博士課程は本当に辛かったです。論文はリジェクトされるし、研究の進捗は止まるし、自分の力ではどうにもならない壁に何度もぶつかりました。しんどすぎて諦めかけたのも一回や二回ではありません。早期修了どころか退学寸前にまでメンタルが追い込まれていたのです。
精神が崩壊しかけていた私を支えてくれたのがニーチェの格言でした。A4のコピー用紙にマジックペンで書いて、家の壁に貼り、辛くなるたびに眺めていたのです。壁に貼られた用紙を毎日拝むアラサー男性、ここにあり。絵面はだいぶ怖いですが、効果は絶大でした。私が保証します。
この記事では、博士課程で頑張るのが辛くなったときに心を支えてくれたニーチェの格言をご紹介します。大学院で頑張るのがもう無理な人、今すぐにでも諦めてしまいそうな人、やっていられなくなってしまった人などにピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
博士課程は、辛い


巷で言われているとおり、博士課程は修羅の世界でした。修士課程と比較すると辛さの次元が三段階ぐらい上です。課金して強くなれるゲームとは違って、課金先がどこにもありません。あっ、学費が取られますね。文科省さん、どうもありがとうございます。
博士課程を修了するには、研究で成果を出す必要があります。どれだけ時間と体力を注ぎ込んでも、成果につながらなければ全部なかったことになるのです。やっとの思いで成果を出したところで、褒めてくれる人なんていない。自分の面倒を見るだけでいっぱいいっぱいなのに後輩の面倒まで降ってくるし、後輩が何かやらかせば自分の監督責任を追及される。もう勘弁してくれと思いながら、神経が消耗していきます。
博士課程には理不尽の嵐が吹き荒れています。何かに掴まっていなければ吹き飛ばされてしまうぐらい強い嵐です。この世界で数年間耐え抜くには、何かしら強い動機が必要でしょう。なぜ博士課程を修了する必要があるのか。なぜ博士号を得なければならないのか。博士課程を出たあとどうする予定なのか。将来に対する想いはどれだけのものなのか。
哲学者フリードリッヒ・ニーチェは言いました。



なぜ生きるかを知っている者は、
どのように生きることにも耐える!
人生は長いです。苦境に追い込まれる場面だってあるでしょう。地獄の底まで落ちたって構いません。なぜ生き、生きて何を成し遂げたいのかを見失わない限り、折れずにいられます。
博士課程は辛いですよね。分かりますよ、私だって経験しましたから。あまりに辛すぎて、進学した意味を見失う瞬間が何度もやってきます。楽しかったはずの研究が楽しくなくなって、在学する理由すら分からなくなる。
辛いときこそ原点に立ち返ってください。博士課程を修了すべき動機を胸に刻み直してください。なぜ自分は生きるのか。本気で自覚した瞬間、腹の底から火がつきますから。
一番苦しかったときの話


