修士と博士の違いとは? 学位取得後の能力差を徹底比較

研究熱心な修士学生が直面するのが進路選びの悩み。博士課程に進むか、それとも企業に就職するか。頭を抱えて悩んでいる方も多いでしょう。

当サイト・札幌デンドライトでは、「迷ったらまず就活してみよう」と勧めています。実際に企業の中に入ってみることで、研究と社会人生活のイメージをつかめ、最終的な決断に自信を持てるようになるからです。

ところで、皆さんは、博士課程を修了した自分を想像できますか? ここで述べたいのは、内面の話。どんな能力を身につけているか、どんな視点で物事を見ているか、どんな姿勢で仕事に向き合っているか。

M1の段階では、4〜5年先の未来など想像もつかないのが普通です。それでも、少しでもイメージできれば、進学に前向きな気持ちが湧き、研究生活も充実しやすくなるでしょう。博士課程では理不尽な壁にぶつかる場面も多いですが、「これは自分を成長させるチャンスだ」と前向きに受け止められ、気持ちが軽くなるはずです。

そこでこの記事では、修士と博士の学位取得後の能力差を徹底比較します。博士進学の検討を加速中の修士学生さんや、研究意欲を失って燃え尽きた博士学生さんにピッタリな内容です。この記事を最後までお読みいただき、ご自身の未来の姿を想像できるようになってモチベーションを高めてください。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

思考の深度

研究には「肉体労働」と「知的労働」の二面性があります。実験を進めるのは肉体労働です。研究方針や実験方法を模索したりデータ考察を行ったりするのは知的労働ですね。

研究室に入りたての学士課程では、研究がほぼ肉体労働となります。学部生は右も左も分かりません。まずは先生や先輩に言われるがまま手を動かしてデータを得ていくのです。データ考察さえ一人ではできません。周りの人の思考力を拝借し、知的労働を肩代わりしてもらいます。

修士課程へ進学するとどうなるか。知的労働的な側面が徐々に色濃くなっていくでしょう。専門的な知識や技術が身につき、思考力の基盤が醸成されているためです。研究方針を一人で決めて実験していくことも可能。研究が順調に進んでいる方なら学術論文の執筆まで行うかもしれません。

博士課程へ進学したらどうなるか。知的労働的な要素が全開になります。指導教員はほとんど助けてくれません。研究をゼロから自分で組み立て、データ創出、考察、論文執筆まで独力で行うことに。毎日、もう嫌! というほど頭を使います。特に論文執筆時、それも博士論文を作る際は、考えすぎてブドウ糖が枯渇して動けなくなってしまうでしょう。

修士までで終えた人と博士課程を修了した人の違いは「思考の深さ」に現れます。ひとつのテーマに対して深く問うていく力が段違いなのです

思考の枕詞は5W1H。いつ(When)、どこで(Where)、誰が(Who)、何を(What)、なぜ(Why)、どのように(How)と六方向から問うていく。問いに対して枕詞を何回付与して考察を行えるか。思考をどこまで多く分岐させて問い続けていけるか。修士と博士とでは「思考掘削力」に違いが現れます。掘削力は、思考回数の増加に伴い高まっていくもの。修士までで終えるよりも博士まで進んだ方が考える回数が多い、ゆえに、思考掘削力は博士人材の方が段違いに高いのです。

視野の広さ

学士、修士、博士と進むにつれ、研究の専門性がより高まっていくでしょう。ひとつのテーマで成果を挙げるたびに専門家への階段を一段ずつ昇ります。論文を書けば、人類の知的フロンティアをほんの少しだけ外側へ押し拡げることに。これは本当にすごいことです。人類初の知見を世界に提供し、文明の発達に貢献できるのですから。

上の段落では「専門性が高まる」と述べました。研究をしていけばスペシャリストになれる、と。修士までで終えたらジェネラリスト。専門分野の基礎は身についている一方、新たな知見を創造する段階にまでは達していません。博士課程まで進めばスペシャリスト。研究の第一線に立って知的創造物を産み出す側になれます。

