自分がM1だったころ、いつも考えていたことがあります。博士進学(D進)するか、就職するか、どちらにしようかといったものです。自分以外にも過去に大勢の修士学生が通ってきた悩みでしょう。
私は研究が好きでした。今まで誰も分からなかったことを自らの手で明らかにしていくプロセスや、ツルハシで金鉱をカチンと当てたときの手ごたえが快感だったのです。研究を生業にしたいなと願う強い気持ちがありました。
一方で、博士課程に進むことに対する恐怖感もありました。ネットを見ても、D進したら病むぞとか、修了できないかもしれないぞとか、博士号は米粒だとかいったネガティブな意見が多く目についたのです。周りの人に相談しようにも、所属研究室に博士課程の先輩がおらず、誰かの意見を聞くことができませんでした。最終的にはD進を選びました。ここでD進しなかったら、就職後に悔やむだろうと思ったからです。
就職について考えていたとき、会社員博士なる道があると知りました。会社員として企業に籍を置きつつ、博士課程にも通って学位取得を目指すやり方があるのだと。会社から給与をもらい、安定した身分のもと、研究に打ち込むことができる。最高じゃないか。これだ、最適解は。就職に心が傾きかけたのも事実です。
就職へと舵を切る前に ふと考えてみました。「会社員博士って、現実的だろうか」と。本当に会社員博士になれるのか。働きつつ研究をする時間はあるのか。もし研究にブランクがあった場合、復帰して研究業界に追いつくことなんてできるのだろうか。私の判断はNoでした。会社員博士の道を選ぶよりも、課程博士として修士からストレートでD進した方が博士号取得に近いと考えたのです。
この記事では、社会人になってから博士号を取ればいいやと思っている修士学生に伝えたいことについて話します。修士就職とD進でお悩みの方、社会人以降の博士号取得をお考えの方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
会社員博士は選抜制のことが多い
ひと口に「会社員として博士課程に進めばいい」と申しますけれども、そんなに簡単なことではありません。会社員として博士課程に通うには、まず会社が首を縦に振ってくれなければならないのです。
会社員博士制度は、学費が会社負担になります。会社のお金を使って進学する以上、進学者が会社によって有益な人材になるよう期待されます。そうである以上、”自らの博士号取得が会社にとっての利益になるのだ”と説明する必要があります。
会社が社員を博士課程に派遣するのは、社員の専門性を高めたいがため。業務内容に近しい分野の研究に従事させ、当該分野に精通したスペシャリストになってもらいたくて派遣するのです。仮に、学生時代の研究テーマと今の業務内容とが全く異なるとしましょう。修士までの研究テーマを引き続き進めたいからD進しますと言っても、おそらく申請は通らないでしょう。会社員博士になるには、業務内容と関連のある分野での進学が求められる旨をどうか念頭に置いておいてください。
運良く申請が通ったとしましょう。おめでとうございます。いえ、事はそれで終わりではありません。
会社員博士制度を活用するにあたって、社内選抜を勝ち抜く必要があります。社内で手を挙げたD進希望者でセレクションが行われるのです。コンペティションの基準は会社によってさまざまでしょう。プレゼンや申請書で優劣をつけられることもあるし、社歴の長さだけが大切なこともあるかもしれません。
重要なのは、D進したいですと手を挙げたとして、希望が必ず通るとは限らないという所。修士から博士へのストレート進学は、よほどの人気ラボを除けば実質全入状態でした。それに対し、会社員博士としてD進するには、進学までに越えるべきハードルがあまりにも多いのです。しかも、そのハードルは、努力だけで越えられるとは限りません。相対評価に敗れたり、何らかの不可抗力が起こったりして、D進を断念せざるを得なくなるかもしれないのです。
もし、会社員として自費で博士課程に進むなら、話は少し変わってきます。自費進学なら社内申請のみで良いですし、セレクションに挑む必要もありません。しかし、自費進学の場合、会社はD進に伴う業務量調整をしてくれません。学会発表や学位審査会の前など、研究で忙しい時期にも容赦なく本業の仕事が降ってきます。自費進学は、会社員博士制度活用のケースよりも圧倒的にハードな道のりとなることを覚悟しておきましょう。
会社の業務で疲弊し、博士進学意欲が消失するリスクあり
私は博士課程を修了し、地元の大企業へUターン就職しました。博士課程では、海外留学先の大アクシデントや四回連続論文リジェクトなどを乗り越え、一年短縮修了を遂げました。B1時代から趣味でランニングをしていることから、体力とメンタルには自信があります。
そんな私ですが、会社就職後は毎日ヘトヘトになるまで疲れきっています。帰宅後、パソコンの画面を見る力は残されておらず、本を読み進めていくパワーも昔ほどは高くありません。体力的には余裕があります。疲労困憊なのは「頭」です。帰ってから筋トレする余裕はあれど、頭を使って何かができるほどのマージンが残っていないのです。
博士課程まではテーマの深掘りに頭を使っていけました。取り扱う対象を絞り込み、因果関係や相関性について、徹底的に考えを巡らせていたのです。大学院と会社とでは、頭を使う方向性が大きく変わります。会社で求められるのは思考ではなく”処理”。組織の歯車として、組織が円滑に回っていくよう、大量の仕事をテキパキとさばいていく力が求められていました。
