冬将軍によるストーカー被害

山が、白い。
広島に雪が降った。気温は3℃。白い吐息が出る。3月とは思えぬほどの寒さ。クリスマス前夜だと言われても信じる。口笛でラストクリスマスを吹いていたら本当にクリスマスがやってきた。波乗りジョニーを歌って夏にしようか。いや、暑い季節の到来はまだ勘弁してほしい。
札幌から冬将軍がついてきた。先月、JALで広島に着いたとき、実はクラスJシートに紛れ込んで座っていたらしい。全然気が付かなかった。気付いていたら上空40,000フィートで途中降機させたのに。私が広島まで冬将軍を連れてきたせいで一面が真っ白。中国山地では10cm積もったらしい。申し訳ない。大変遺憾であります。謹んでお詫び申し上げます。深い憂慮を示すほかありません。
それにしても、冬将軍とは腐れ縁だ。八年間さんざんつきまとってきて、いまだに私をいじめ足らぬというのか。自分の周りにどれだけ雪を降らせれば気が済むんだ。今年は特に酷かった。札幌生活中、一晩で50cmも積もりやがった。フカフカすぎて足が上がらぬかと思った。ラッセル車のごとく雪をかき分けて進んだ。博士号を持っていなければ家から一歩も出られぬ所だった。博士号があったおかげで何とか脱出できた(関係ないやろ)。
冬将軍には一日でも早く札幌へお帰りいただきたい。札幌へドカ雪を降らせてくれるぶんには広島県民の私は何も困らない。復路分のJALも席をとっておいた。今度はすまんが福岡空港から乗ってくれ。ファーストクラスだぞ、ファーストクラス。ラウンジから機内サービスまでトコトン楽しんでくれ。それに満足したらもう二度と広島に来てくれるな。新千歳空港到着後、まずはフードコートではなまるうどんでも食ってくれ。温泉にも浸かっていただこう。雪印パーラーでアイスを食べるのもいい。何でもいいからゆっくり寛いでちょうだい。
研究遂行経費、48万円笑

学振特別研究員には「研究遂行経費」なる制度がある。ひと年度あたり、収入の最大三割に相当する72万円を非課税にできる。
非課税額が多くなればなるほど所得税と住民税を抑えられる。昨年は研究遂行経費で65万円を申請した。満額72万円にはわずかに届かなかった。今年こそは満額申請したい。使い切れなかった経費枠の分だけ追徴課税を食らう。追徴課税額をなるべく減らしたい。そうすれば手取り額を増やせるだろう。
さて、今年度の申請額は? なんと「48.3万円」だった。
研究環境整備に費やした額は昨年度よりも多い。今年はミニPCやモニター、イス、プロジェクターなど、数万円単位の出費がたび重なった。それでも昨年より経費が少ない。なぜだ。昨年度の申請項目を見返してみる。昨年度の経費一覧には、オックスフォード大への二か月分在籍料29.3万円が含まれていた。道理で経費額が多かったはずだ。今年度は留学していない。在籍料を支払いたくても支払えない。
未使用分の経費は24万円。追徴課税率は約10%。新たに2.4万円ものお金を取られてしまう。ちょっといいイワシ缶を100個買えるだけの額。ハーゲンダッツなら80カップは買えるだろうか。きび団子なら1000個は買える。とんでもない数の味方を作る機会を失ってしまった。
サラリーマンは経費申請などせずとも基礎控除で所得額を数割減らせる。学振特別研究員に基礎控除はない。雇用関係はあるし、所得は給与所得だが、基礎控除はない。何とも残酷な制度である。私の契約満了以降、特別研究員制度が少しでも改良されるのを願っている。
補助事業廃止承認申請書

