【男のロマン】ラーメン二郎とは?B2以来6年ぶりに食べた感想をレポート

北大と国研で研究していた化学系大学院生かめです。博士課程を一年短縮して早期修了することが決まりました。

大学院脱獄記念に「ラーメン二郎 札幌店」へ濃厚あっさりラーメンを食べてきました。二郎を食べたのはB2以来、六年ぶり二回目のこと。

この記事では、久々にラーメン二郎を食べた感想をレポートします。ラーメン好きの方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!

ラーメン二郎とは

ラーメン二郎とは何か。

それは、男子大学生にとって最も重要な問いと言っても過言である。あまりに深すぎて、ラーメン二郎は「飲み物である」とか「ラーメンではない」とか「現代アート史上の最高傑作である」とか「日本男子の通過儀礼である」とか言われている。その真相は、大盛野菜を根元から支える濃厚白濁豚骨スープの中にある。

今回はM1の後輩にラーメンをご馳走になった。ラーメン+肉増し+キムチ=1,400円のご馳走にありつけた。決して後輩を恐喝したわけではない。先々月にTAを代行した分の給与を二郎一杯分で返してもらったわけだ。渋谷や原宿にたむろする女子大生の間で流行中の『二郎払い”とかいうヤツだ。ペイペイなんてもう時代遅れ。最先端は二郎払い。「お支払いは?」「あっ、二郎で♪」最高じゃないか。ニンニクマシマシで支払ってやる(めっちゃ臭そう)

初めて二郎を食べたとき

初めて二郎へ行ったのは六年前。B2のころ、当時入っていた馬術部の先輩と一緒に札幌店へ行った。

六年前に初めて二郎へ行った際、ラーメンが目の前に着丼したときの印象は強烈だった。こんな食べ物があっていいのだろうか。「なんじゃこりゃ!?」と三度見してしまった。大きなどんぶりにもやしの山が天高く屹立している。その高さはキリマンジャロのごとく、山の鋭さは削りたての三菱鉛筆のごとし。ヤサイの根元を支えるようにして極太麵と肉塊とドロドロのスープがぎっしり埋まっている。人生で口に含んできた総量を上回るほどのニンニクが異彩と異才と異臭を放つ。

これを食べたらどうなってしまうのだろうか。二郎になってしまうのか。それも本望だ。二郎になってやろう。二郎が無理でも次郎にならなれる。イチローの息子になれるなら上等だ。レーザービームならぬニンニクビームを発せられるようになるはず。マイナーリーグ挑戦の五秒前だ。

スープを口に含んだ瞬間、脳へビリッと電撃が走った。気付けば脳が100%『快』の状態に変わっていた。てんこ盛りだったヤサイの山があっという間に消えていく。ときどき天地返しして麺を食べる。食事へ弾みをつけるべくチャーシューを頬張る。食べられるか心配だった超濃厚あっさりラーメンをペロリと平らげてしまった。

お店を出た瞬間に魔法が解けた。脂っこさが盛り返してきて猛烈な胸やけをもよおした。吐きたいけれども吐くわけにはいかない。お店の前で吐いたら一発で出禁になる。どうにか家まで堪えて凌いだ。やっとの思いで下宿へ着いた頃には吐き気が収まっていた。

二郎系ラーメンの常食

つくば 俺の生きる道

二郎は美味しい。だが脂が濃すぎて常食は困難。そこで、二郎本家よりもマイルドな”二郎系ラーメン”を食べるように。広島人が”関西風”お好み焼きを食べるようなイメージ。まがい物を食べるのにいささかの罪悪感を覚える。致し方ない。二郎本家はあまりに刺激が強すぎるのだから。ちなみに私は広島人。広島「風」お好み焼きと言われた瞬間にどんな相手へも舌打ちするのでご注意を。

北大近辺には二郎系がいくつかある。スープにキレがある「孝一郎」、魚介系スープが特徴的な「らぎちゃんラーメン」、安くてボリュームの多い まぜそば で人気を博す「六鶴(ろっかく)」など。
それぞれのお店に20回は行っただろうか。何度食べても飽きさせない、ドラッグのような中毒性があった。二郎系ラーメンを食べても太りはしなかった。ランニングで消費しているカロリーの方がラーメンよりも多かった。ラーメンを食べれば食べるほど痩せていく怪奇現象が起こっていた。二郎系ラーメンはダイエット食。あれほど大量の野菜を食べていれば、食べれば食べるほど痩せるのもうなずける話。道理で原宿の女子大生も好んで食べるわけだ。そのうち二郎は青学の構内にも出店するのではないか。きっとJDたちも喜ぶぞ。一刻も早く新店舗の展開検討を加速してほしい。

大学院生になった頃から胃の消化機能が衰え始めた。二郎系ラーメンを完食するぐらいならできる。けれども、ラーメンを食べたあと2日間ほどお腹を下すようになった。あのあっさり(笑)としたラーメンを消化できるキャパがもう備わっていない。老人は老人らしく体にやさしい食べ物を味わうべきだ。M1前期を最後に二郎系のラーメン屋にも足を運んでいない。身体がおかしくなると知っていながら食べに行くほどのチャレンジャーではなかった。

二郎を六年ぶりに食べてみたところ

先月、博士課程の早期修了が決まった。就職するのは地元の広島。我がホームタウンには二郎のお店がない。二郎系も居住区の近くにはない。二郎を食べる機会はもうないかもしれない。これからますます老いていく。二郎を食べられるうちに食べておかなければ、死ぬ間際になって心残りがあるかも。そこで、後輩を恐喝してにご馳走になるのを口実に二郎へ足を運んだ。人生最後の二郎のつもりで味わいつくそうと決心したわけだ。

六年ぶりに食べた二郎は、昔と同様に強烈な味わいだった。脂が濃い。この六年間に食べたどの食べ物よりもギトギトである。まるで脂の海を泳いでいるよう。バタ足をやめたら即座にどんぶりの底まで引きずり込まれてしまいそうなほどの重さ。一瞬たりとも手と咀嚼を止めることなくガシガシ食べていった。後ろには続々とお客さんが座っていく。”おい、てめぇ。早く完食しろよ”と無言の圧力を送ってくる。ロット乱しは許されない。味わいながら極力スピーディーに、短時間での完食を心掛けた。

特に終盤が苦しかった。お腹は”もういらない”と言っているが、目の前にはまだ1/3ほどラーメンが残っている。”何もいらん”と訴える胃袋へ食べ物を無理やり詰め込んでいく。その有様は、博士課程で「研究などもうやりたくないっ!」と泣きわめく私へ研究が押し付けられていたのと似た構造。胃袋よ、私の気持ちが分かったか?苦しめ!もっと苦しみやがれ!!私の気持ちが理解できるまでのたうち回れ。胃袋が自身のものとは知らずに食べ続けて腹がパンパンに膨れ上がった。あぁ、めっちゃ苦しい。

最後まで吐かずに食べ切られた。博士課程を通じて胃袋が強くなったのか、食後に吐き気はちっとも生じなかった。案外ペロッと食べられたな。これなら札幌へ居る間にもう一度食べに行ってもいいかもしれない。なるほど、博士号は胃袋を強くする効果があるのか。ああ、博士号を持っておいてよかった。Ph.D.とは「Pristine Harmonious Dining(清らかで調和の取れた食事)」の略称。足裏の米つぶをスパイスに振りかけるだけで極上ランチを楽しめるようになった。

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