北大博士課程を早期修了した化学系大学院生かめです。
前回の記事に引き続き、博士課程で起こった4つのアクシデントを綴る四部作をお送りします。この記事では、海外留学中に起きた悲劇とその対処法についてご紹介します。

それでは早速始めましょう!
海外留学先で起こった悲劇


留学へ行った理由
D1の10月から海外留学へ行きました。渡航先はイギリスのオックスフォード。予定滞在期間は半年間でした。
私が博士課程在籍中に海外留学した理由は以下の2つ⇩
- D1の一年間、実験がストップしたから
- 将来の海外就職に向けた足掛かりを作るため
私の実験は筑波の国研で行います。実験するには札幌から筑波へ出張しなければなりません。国研では共同研究者のKさん (仮) の監督のもと研究を進めています。研究所の受け入れ手続きや実験試料手配などをKさんにしていただきました。私がD1として過ごす一年間、Kさんは霞が関の中央官庁へ出向することに。国研には顔を出せないそう。Kさんのいない国研に学生が一人で出入りすることはできません。D1の一年間、一切の実験を行えなくなるのを承知でD進しました。
D1の一年を無為に過ごすのはもったいない。何かしら取り組めることがあれば時間を有意義に使えるでしょう。そこで考えたのが海外留学。海外へ行って勉強がてら修業を積もうと志したのです。日本に居たって何もできないのは明らか。であれば海外渡航した方が研究が進むのではないかと思いました。
D1当時、博士課程修了後は海外で働こうと考えていました。ポスドクか企業就職かは分からないけれども、海外で働いて世界を股に掛けるエンジニアになるつもりだったのです。自分に海外経験はありません。博士修了後、いきなり海外へ出て働くのは少々不安がありました。大学院在籍中に海外留学することで海外生活の練習ができるでしょう。海外就職の足掛かりを作るために海外へ行こうと決めたのです。
お金を集めてオックスフォードへ
イギリスは物価の高い国。円安ポンド高を考慮すれば日本の倍近い物価を覚悟せねばなりません。オックスフォードではホームステイを予定していました。家賃は月々12万円です。オックスフォード大学への在籍料をも支払う必要が。その額、月額14万円。家賃と在籍料だけで160万円弱。渡航費が往復20万円。食費と雑費を合わせれば200万円以上の出費が予想されます。
学部時代から貯金してきました。いつか海外留学するときに備えてお金を集めてきたのです。お金は使うべきときに一気に使いたい。使わなくて済みそうな所では出したくない。お金にケチケチしすぎたせいで、下宿に冷蔵庫を導入するのでさえためらいました。デートでも支出を絞るように。そのせいか、大学時代に付き合ってくれた可愛い彼女からフラれてしまったのです。
我慢に我慢を重ねて貯金してきました。それでも30万円程度しか貯まりませんでした。イギリスで半年過ごすには文字通り「ケタ外れな額」のお金が必要なのです。
海外留学資金確保のため、学振DC1内定を目指しました。業績を集めたり頭をひねって申請書を書いたりと孤軍奮闘。研究室は開設以来、学振DC内定者が一人も現れていません。指導教員ですら三振しています。どのようにすればDC1へ採用されるのか分からぬまま手探りで内定を目指してきました。M2の9月に結果発表。DC1に採用されました。しかも年額140万円もの高額な研究費付きで。海外へ行くのに必要なお金をようやく集められました。
オックスフォードへ行ったら廃墟だった
夢を抱いていざオックスフォードへ。渡航した先は「廃墟」そのものでした。
渡航先研究室のホームページには、集合写真に10人以上の在籍者が写っていました。博士学生やポスドクが複数名いる賑やかな場所のように見えたのです。実際に居たのはふたりだけ。両者ともラボへはほとんど足を運んでくれません。ラボのHPは四年前に更新がストップしていました。行く前から少しだけ嫌な予感が。もしかして活動度の低めな研究室なのかな。「まぁ、大丈夫だろう。天下のオックスフォードにある研究室なのだし」と信じて選びました。まさかこんなに人が少ないだなんて予想外。嫌な予感って的中するものなのですね。
実験に使う予定だった装置はほとんど全て壊れていました。このままの状態では実験に使えなさそうな装置ばかりだったのです。修理予定は未定。渡英中に修理が終わるかどうかすら定かではありません。念のため、渡英前に受け入れ先研究室のPIへ実験環境について尋ねました。「大丈夫、完璧さっ☆」と返ってきました。何が完璧さっ、だよこのうすらハゲが。完璧どころか最悪じゃないか。
せっかくオックスフォードまで行ったのに何も収穫がないのは悲しいです。装置を使わずとも行えそうな実験はないかと考え、実験に必要となる試料を注文しました。決して希少な試料ではありません。薬品メーカーが大量売りしているメジャーな試料を選びました。それなのに、試料が届いたのは、注文してから二か月が経ったあと。ようやく実験できると思って実験室へ行った当日、頼みの綱だった唯一の装置をチャイナ人ポスドクがぶっ壊してゲームセット。
アクシデントが起きたときの感想