学振特別研究員として年間140万円の科研費を受け取っていた。国民の皆さまから頂戴した血税でもって検討と研究を加速していたわけだ。特別研究員も今月でおしまい。一年短縮修了に伴い、今年度をもって特別研究員を自主退職する。退職金も失業手当もない。ただただ今月をもって学振からの支援が終わるだけ。
科研費の支給が自動的に打ち切られてくれればいい。来年度使うはずだった140万円を配らないでいてくれればいいだけだ。まさか、役所の作る制度がそんなに便利なわけがない。役人の仕事は制度の複雑化。税制も研究費の申請も年を追うごとに煩雑化していく。科研費もそう。「研究費の支給を止めて下さい」という申請書を一枚作る必要がある。それが、本日提出した「補助事業廃止承認申請書」。
博士課程で伸びたスキルのひとつは申請書の作成速度。学振関連で数多の書類提出を求められ、逐一処理していく過程で書類作成がめちゃくちゃ早くなった。特に生成型AIには助けられた。AIに書類作成をお願いすると、20秒後にはそれらしい文章を吐き出してくれる。私の仕事は文章校正。AIとの二人十脚でもって書類の山を片付けてきた。
ところで、我々の作った書類は誰が見ているのだろうか。誰か全ての書類に目を通す人がいらっしゃるのだろうか。ひょっとしたら役所でも書類をAIでチェックしているのかもしれない。膨大すぎる書類の処理にはAIでも使わねば間に合わぬだろう。AIが作った書類をAIが確認する。我々はいったい何を作らされているのだろうか。研究者には研究をさせてあげてほしい。私は研究者にならないから別にいい。研究者志望の学生や現役研究者にはもう少し簡素な手続きで研究費を利用できるようにしてあげて。
広島城下に咲くソメイヨシノを眺めて


札幌は5月に桜が咲く。エゾヤマザクラ。葉がやや紫がかった、北海道特有の品種。広島は3月に桜が咲く。こちらは桃色のソメイヨシノ。どちらが好きかは人それぞれ。私はソメイヨシノを好む。見ていて元気と活力をもらえるのは断然ソメイヨシノの方。
淡紅色の花は、青磁のごとき蒼穹に映える。まるで絵師の筆が天に触れたかのような耽美さ。花は風に小刻みに揺らされる。その枝は優美に、伸びやかに広がっていた。広島に帰ってきた実感は、城下のソメイヨシノを眺めてようやく湧いてきた。広島ではこの時期に桜が見られる。恥ずかしそうに咲く桃色の桜を見て「本当に帰ってきたんだな」と感慨に耽る。
一年前のD1・3月。内定承諾前に広島の弊社へ工場見学に行った。その際、広島城下に咲くソメイヨシノを見上げた。「絶対広島に帰ってくる」と誓った。博士課程の一年短縮修了を成し遂げ、この桜のもとに帰ってくる、と。約束通りに帰ってきた。博士号を携え、自身に目をみなぎらせ、ひと回り老けて戻ってきた。
なんと濃い一年間だったか。80年間の人生を80倍速で一気に見せられたような感じ。自分の人生ではないみたい。他人の人生を一番近くの特等席で傍観していた気分。ラストイヤーの濃さは濃縮還元ジュースの比ではない。ラーメン二郎のスープどころでもない。育毛でも植毛でもない。濃厚フラペチーノなど比べ物にならない。
2024年はイギリス留学の悲劇からスタート。就活を行い内定した。論文が四回連続でリジェクトされた。投稿目前だった別の論文が全文書き直しになった。3つの学位審査会を乗り越えた。204ページの博士論文を書き上げた。そして、博士課程を一年短縮修了した。
なかなか思い通りにならぬ一年だった。結果に満足できず、幾度も歯がみさせられ、全てを投げ出したくなった。学位取得だけを見据えてどうにか耐えきった。走り切った、というよりかは「耐えきった」。結果を出すとはこれほどまでに苦しいものか。努力すれば報われるとは限らない。報われたければ努力するしかない。報われるまで努力しなければ成果は出ない。成果の出る確証のないなか突っ走る不安と戦い抜いた。
城下に咲き誇るソメイヨシノよ、聴け。帰ってきたぞ。こっちは君との約束を命懸けで守り切ったからな。
来年の春もまた可憐な姿を見せてくれ。今度はもっと盛大に、花びらをもっと濃い桃色に染めて自分を迎えてくれ。今年の約束は「弊社で頑張る」にする。会社員生活の将来は見通せない。やれるだけやって、結果は天に委ねる。来春、桜の咲き誇る木の下へ、また胸を張って戻ってこられるようにしたい。
コメント