自分は深掘りが得意です。狭く・深く考えていくのが好き。研究が好きな方の多くは探求型のアタマをお持ちのはず。しかし、会社では広く・浅くを求められます。探求型頭脳に広範な守備範囲を担わせると、たちまちパンクしてダウンしてしまいます。スペック不足とかいう問題ではなく、単に企業人としての適性が低いという話に過ぎません。
会社員生活の負荷を増大させるのは、業務時間中ずっとネット環境に繋がっていること。常時オンライン状態にあるため、いつでも手元に誰かからの連絡が届く状況にあります。何かの作業に集中しているとき、誰かのチャットやメールが届くと、気が散って仕方がありません。そうかといって、無視するわけにもいかない。連絡が届くたびに作業を止めて、処理し終えたらまたリスタート。頻繁に繰り返されるストップ&ゴーが地味に会社員の神経を削っていくのです。
体力に自信があり、博士課程を駆け抜けた自分でも、会社員生活でヘロヘロになりました。自分でもまさかここまで疲弊するとは想像していませんでしたね。
もしも二年前に修士就職していたとします。企業勤めしながら博士課程に行ける余力があったかといえば、おそらく無かったでしょう。会社の業務で疲弊し、ぐったりして、D進意欲が消失してしまっていたのではないかなと。
修士学生の皆さん。いまはまだピチピチの大学院生だから、「会社員博士なんて余裕だぜ!」と息巻いているかもしれません。しかし、いざ会社に入ってみると、皆さんの想像以上に疲れますよ。
これから我々は加速度的に老化していきます。体力は衰え、気力を失い、上昇志向すら消えていきます。そんな中でもD進の意志を保ち続けてD進までこぎつけられるでしょうか? D進だけでは済みません。博士号を取るまで走り続けられるでしょうか? ご自身の胸に手を当てて熟慮してみてください。
我々が研究から離れている間も、科学は容赦なく進歩していく
会社員になると大学時代の研究から離れることになります。大学で扱っていたテーマから企業での仕事に移行するのです。
研究職として仕事を得られた方は、もしかすると、専門分野に近しい課題をあてがわれるかもしれません。学生時代に出ていた学会で発表する場合もあるでしょう。しかし、修士人材で専門性重視の採用をされるケースは稀。修士人材に期待されているのは汎用性であって、会社の仕事を円滑に進めていく機能が求められているのです。
修士人材だからといって研究職採用してもらえるわけではありません。研究職は博士人材が優先です。おまけに、全体の席数は限られています。研究職を希望して採用されたものの、生産技術や開発職として配属されるケースもあります。
研究職を得られようが、得られなかろうが、会社に入ると研究の第一線からは退くことになります。アカデミックな貢献から産業的な貢献を求められるようになるのです。
悲しいかな、科学は我々の動向などお構いなしに発達していきます。論文は日々発表され、新しい理論が構築され、新しい実験技術が開発されていくでしょう。修士修了時点で最先端だった知見は、一年後には古びた情報になっているかもしれません。現に、私が五年間携わった分野でも、修了後わずか一年で自分の知見が塗り替えられてしまいました。三年後、五年後ともなれば、パラダイムシフトが起こっている可能性すらあります。
かつて自分が手塩にかけて育ててきた研究分野も、業務に追われて論文を読むこともままならぬ間に、遥か彼方へと進んでいってしまいます。久々に最新の論文を読んでみても、ちょっと何が書いてあるのかよく分からない。自分がアカデミアから取り残されていく感覚があって、なかなか心に堪えるものがありますよ。
いざ会社員博士として研究に復帰しようと思い立ったとき、目の前には読むべき先行文献の山が待ち受けています。学生時代の知識をアップデートし、最新の手法を学び直す必要がある。使っていたソフトウェアは全く新しいツールに置き換わっているかもしれません。研究の「勘」すら鈍っているでしょう。何をやり、どこへ進むべきか定める方針決定力すら衰えているはずです。
何もかも、ゼロからやり直し。ブランクを埋めるだけで膨大な時間がかかります。もしも修士からストレートでD進していれば、研究の流れに乗ったまま、スムーズに博士課程へと進んでいけたはずなのです。
もちろん、ブランクを乗り越えて会社員博士として成功する方もいらっしゃいます。しかし、その道がいかに困難であるかは容易に想像できるでしょう。研究から離れている間も科学は進み続け、我々との距離は開いていく一方なのだという現実を、どうか忘れないでいただきたいのです。
取りたければ、早めに取っておこう
ここまで、会社員博士の道がいかに過酷であるかを語ってきました。社内選抜に伴う不確実性、業務による疲弊、研究とのブランク。これらの障壁を前にして、それでもなお「あとで取ればいい」と言えるでしょうか。
修士からストレートでD進するのが最も確実で効率的なルートです。研究の流れを断ち切ることなく、指導教員との関係も続いており、何より若さゆえの体力と気力がありますからね。D進の不安は自分の努力で乗り越えられる部分が大きいですが、会社員博士の不確実性はコントロールできない要素が多すぎるのです。
私はD進を選んで本当に良かったと思っています。もし修士で就職していたら、会社の業務に追われ、「あのときD進しておけば良かった」と後悔していたかもしれません。もしも皆さんが博士号をお望みなのであれば、早めに取得するのをオススメします。





















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