八年間の学生生活を終え、社会人としての暮らしが始まりました。決まった時間に起き、決まった場所へ向かい、決まった手段で帰る。その繰り返しです。
整然とした日々に見えて、実際は息つく間もありません。週五日、八時間の労働は、想像していた以上に心身を削ってきます。肉体の疲労よりも、静かに積み重なる精神的な摩耗が厄介です。家の扉を開けた瞬間、思わず深いため息がこぼれることもしばしばあります。
私は一応マラソンランナーで、人並み以上に体力があると自負していました。それでもなお、会社員生活というものは、そんな自分をここまで消耗させてくるのです。社会人という仕組みは、肉体的にも精神的にも容赦がありません。
会社員にとっての救いは、職場の外にしかありません。会社という小さな世界から離れた瞬間に、ようやく息ができる。けれど、現実にはその自由を楽しむ余力が残っていない人が多いように思えます。体力を使い果たしてしまえば、せっかくの休日もただの「横たわる時間」となるでしょう。休めぬままに翌週を迎え、疲れが抜けないまま新しい一日を始める。そんな生活を続けていれば、心身の限界はそう遠くありません。
この記事では、会社員のプライベート充実のために「体力」をつけるべしという話をします。日々の業務で消耗している全ての会社員さんにピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
会社員になって気づいた、想像以上のしんどさ


会社員生活をここまで息苦しくしている要因は何か。それは「通退勤」と「仕事」の二つに集約されます。
通退勤での消耗
満員電車に乗るのは、想像以上に体力を奪われます。狭い車内に押し込まれ、身動きも取れないまま運ばれていく。人の体温と湿った息が絡み合い、わずかな空気を奪い合うような時間です。視線を落とせば、誰もが疲れた顔をしています。スマートフォンを見つめる人、無表情で立ち尽くす人、どの顔にも生気がありません。朝の電車で笑っている人を見つけるのは、もはや奇跡に近いでしょう。
私も電車通勤をしています。行きの車内はまだましですが、帰りは地獄です。終業後の安堵が、電車のドアが閉まる音とともに一瞬でかき消されます。汗と疲労の混じった空気がまとわりつき、解放感などあっという間に霧散します。あの押し込まれる感覚、あれを「通勤」と呼ぶのは、もはや皮肉ですらあります。ネット上で「社畜」という言葉が生まれたのも、無理からぬことでしょう。家畜のように詰め込まれ、黙々と運ばれる人の群れ。その中で、自分が何者なのか分からなくなっていく瞬間があります。
帰宅ラッシュの車内には、不機嫌が蔓延しています。誰もが苛立ちを抱え、それを押し殺している。わずかな接触で舌打ちをする人もいれば、無言のまま耐える人もいる。あの空間にいると、世界から優しさが消えたかのような錯覚すら覚えます。日々この環境を往復していれば、精神的に擦り切れるのも当然です。
そして、電車を降りてようやく自由を感じたその瞬間には、もうエネルギーが残っていません。帰宅後の時間は「何かを楽しむための時間」ではなく、「回復のための時間」になってしまうのです。
仕事での消耗
日本の企業は、いまだに「時間」で人を評価する文化に支配されています。どれほど効率よく仕事を終えても、定時までは席を立てません。成果よりも、滞在時間こそが忠誠心の証とされるのです。頑張った人が早く帰れるのではなく、むしろ頑張った分だけ損をする。そんな仕組みの中で、多くの社員が静かに疲弊していきます。
学生の頃は、やるべきことを終えたら帰るのが当然でした。研究が順調なら、午後から図書館に寄ったり、友人と食事に行ったりもできた。ところが社会人になると、仕事の出来不出来に関係なく、一定の時間を会社で過ごさねばなりません。長く居れば居るほど、給料も上がる。つまり、命の時間を切り売りしているようなものです。得たお金を使う気力など、社外に出るころにはもう残っていません。
人間関係もまた、会社員生活の大きな負担です。相性の悪い人と毎日顔を合わせなければなりません。苦手な相手とも、笑顔で会話を交わし、協力しなければならない。仕事の成果よりも、「人間関係の維持」にこそ膨大なエネルギーが費やされているのが実情です。たとえ理不尽な態度を取られても、感情を抑え込み、波風を立てぬように振る舞う。心のすり減り方は、肉体の疲労とは比べものになりません。
そんな日々の中で、ふと考えます。自分は何のために働いているのか。生きるために働くのか、それとも、働くために生きているのか。
夜の帰り道、街の灯りを見上げながら、答えのない問いが頭の中を回ります。どのビルにもまだ明かりが灯り、人の影が動いています。誰もが同じように、今日という一日をなんとか乗り切ろうとしているのでしょう。
休みがあるのに休めない。会社員の不自由な自由時間


