博士課程で世間体に悩んだ私がD2で吹っ切れるまで【帰省・親戚付き合い】

博士課程を修了してから数年が経ちますが、あの頃の記憶は未だに色褪せません。特に忘れられないのが、世間体との付き合い方です。博士課程の日常は一般社会の時間軸からかなりずれていて、そのずれが生み出す摩擦に何度も心をすり減らしました。

この記事では、博士課程の学生が抱える世間体の悩みについて、私自身の経験をもとにお話しします。これから博士課程へ進もうとしている方にも、今まさに渦中にいる方にも、何かしら響くものがあれば嬉しいです。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

日常の時間軸が社会とかけ離れている

平日の昼下がりに書店をぶらぶらしていると、あることに気づきます。同年代の若者が全員、別の場所にいるのです。当然といえば当然ですね。同世代はみんな大学で講義を受けているか、オフィスで仕事をしているかのどちらかでしょう。一方の私はといえば、本屋で次に読む海外文学作品を吟味し、スーパーで夕食の食材を選んでいる。博士課程時代の私は、社会の時間軸から明確に外れた場所で暮らしていました

日中のスーパーって、独特の空気が流れているんですよ。店内にいるのはほとんどが主婦の方々で、20代の男は私くらいのものです。たまに若い従業員さんと目が合うと、やましいことは何もないのに、妙な後ろめたさを感じてしまいます。(この人、平日の真昼間に何やってるんだろう…)と思われている気がして、背中がそわそわしました。なんだか悪いことをしている気分です。

札幌駅南口のベンチに腰かけて論文を読んでいると、周りの人たちの会話が聞こえてきます。どうやら世間ではニュースやゴシップの話題で大盛り上がりらしいです。知らない人の名前(どうやら有名人らしい)を繰り返し挙げて、「あの人、ヤバいよね!」「そうそう! ヤバいよね~」と野梅の話でもちきりに。しかし、博士学生の私の脳内には論文と研究計画のことしかありません。浮世離れしている自覚はうっすらとありましたが、実際の距離は自覚よりもずっと大きかったのだろうと思います。

休日の過ごし方も世間とはかけ離れていました。同年代の若者が出かけて遊んでいる間、私はといえば、研究室でデータ解析や論文執筆に明け暮れていたのです。一日でも早く論文を出さなければという焦りが私を休日返上で働かせました。好き好んでやっていたというよりは、やるしかないからやっていただけ。ただ、楽しいかと聞かれたら「う~ん…楽しいっ!」と答えてしまうのが博士課程の厄介なところなのですが。

帰省は試練

実家に帰るたび、時計の針が止まったような感覚に襲われました。両親は「まだ学生なの?」とは口にこそ出さないものの、目がそう語っているのがはっきりと分かるのです。親から心配と戸惑いが入り混じったモザイク模様の視線を向けられるたび、胸の奥がきゅっと締まって息苦しさを覚えました

両親にとって、大学は”遊ぶ場所”といったイメージなのでしょう。二人とも研究をした経験がないため、『研究』という営みの本質を理解するのが難しいのかもしれません。研究の意義や将来性を一生懸命伝えても、会話はいつも平行線をたどりました。父と顔を合わせるたび「遊んでいないで、早く就職しなさい」と言われたものです。一応私は、学振DC1として国から給料をもらう国家公務員だったんですけどね。ちゃんと働いていたんですよ。

母は母で別の心配をしていました。私の結婚適齢期がどんどん過ぎていくことへの懸念です。同級生たちが次々と結婚していく中、私は実験室に籠もり続けている。母の不安が募っていくのは当然のことかもしれません。ただ、仮に修士で企業就職していたとしても、私の結婚が早まったかどうかは甚だ疑問ですね。なんせ、私は全くといっていいほど人間にモテないのですから。私にすり寄ってきてくれる生きものは、ネコとウマとアザラシだけ。哺乳類に好かれているだけマシだと思うことにしています。

親戚付き合いも試練

D1の夏、祖母が亡くなりました。葬儀での出来事は今でも忘れられません。

葬式では親戚一同が集まります。すると当然、会話が生まれるでしょう。親戚に「いま何をやっているの?」と聞かれ、正直に「博士課程で研究をしています」と答えました。すると返ってきたのが「いつまでも学生でいられていいわねぇ〜」というひと言。言葉だけでなく、表情にもしっかりと皮肉が乗っていました。

悪気があったのかどうかは分かりません。ただ、アカデミアの世界を知らない人にとっては、博士課程の学生に対する認識なんてその程度なのでしょう。怒ったところで何かが変わるわけでもないし、黙って受け流しておきました。

親戚同士の会話が近況報告に移ると、居心地の悪さはさらに増します。いとこたちは既に会社で働いていて、もう結婚して子供を育てている。私はまだ学生で、彼女もいないし、子供ではなく論文を育てている。私が結婚に興味がないとか、どれだけ研究が好きかだなんてことはお構いなしに、相手は自身の価値観を押し付けてくる。もう、勘弁してくれよと思いました。おばあちゃんと一緒に自分も火葬されて存在を消したくなったものです。

D2でようやく吹っ切れた

博士課程最終年度のD2になって、ようやく世間体が気にならなくなりました。周囲からどう見られていても、もう平気になったのです。開き直ったのとは少し違います。研究者としての自分の輪郭がハッキリしてきた結果ではないでしょうか。世間一般の価値観とは異なる、研究者としての価値基準が育まれて行ったのです。

価値基準が変わると、日常の見え方も変わります。昼間にスーパーで買い物することも、ベンチで論文を読むことも、以前は後ろめたかった時間がむしろ贅沢に感じられるようになりました。社会の標準的な時間軸から外れているからこそ研究に没頭できるのだと、ようやく思えるようになったのです。

ただ、世間体から解放された代わりに別の不安が芽生えました。社会への適応能力が日に日に失われていく実感です。博士課程修了後は民間企業で働く予定でしたから、自分が会社できちんと人間関係を築けるのか、本気で心配していました。

結果だけ申し上げると、博士課程で培われた社会不適合性は、今のところ会社生活にむしろプラスに働いています。会社では「変わってるねぇ~」と面白がってもらえて、名前をすぐ覚えてもらえています。社会不適合性も、使いようによっては武器になるようです。

あの違和感の正体

博士課程での日々を振り返って、確信を持って言えることがあります。

私は確かに、一般社会の枠組みからは外れていたのかもしれません。でも、外れていたからこそ見えた景色があったのではないかと思います。既存の価値観との衝突は常識との摩擦を生み出し、当たり前とされていることに対して疑問を持つ契機となりました。そのおかげで問いを立てる力が育ち、研究者として少しは成長できたのでしょう。博士課程で味わったあのフワフワとした違和感も、親戚からぶつけられた皮肉も、全部ひっくるめて、新しい何かを生み出すために必要な反応熱だったのです。

世間体なんて気にしている暇があったら実験しろ、とD1の頃の自分に言ってやりたいですね。まぁ、当時の私にそんなことを言ったところで、聞く耳は持たなかったでしょうけれど。

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