”専門性”や”スペシャリスト”と聞いたら「視野が狭くなりそう」と思いません? 専門分野特有の見方に頭が凝り固まる。思考の柔軟性を失ってしまいそう、と。

実のところ、専門性を磨いていくにつれ、視野はどんどん広くなっていきます

日々の思考が専門知識の有機的接続を強化してくれます。知識のネットワークが拡充されていくにつれ、今まで見えてこなかった新たな景色が見えてくるでしょう。専門分野の概観をおさえた頃には他分野を学ぶ余裕が生じます。知識量が臨海値に到達すれば、脳内で異分野の融合が起こるかもしれません。修士時代には考えもしなかった別の角度から物事を捉えられるように。思考力を備えた別の自分が体の中にもう一人いる感覚。今までの自分と新たな自分とでセルフディスカッションまで行えるようになるのです。

修士人材と博士人材の視野の違いは人生全般にも影響を及ぼします。

博士課程では、様々な場所で多種多様な経験をするでしょう。国際学会、企業インターンシップ、海外留学、成功、挫折など、よりどりみどり。博士課程で過ごせば、プラス三年分の人生経験が得られます。しかも、その濃度はそんじょそこらの生活の比ではありません。あまりにドロドロすぎて、流体なのか固体なのかゲロなのか判別つけられぬほどの濃度。

博士課程を経れば、深くて広い人生経験に基づく自分らしい決断を下せるようになります。その際、固定概念になど囚われません。視野は全方位。己の進むべき道を柔軟に決められるようになるのです

かめ

道が無ければ切り拓けばいい話
既存の道を進むだけが人生ではありません

結果に対する執念

修士と博士とでは学位取得に必要な労力が違います。

修士号取得に必要な労力を『1』としましょうか。博士号を取るのに必要な労力は『10』から『20』にも及ぶのです。博士号を取るにはケタ違いの努力が欠かせません。顔が老けて別人と間違われるほどの圧倒的な努力が求められます。

修士課程と博士課程の大きな違いは「結果の必要性」ではないでしょうか。

修士までは結果が必ずしも必要ではありません。一回ぐらい学会発表できて修士論文を書けるデータがあれば十分です。博士課程では結果創出がマスト。専攻ごとに定められた論文出版数をクリアし、それでようやく修了が見えてくる世界。博士課程は完全実力主義です。実力のある者だけが修了できます。成果を出せなかった学生は永遠に抜けられません。土下座してもダメ。教授会へ泣きついても意味がない。オーバードクターするか・退学するかの二択を強いられるでしょう。

博士課程では結果が必要です。何としてでも結果を出すべく、皆、懸命に研究へ励みます。必要とあらば土日だって返上する。ありとあらゆる犠牲を払ってでも学位を掴み取ろうとジタバタする。当然、目の色だって変わるでしょう。最後の最後は執念。学位を取るぞ。博士論文を仕上げるぞ。学位審査会をなぎ倒してやる。博士号を一発で仕留めてみせるからな、と。

修士人材と博士人材の一番の違いは『結果に対する執念』ではないでしょうか。結果に対する思い入れが、両者であまりにかけ離れています。

結果が必要ではない修士課程。結果が必要な博士課程。置かれた環境の違いは、各個人のマインドセットへ響いてきます。

もしも結果が不要なら、仕事に当事者意識を持ちません。「どうせ誰かがやってくれるだろう」とボーッと過ごしかねない。仮に結果が必要なら、現状に危機感さえ覚えるもの。「自分が何とかしなければ💦」と、思考回路をフル回転させ、活路を模索します。

企業でもそう。研究所へ入るにしてもそう。大学院修了後の成長速度が高いのは博士人材ではないでしょうか。修士人材とついた三年の差など、ものの数年で巻き返せるはずです。

最後に

この記事では、修士課程と博士課程の修了時における能力の違いを整理しました。思考の深さ、視野の広さ、結果への執念。いずれも博士課程という特殊な環境で育つ力です。

博士進学に迷っているなら、この記事を参考に、少し先の自分を思い描いてみてください。すでに博士課程にいる人は、自分がいかに変わってきたかを改めて感じてもらえたら嬉しいです。進学か就職かに正解はありません。大切なのは、自分で納得して選ぶこと。その選択を支えるのが、未来の自分を想像する力です。

この記事が博士課程の理解に少しでも役に立てば幸いです。

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