オックスフォードの研究室の扉を開けた瞬間、「あっ、ココに来ちゃいけなかったわ…」と猛烈な違和感を覚えました。居るはずの人が見当たりません。人の気配が皆無な場所だったのです。
続いてやってきたのは絶望感。あれだけ大変な思いをして貯金して、ようやくたどり着いた念願の海外がコレ?いったい何のために頑張ってきたの?廃墟へ来るため?お金をむしり取られに行くため?努力が報われない虚しさを味わうため? 留学開始3秒で”ココに居たって何の学びも得られない”と確信。その日の夜、大きくため息をつきながら、虚しくて点を何度も見上げました。
このような環境が待っていると知っていたなら、わざわざイギリスへなど行かなかったでしょう。否、そもそも貯金などしなかったはず。
お金があったら冷蔵庫を買い、快適な食生活を送っていたはず。冷蔵庫がなかったせいで毎年夏に食中毒を起こして下痢になった。それでも冷蔵庫を買わなかった。なんせ海外留学に行きたかったのだもの。彼女の前でお金を出し渋る無様なふるまいにも至らなくて済んでいたはず。自分が彼女からフラれたのはケチすぎるから。人なみにお金を払える彼氏であればあの子と付き合い続けられていたでしょう。
一般的な学生が享受しうる、様々な楽しみを犠牲に蓄財してきました。我慢の対価が「廃墟」のプレゼントですか。神様もなかなか粋ですね。ありがとうございます。素晴らしいユーモアですね。
事態をどのように打開したか


留学先が廃墟である状態を自分一人で変えるのは難しいです。私は滞在研究生の身分。外国人研究生が渡航先研究室へ文句を言っても仕方がないでしょう。渡英先研究室で学びを得るのは諦めました。研究室の外で何か吸収できるものがないかと模索したのです。
英語や文化の吸収を試みる
まずは語学学校への入学を考えました。せっかくオックスフォードまで行ったのです。英語ぐらいうまく話せるようになって帰りたいでしょう。スクールに行けば友達ができるかもしれません。大学の研究室に人が居らず、話し相手を渇望していた私にとって理想的な環境です。結局、語学学校には通いませんでした。『そこにお金を払ったらお金が尽きてしまう』『ホームステイ先からスクールまで片道一時間以上もかかって通学に不便』という理由で。
イギリスの良い所は、美術館や博物館への入場が無料なところ。”芸術は万民のもの”とのポリシーに基づき運営されています。イギリス留学中、オックスフォード市内の博物館へ週一で通いました。隅から隅までなめるようにして鑑賞。よい時間つぶしになりました。訪問一回あたり3時間は滞在していたでしょう。オックスフォードの博物館の一角には日本の発掘品が展示されています。鎧や浴衣、茶器などを見て、「早く日本へ帰りたいなぁ…」とホームシックをこじらせました。
オックスフォードを拠点とし、イギリス国内旅行を行いました。足を運んだのはロンドンとバースとエディンバラ。街中をゆっくりと歩いて日本との差異を比較してみました。
印象的だったのは人々の表情。イギリスに居る人はみな笑顔で歩いています。アングロサクソン系はもちろん、移民の方々までニコニコ笑顔。幸せそうな人たちを見ていると心がじんわり温かくなってきました。イギリス中に楽しい出来事はほとんど何も起こりませんでした。悲惨な現状を滑稽に捉えて笑いへ変えるユーモアを学べた気がします。
途中帰国
10月初旬から3月末までの予定だったイギリス留学。帰国予定を2か月前倒して1月下旬に帰国しました。
留学を途中で切り上げた理由は、「時間とお金をこれ以上無駄にはしたくなかったから」というもの。家賃と在籍料で月26万円。研究に関して何の収穫を得られていないにもかかわらず、イギリスで過ごしているだけで月30万円弱も飛んでいきます。誰かに与えてもらったお金を使って留学したなら途中帰国など選ばなかったでしょう。自分で稼いだ、血を吐くような思いで集めたお金を使って行ったがゆえ、一円たりとも余計な出費をしたくないのが正直な所でした。
また当時、博士課程の一年短縮早期修了を狙っていました。早期修了には大量の論文数が必要です。論文を書くには海外で油を売っているヒマはありません。一報でも多く論文を書かなきゃいけない。早く日本へ帰って論文執筆に集中したい。海外留学へひと区切りつけて、気持ちを切り替えて博士課程の飛び級修了を目指して頑張っていきたい。
断腸の思いで途中帰国を選びました。1月下旬、羽田空港国際線ターミナルへ戻ってきたとき、5F展望デッキで東京の街を遠方に眺めながら号泣したのです。節約を頑張ってきた過去を踏みにじられた悔しさ。研究成果を集めて学振DC1に内定したのが無駄だった虚しさ。海外就職の足掛かりを作れなかったもどかしさ。早期修了に向けて時間がないことに対する焦燥感。これら様々な想いが同時に募ってきて感情を抑えられなくなりました。
最後に
留学先で味わった苦労を反骨心に変えました。帰国後、今まで以上に苛烈な頑張りを自らへ課したのです。まぶたが痙攣するぐらいまで追い込んで論文を記す。実験データを超特急で集めてまた次の論文を書く。予備審査会や公聴会直前は、大学受験生時代以上に勉強して万全の備えを敷く。今度は努力が報われました。念願だった博士課程の一年短縮修了を達成したのです。
自分が早期修了できたのは、留学先で散々みじめな思いを味わってきたから。悔しさを研究の助燃剤として爆発的なスピードでもって突っ走れました。もしも海外留学が成功していたら早期修了などできなかったでしょう。三年かけて博士課程を修了して、海外でポスドクか企業研究者として就職していたのではないでしょうか。私にとってあの海外留学は運命の分かれ道でした。留学失敗をバネに飛躍できて本当に良かったと思います。
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