【化学系】手汗がヤバい! 手が届かない! グローブボックスあるある8選

化学系の研究室に足を踏み入れると、なにやら大きな箱に両手を突っ込んで黙々と作業している人を見かけることがあります。初めて見た人は、だいたい怪訝な顔をするでしょう。何をしているのか、なぜ箱に手を入れているのか、そもそも目の前の箱は何なのか。

不思議な箱の正体は、グローブボックスといいます。

グローブボックスは、内部を不活性ガスで満たし、空気中の酸素や水分を嫌う物質を安全に扱うための装置です。ボックスの正面に取り付けられた分厚いグローブに腕を通して、箱の中で実験操作を行います。化学系の研究、とりわけ電池材料や有機金属を扱う研究室では欠かせない存在で、筆者も大学院時代、毎日のようにお世話になっていました。お世話になっていたというか、もはや同居人のような関係だったかもしれません。

今回は、グローブボックスにまつわるあるあるを8つお届けします。使ったことのある方は深くうなずいていただき、見たことも聞いたこともない方にはグローブボックスの異様な世界を知っていただければ幸いです。笑いごとではないエピソードも含まれていますが、笑いごとではないからこそ笑って供養させてください。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

まずはグローブと握手から

グローブボックスの内部は、外部よりも気圧がわずかに高く設定されています。内外の圧力差があるため、誰も使っていないとき、ボックスに取り付けられたグローブは内部の圧力に押されて外側にぷっくりと膨らんだ状態になっています。まるで箱の中から誰かが手を差し出しているような光景で、深夜の研究室で見るとほんの少しだけホラーです。

実験を始めるときは、膨らんだグローブをぐっとボックスの中に押し込みながら自分の腕を通していきます。膨らんだグローブの手の部分と自分の手がちょうど握り合うような形になるのですが、手を合わせた瞬間、心の中でグローブに向かって挨拶をしてしまう気持ち、わかっていただけるでしょうか。今日もよろしく頼むぞ、と。作業の終わりにグローブから手を引き抜くときは、お疲れさまでしたの気持ちすら芽生えます。

実験装置に感情移入するのは研究者の職業病のようなもの。グローブボックスに限らず、SEMでもXRDでも、使っている装置に感謝し、調子の悪い装置をぶん殴ってさすりながら語りかける人は少なくありません。ただ、グローブボックスの場合は手を握り合うという物理的な接触が伴うため、親密さが一段階上がっている気がします。

私もグローブボックスが大好きです。来世はグローブボックスと結婚したい。さすがにそんなことは無いんですけれども、そんなこともあるかもしれません。

手汗の量がおかしい

グローブボックスで作業するとき、まず自分の手にゴム手袋をはめ、ゴム手袋の上からボックスのグローブに腕を通します。さらに、ボックス内部の清浄さを保つために、グローブの中でもう一枚手袋を装着して作業するのが一般的です。つまり、手袋が三重になります。

想像してみてください。真夏に革手袋をはめて生活することを。グローブボックスの三重手袋は革手袋の比ではありません。一枚目のゴム手袋で手が蒸れ、二枚目のグローブでさらに密封され、三枚目の手袋がトドメを刺す。数十分も作業していると、手袋の中はもはやサウナのような状態に。指と指のあいだに汗が溜まっていき、不快をはるか通り越し、ある種の悟りの境地に導いてくれます。”整って”いきますね。

作業を終えてグローブから腕を引き抜くと、外気に触れた手から湯気が立ちのぼることがあります。はじめてアレを見たときは、自分の手が腐ってしまったのかと本気で心配しました。

ボックスの奥に手が届かない

グローブボックスの中で作業できる範囲は、当然ながら腕の長さに制限されます。ボックスの手前であれば快適に作業できるのですが、問題はモノを奥に置いてしまったときです。

物を奥に置いてしまうと、指先がギリギリ届きません。あと数センチなのに届かない。友達以上、恋人未満の微妙な三角関係といった感じでしょうか。ちょっと何を言っているか分かりません。いや、分かってください、お願いします。

