研究概要を送って下さい』との返信が。学振DC1の申請書を大改造し、急ピッチで概要を拵えて送付。”書類選考の結果は2/2(金)までに追って返事します”とのこと。マッチング面談に進めたらいいな。その企業でやりたいことはもうハッキリとしているので、あとはその企業が私のことを欲するか・欲しないかの問題。落選した場合に備え、第二~第五候補の企業まで絞り込んでおきました。第一志望の企業以外へ連絡しなくて済むよう祈るしかありません。

実はM1の2月にも就活をしております[研究室生活春夏秋冬M1・3月編]。そこでは関西の中小企業一社から内定を頂いたわけですが、求人票を読めば読むたび(本当にココで働いて大丈夫だろうか)との不安が募る一方でした。家賃補助が28歳で終わる、固定残業手当を名目に果てしなく働かされてしまう懸念など、働く前から入社した後の心配をせずにはいられないほどの待遇。収入の低さは別に気になりません。少なくとも薄給特別研究員の今よりかは収入が上がるに違いないから笑。手酷い扱いをされるのが怖い。いまの研究室生活と同様、月100時間以上の残業を強いられてしまいそうな予感。そんな生活が何年も続けば過労死に向けて一直線ですよ。より良い待遇で迎えてくれる企業を求めてD1でも就活をすることにしました。

かめ

待遇にこだわるならば、どうしても大企業へ行かざるを得ません。鶏口牛後のことわざ通り、本当は中小企業で働きたいのですが、福利厚生面を考慮すればするほど中小企業へ行く道を選びにくくなってしまいます…

1/28:初詣(リア幸-60)

午後、札幌市地下鉄一日乗り放題券を購入して地下鉄に乗り、研究室から北海道神宮へ遅めの初詣に行ってきました。境内はそこそこの人で賑わっています。出店もチラホラ。ちょっとしたお祭り気分を味わえました。下宿の玄関に飾っていた神宮大麻を新しいお札へと交換。去年は天照大御神のお札を飾り、あまりよい運気を得られなかったため、今年は北海道神宮のお札を飾って家の運気を一転させる作戦。北海道神宮のお札はM2シーズンに家へ置いていました。学振DC1内定やビッグジャーナルアクセプトなど、良いことずくめだったM2の一年の再現を狙って新しいお札を購入したのです。

ついでにおみくじを引いてみました。”普通のおみくじを引いても面白くない”と、隣にあった幸福おみくじを選択。今年の運勢は吉。『油断は大敵。表面だけを見ずに中身を注視せよ』とのお告げでした。実は去年も幸福おみくじを引いております。その時、大吉が出たんですね。ハナクソフォードでの惨状を思うと、おみくじなんて全くアテになりません。何が大吉だよ、大凶じゃないか笑。もしかしてアレで本当に大吉なの?どれだけ幸薄い人生なんだ… 目を覆いたくなるほどの前途多難な人生が待ち受けているのかもしれません。まぁ、いいです。人生を良くするためには自分でひたすら努力を積み重ねていくしかありませんから。頑張るしかないんだよ。あと1年。耐えろ、自分。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

カテゴリー

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次