博士課程在籍中に最も追い込まれていたのはD1の1月でした。研究は停滞し、留学は大失敗し、論文は四回連続でリジェクトされました。三つの災難が同じ時期にまとめて襲いかかってきたのです。厄年かと思いました。厄年ではありませんでした。ただの博士課程です。
当時の私は北大院生でした。やっていた研究は実験ベースのもので、肝心の実験は筑波の国研でしか行えません。そこで、研究室に配属されたB4から年に3回ほど、各1〜2か月間、筑波へ長期出張してデータを集める生活を送っていました。ただでさえ時間的制約の多い研究スタイルです。大学の実験室でいつでも実験できる人たちが心から羨ましかった。
ところがD1に入ると、制約条件がますます厳しくなってしまいました。というのも、国研の共同研究者さんが経産省へ出向してしまったのです。その結果、一年間まるまる国研へ出入りできなくなり、実験を一切行えなくなりました。博士課程の貴重な一年間に研究が一歩も前に進まない苦しさ、想像していただけるでしょうか。もう、笑うしかありません。全然笑えなかったけれども。
日本で実験できないなら海外で、と留学を志しました。D1の10月からイギリスへ半年間の予定で研究留学に出発したのです。世界最高峰の研究環境ってどんな感じなのだろうと、胸を膨らませて渡英しました。
足を運んだ研究室は、実験装置が全て壊れていました。人がいない。PIも来ない。実験器具はほぼ全部壊れている。まるで廃墟ではありませんか。私は250万円もかけてイギリスの廃墟に住みに行ったのです。 お金も時間も体力も気力も、根こそぎ持っていかれました。
悶々とした日々へ追い討ちがかかります。投稿した学術論文が、四回連続でリジェクトされたです。指導教員が私の主著論文を高インパクトファクターのビッグジャーナルへ連続投稿していました。何度もリジェクトされるうちに、「自分の研究に価値はないのかな」と落ち込むようになりました。自分は所詮、ただの凡人で、何も成し遂げられないのだろうなと。
研究は進められない。留学は失敗する。論文は同じ時期にリジェクトされまくる。D1の一年間、いい出来事が何ひとつとして起こりませんでした。
苦しいときに寄りかかれる相手がいるならまだ良いでしょう。私には、頼れる人間が、周りに一人もいなかったのです。兄弟もいない。恋人はいない。おまけに親は毒親ときた。頼みの綱であるはずの指導教員は、ビッグジャーナルに固執して、私のメンタルを狂わせにかかる。留学の終盤はあまりに辛すぎて、博士課程を退学しようかと考えていたぐらいでした。
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える


絶望の淵に立ったとき、支えになったのがニーチェの格言でした。自分はなぜ生きるのだろう。なぜ博士課程へ行く決断を下したのだろう。博士号を取ってどうしたいのか。自分の願いは、簡単に諦められるほどちっぽけなものなのか。何日も何日も自問自答を重ねたすえに、博士進学した動機を思い出しました。
私がD進したのは、浪人で背負った一年のビハインドを挽回するためです。一年短縮修了して学歴上の遅れを取り戻し、スッキリした気分で次のステージへ進みたかった。
ここで退学したらどうなるか。ビハインドを取り戻すどころか、もう一年か二年のビハインドを上乗せして就職することになるでしょう。いいのか、それで。踏ん張ればまだ巻き返すチャンスはあるぞ。血だらけになりながら宿願を果たすか、試練から逃げ出して全部失うか。自分には前者の道しか選べませんでした。
苦しさから解き放たれたい気持ちはあります。楽になれるならそれに越したことはないでしょう。でも、いま楽になったとして、後々もっと苦しむのは明らかでした。だったらいま苦しんだほうがいい。苦しみの沼で一生分のたうち回ってでも、博士課程を一年早く終えた先の景色を見に行きたいと思いました。
生きる意味を自覚してからは、どのような辛さにも耐えられるようになりました。 乗り越えるべき理由がある限り、どれほど苛烈な試練にも耐えられますから。留学を終えてD2になってからも、新たに執筆した学術論文が投稿目前に全編書き直しになるなど大騒動がありました。それでも逃げようとは思わなかったのです。ここで逃げたら早期修了できない。そんなの、プライドが許しません。
ニーチェの格言に後押しされるようにして、限界寸前の努力を積み重ね、結果的に一年短縮早期修了を達成しました。博士課程を乗り越えられたのは、ニーチェの言葉によるところが大きいと捉えています。壁に貼ったA4用紙一枚にしては、とんでもない仕事をしてくれました。
最後に
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。
この言葉をA4のコピー用紙にマジックペンで書いて、家の見えやすいところに貼ってください。そして、辛くなるたびに読み返してください。
私は博士課程を修了したあと、引っ越しの荷造りをしているときに壁のA4用紙を剥がしました。マジックペンのインクはすっかり薄れていました。画鋲の穴が四隅に空いて、端っこが少しめくれています。二年間ずっと壁に貼りっぱなしだったので当然です。ボロボロの紙切れ一枚に、私は博士課程を生き延びさせてもらいました。ありがとうございます。
いま辛い人は、まず紙とペンを用意してください。書くのは一行だけで大丈夫です。格好悪くていいから壁に貼ってください。その紙切れが、きっと皆さんのことも最後まで支えてくれます。





















コメント