物に手が届かなくても、実験するには奥にある物が必要です。となると、肩をボックスの壁面にぐいぐい押し付け、腕を限界までねじ込むような恰好になります。顔はボックスのガラス面にぺったりと張り付き、体は斜めにねじれ、つま先立ちになっていることも。傍から見ると、巨大な箱に上半身を飲み込まれかけている人にしか見えません。

研究室にお客さんが見学に来ているとき、折悪しく箱に張り付くような体勢を取っていると、だいたい二度見されます。お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。いや、悪気はないんですよ。物が奥にあるから、何とかして取ろうとしているだけで。

グローブボックスを使うときは、物の配置には気を使いましょう。自分も肝に銘じていたのですが、何か月か経つともう忘れ、その都度痛い目に遭わされます。物を奥に置くと後で大変なことになると分かっていても、作業に集中していると、ついつい奥に押しやってしまうのが人間の悲しいところです。

中で薬品をこぼし、プチパニック

三重の手袋で覆われた手は、素手とはまるで別物です。指先の感覚はぼんやりとして、細かい操作の精度は大幅に落ちます。試薬瓶のフタを開けるのも、スパチュラで粉末をすくうのも、溶媒をピペットで移すのも、ひとつひとつの動作をゆっくりやっていかなければなりません。

慎重に作業を進めていても、事故は起こります。ふとした拍子に試薬瓶を倒し、ボックスの底に薬品が広がってしまうのです。普通の実験台なら拭けば済む話ですが、グローブボックスでは話が違います。

大気中であれば蒸発して消えてくれるような溶媒も、不活性ガス雰囲気下ではいつまでもボックスの底に居座り続けます。腐食性のある薬品だった場合、放っておけばボックスの内壁や底面を侵食してしまう可能性がある。グローブボックスは一台数百万円する高額な装置ですから、「あー、先生。さーせん、薬品で溶かしました笑」では済まないでしょう。

三重の手袋をはめたまま、ボックス内に常備してあるキムタオルを必死でつかみ、ごしごしと拭き取る。急いで拭き取らなければボックスが壊れるかもしれない。焦れば焦るほど手元はおぼつかなくなり、キムタオルがうまくつかめなくなる。拭いているのではなく、こぼした薬品を塗って広げているだけではないかという疑念が頭をよぎりつつも、罪悪感を拭うために手を動かし続けるしかありません。薬品をこぼしたときの緊迫感は、何度経験しても慣れないものです。

前室の真空引き、待ち時間の長さよ

グローブボックスに物を出し入れするとき、直接ボックスを開けるわけにはいきません。”前室”と呼ばれる小さな部屋を経由して出し入れします。前室に物を入れたら扉を閉め、内部を真空に引き、不活性ガスで置換する。真空引きとガス置換を数回繰り返して、ようやくボックス側の扉を開けて物を取り出せるようになります。

真空引きとガス置換の工程が、地味~に長いんですよね。たったひとつの小瓶を入れるだけでも数分から十数分はかかります。急いでいるときに限って、「あと一回だけ真空引きしておこうか」と慎重になって、結局余計に時間がかかってしまったり。真空引き中にスマホを見るには短いし、かといって他の作業を進められるほど長いわけでもない。ただポンプの低い振動音を聞きながら、はよ終われやと気圧計を眺める数分間。

グローブボックスのある研究室に所属している大学院生は、在学中に前室待ちした時間を累計すると相当な時間になるはずです。もし時間を巻き戻せるなら、前室の前でぼんやりしていた時間で英単語のひとつでも覚えておけばよかったと思いますが、ポンプ音だけが響く虚無のラボで暗記ができるほど人間は器用ではありません。

共用ボックスの中がカオス

研究室によっては、ひとつのグローブボックスを複数人で共用することがあります。共用ということは、自分以外の人間もボックスの中を使うということです。進次郎さんのように当たり前のことを言って恐縮ですが、当たり前の事実がときに牙をむきます。