会社員という生き方は、想像以上に不自由です。
日々の移動で体力を削られ、職場では精神を磨耗させる。辞めたいと思っても、簡単には身動きが取れない。家族や住宅ローン、将来への不安。あらゆる事情が人を縛り、無理を重ねるうちに、いつのまにか笑顔の作り方さえ忘れてしまうのです。
もしベーシックインカムが導入されたら、どれほどの人が喜んで退職するでしょう。おそらく、九割の会社員が迷わず辞表を出すはずです。私もその一人になるかもしれません。仕事そのものは嫌いではありません。けれど、通勤だけはどうにも受け入れ難い。あの満員電車の圧迫感に比べれば、残業など可愛いものです。
会社員にも自由な時間はあります。平日の朝晩と、土日祝日。ほんのわずかですが、羽を伸ばせる貴重な時間です。けれど、あまりに少なすぎる。拘束と自由の比率があまりに不均衡で、心身を癒やすには到底足りません。日曜の夕方になっても疲労は抜けきらず、月曜の朝が近づくたびにため息がこぼれます。もう一日だけ休みがあれば、どれほど救われることでしょう。
限られた時間をどう使うかが、人生の質を左右します。
勉強でも、趣味でも、自己研鑽でも、やりたいことは数えきれないほどあります。しかし、実際には多くの人が「何もせず終わる休日」を過ごしているでしょう。土曜は気づけば昼過ぎ、何をする気にもなれず、ふとんの上で時間が溶けていく。日曜は食材の買い出しを済ませて、あとは動画配信サービスで映画を一本。気づけば夕方、憂うつな月曜がもうそこに迫っています。
自由時間は、体力があってこそ輝きます。体力を失えば、せっかくの余暇も「回復のための休息」にすり替わるのです。気づけば、働くためだけに生きているような毎日が出来上がっていくでしょう。
体力とは、ただの筋肉や持久力の話ではありません。人生を楽しむための“根っこ”のようなものなのだと思います。
体力があれば、人生はもっと楽しくなる


私は趣味でランニングをしています。大学進学と同時に、誰に教わるでもなく走り始めました。
最初は健康維持のつもりでしたが、気づけば十年。今ではフルマラソンを主戦場とし、自己ベスト更新を目標に日々走り込んでいます。会社へ行く前に15~20km、週末には30km以上走ります。月の走行距離は500km前後。数字だけ見れば、車よりも走っているかもしれません。同期社員からは「人間やめてる」と笑われますが、これが自分にとっての日常なのです。
月に500km走ると、確かに何かが変わります。脚力や心肺の強化はもちろん、精神が驚くほど安定していきます。どんなに過酷な業務でも、体が「まだ余力がある」と語りかけてくる。疲労を感じにくくなり、ストレスの波に呑まれにくくなる。
走ることで得られるのは筋肉ではなく、心の余白なのだと気づきました。正直に言えば、「疲れた」という感覚が、もうよく分からないのです。会社では周囲に合わせて疲れたふりをしているだけで、実際のところ、私はいつも元気です。
豊かな体力を糧に、業務外の時間を思う存分使っています。平日の朝はランニングと英語学習。仕事が終われば読書と筋トレ。週末は長距離走とブログ執筆。ときに書店を巡り、サッカー観戦にも出かけます。広島の街を走りながら季節の移ろいを感じるのは、何よりの贅沢です。
社会人になってから自由な時間は確かに減りました。それでも、手取りが増え、できることの幅が広がりました。学生時代は「時間だけがある」生活でしたが、今は「時間の密度」が違います。限られた時間を集中して使うことで、生活全体の満足度が高まったのです。毎日が本当に楽しい。これほど充実を感じられるのは、間違いなく体力のおかげです。
体力をつけるにも体力が要る。学生時代こそ最大のチャンス


自由時間の充実には、体力が何よりの基盤となります。読んでくださっている方の中には、自分も体力をつけたいと思われた方がいらっしゃるかもしれません。けれど、ここに少しだけ残酷な真実があります。体力をつけるにも、体力が要るのです。
動き出すためには、何かしらのエネルギーが必要です。火打石のように、小さな火花を起こす力が欠かせません。たとえば5km走れるようになるには、最低でも3kmを走れる体力が要ります。筋トレもまた、始めるまでがいちばん苦しいです。運動習慣とは、意志よりも先に“勢い”を必要とするものなのだと思います。
学生の皆さんへ、一つだけ伝えたいことがあります。学生時代のうちに、何かしらの運動習慣を身につけておきましょう。週に三回、三十分でも構いません。ランニングでもサイクリングでも水泳でも、好きなもので大丈夫です。運動の内容よりも大切なのは、身体を動かすことを生活の一部にしておくこと。体力をつけるための“土台となる体力”を、学生のうちに育てておくのです。
一度その下地ができれば、社会人になっても再び動き出せます。忙しさに追われても、身体が覚えている習慣はすぐに戻ってくる。体力は人生の通貨のようなものです。持っていればいるほど、自由に使える時間の価値が増していきます。どうか、未来の自分のために、いま少しだけ身体を動かしてみてください。今日の小さな一歩が、明日のあなたを支えてくれます。














コメント