こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究を行う工学系大学院生のかめ (M2)です。
研究室生活春夏秋冬シリーズの四作目は、B4の6月のつくば出張と研究テーマ変更に関してです。
それでは早速始めましょう!
初旬:初めてのつくば出張
研究室配属以来、ちょっと変わった顕微鏡を用いて特殊な実験をしておりました。
6月に入っても上達の兆しが全く見えてこなかったわけですけれども、実は私、この顕微鏡測定以外にもう一つ別の実験テーマをやることになっていたのです。
二つ目の研究課題は北大ではなく、つくばの某・国研(国立研究所)にて実施するテーマでした。
いくら札幌でそのテーマを進めたいと思っても測定機器がつくばにしかなく、光学系機器のため簡単には移動させられないため、実験はつくばへ1~2か月ほど出張して短期集中的にデータを集める形で進められるみたいでした。
顕微鏡測定に気が滅入っていた私には、1週間のつくば出張が良い気分転換となりました。
初めて某・国研の建物に入った時、そこの雰囲気があまりに凛として清々しかったので、
すげぇ
ホンマの研究所ってこういう所を指して言うんやな…
と語彙力を喪失してつい10秒ほどその場で佇んでしまいました。
研究者さん一人一人の目からは”オレが/私が世界を変えてやるぞ”という溢れんばかりの情熱を感じました。国際的でアカデミックなムードに感化され、研究に対するやる気が少しずつ戻ってきたようでした。
実際、つくばから帰ってきた私の顔は随分と活き活きしていたらしいです。指導教員のA先生から「何かいいことでもあったの^^?」と尋ねられたぐらいに。
加えて、その国研で私が行う研究テーマがリチウム電池系の実験で、視覚的にも感覚的にも(めっちゃ面白そうやな♪)と思える課題でした。
楽しい思い出に胸をパンパンに膨らませ、1週間のつくば出張から意気揚々と札幌へと引き上げた私でした。
中旬:大学院試験出願
つくば出張から帰ってきた後、すぐに大学院試験の出願へと取り掛かりました。
出願提出書類には履歴書や進学希望理由書など、様々なものがありました。
出願を機に、
- どうして修士課程へ進学するのか?
- 進学して何をやりたいのか?
などについて落ち着いて考えてみました。
周囲に流されるままに修士課程へ進学するのはあまり褒められたものじゃないと思ったので、自分なりに確固たる進学理由を胸に秘めて修士へ行こうと決意したわけです。
出願資料をボールペンではなくネット入力で用意できたのは本当に楽でしたね。
一方で、受験票送付用の封筒に貼る切手を購入させたり、外部進学者だけでなく内部進学者にまで3万円もの検定料納入を要求したりする学務部のケチさにはちょっと辟易としてしまいました。
検定料はまだ分かります。受験にも人件費がかかりますし、合格して大学院生になるための必要経費だと思えばどうにか飲み込めるのです。
しかし切手に関しては解せません。(たった354円分の切手ぐらい検定料から出してもらえないのか?)と変な気持ちになりました。
切手を買いに郵便局へ行くと、窓口のお姉さんが私の必要分の切手を一瞬で出してくれました。
この時期、私と同じく院試出願のため切手を買いに来る学生が多いらしく、窓口の方もいちいち用意するのが手間だから、あらかじめ数十組ほど354円分の切手を用意しているみたいです。
大学入試以来の出願にちょっとドキドキしながら書類を用意し、間違いがないか良く確認して書類を封筒に入れ郵便局に持ち込みました。
大学の”カンセンタイサク”のため書類は書留で送らねばならず、
どうして目と鼻の先にある大学へ送るのにわざわざ送料を払わなくちゃならないんだよ笑
と社会のいびつな歪みに思わず吹き出してしまった形になります。
下旬:ついに研究テーマを大幅変更
つくばから帰ってきた後も顕微鏡との格闘は続きました。
毎日毎日実験に挑戦してみたのですが、観察したい対象は何も見られませんでした。
この顕微鏡測定の難しいポイントは、いじるべき装置のスイッチがあまりに多すぎる所です。
一ヶ所や二ヶ所をいじるだけなら何の問題もなくこなせるのに、10~20ものスイッチを一人で適宜調整せねばならないから、不器用な私には到底こなせず頭がパニックになったわけであります。
やればやるほど下手になってくる感じがして、200回ぐらいトライした所で遂にギブアップしてしまいました。
指導教員のA先生に
さすがに無理です。自分にAFMは合いません
とお伝えし、研究テーマを変えていただけないか?と泣きつきました。
A先生も(こいつにこの装置での測定は厳しいんじゃないか?)と薄々思っていたらしく、「やっぱ無理だったか…そうか、分かった」とテーマ変更を了承して下さりました。
ということで私の研究テーマは筑波での電池系のテーマに一本化され、これ以降はリチウム電池材料開発一本に絞って研究を進めることとなります。
私の研究室生活の一つ目の分岐点はおそらくこの時だったと感じます。
この時に勇気を出して先生に泣きついていなければ今頃装置に気を滅入らされて休学していたと思いますし、学振DC1に内定したりIF23の雑誌に論文がアクセプトされたりだとかいった出来事も何も起こらなかったはずなのです。
次回予告
研究室生活春夏秋冬B4・水無月編はコレで以上となります。
7月編では
- 実験データゼロで迎えた中間報告
- 大学院試験に向けたテスト勉強
これら2つについて書いていきます。
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