自分が使おうとボックスの中をのぞいたとき、前の使用者が試薬瓶や器具を散乱させたまま去っていることがあります。ぐちゃぐちゃになったボックス内を目にしたとき、「なんしてんの…」と脱力してしまいます。目を静かに閉じたくなる瞬間ですね。

実験を始めたいのに、まずは他人の後片付けからスタートしなければなりません。しかも三重の手袋で。素手でもめんどくさい片付けが、操作性の落ちた手袋越しだと、面倒臭さが三割増しになります。消費税よりも高いですね。ありがとうございます。片付けを終える頃には、実験へのモチベーションがかなり削られていて、なおたちが悪い。

グローブに穴が開いていることがある

グローブボックスのグローブはゴム製です。見た目はなかなか頑丈そうですが、鋭利なものが触れれば裂けることもありますし、経年劣化で小さな穴が開くこともあります。厄介なのは、穴が目視ではほとんど見つからないほど小さいこと。ゴムの表面をどれだけじっくり眺めても、ピンホールほどの穴は人間の目では捉えられません。

人間の目はごまかせますが、ボックス内部に設置されたガスセンサーの目はごまかせません。グローブにほんの小さな穴が開いているだけで外気が侵入し、センサーが酸素濃度の異常を検知して「ヤバいです」と警告を出してきます。慌てて確認してみると、ボックス内の酸素濃度がほぼ大気と同じレベルにまで上昇している。ボックスの中身は不活性ガスで守られているはずだったのに、いつの間にかただの空気が充満している。何ということでしょうか。

大気と同じ酸素濃度が意味することはひとつです。お前はもう、死んでいる。ボックス内に保管していた、空気に弱い試薬は全滅しています。数日かけて合成した化合物も、電解液も、金属片も、全部使い物にならなくなっています。実験が全部やり直しになって、身体の中から何もかもが出てきそうなほど深いため息をつくことになるのです。

ガスボンベ交換は筋トレ

グローブボックスの不活性ガス雰囲気を維持するために、ガスボンベからガスを供給し続ける必要があります。ボンベが空になれば、当然交換しなければなりません。

ガスボンベがね、とにかく重いんです。重さは30kgはあるのではないでしょうか。鉄の塊のなかに、ガスと夢と希望がパンパンに入っています。破裂させたらどうなるんでしょうね。夢も希望も失うのではないでしょうか。

研究者は基本的にデスクワークと実験を行き来する生活を送っており、重量物を運搬するための筋力が備わっているとは限りません。というか、大半の場合は備わっていません。 もやし よりも もやし に近い、痩せた肉体の持ち主であります。

ガスボンベを交換するときは、ボンベ置き場からグローブボックスの横まで、巨大なボンベを少し傾けて、底の縁を使いながら転がして運んでいきます。廊下を通り、ドアを抜け、ときにはエレベーターにも乗せなければなりません。腕にも腰にも負荷がかかり、実験というよりは完全に肉体労働です。翌日、筋肉痛になることもあります。化学の研究をしに大学院に来たはずが、なぜ筋肉痛になっているのか。考え始めると少し悲しくなるので、考えないようにしています。

おわりに

グローブボックスは、空気を嫌う物質を安全に扱うための欠かせない装置です。最先端の研究を支える頼もしい存在であり、ボックスなしでは成り立たない実験がたくさんあります。

けれども、ボックスの中で繰り広げられている日常は、外から見る以上に泥臭くて人間味にあふれています。手袋三枚重ねの蒸し暑さに耐え、ボンベの重さに腰を痛め、こぼした薬品にヒヤヒヤし、前室の前で虚空を見つめ、他人の散らかした後始末に心を無にしながら、研究者たちは今日もグローブに手を通しています。

もしどこかの研究室で、巨大な箱に両腕を突っ込んで黙々と作業している人を見かけたら、三重手袋の向こう側で静かな戦いが繰り広げられていることを、少しだけ思い出してあげてください。そしてもし手が湯気を出していたら、そっとしておいてあげてください。

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