B4でラボに配属された当初、右も左も分からない状態でした。学問の基礎をほとんど知らない。実験だって何のスキルもない。こんな自分に研究ができるのだろうか。不安しかなかったのをよく覚えています。そんな私も、M1後期ごろから少し余裕が出てきました。自主学習や実験を通じて、研究を進めるのに最低限必要な知識をおおよそ集められたのです。
人に暇を与えるとどうなるか。たちまち変なことをやり始めます。後輩に自分の”うんちく”を語りたくなるのです。
後輩は自分よりもラボ経験が少ないです。後輩よりも自分の方がより多くのことを知っているでしょう。後輩も知識を得たいはず。そう考え、頼まれてもいないのに、後輩へ色々と教えたくなってしまいます。院生になって突如罹患するのが「教えたい症候群」。どうやら、罹患者は過去の私だけではないようです。私も、私の同期も、私の後輩も罹患していました。ひょっとしたら、他のラボも似たような状況かもしれません。
教えたい症候群との付き合い方はよく考えねばなりません。気付かぬうちに後輩から煙たがれて距離を取られる可能性があります。
この記事では、教えたい症候群の実態と、症状との付き合い方を解説します。自覚症状のある院生さんや、これから本格的に症状が出始めるM1の方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
院生が罹患しがちな「教えたい症候群」
教えたい症候群とは、自身の培ってきた知識や経験を後輩へ語りたくなる病。正確な病名ではありません。あくまで札幌デンドライト内でのみ通じる名前です。教えたい症候群の罹患対象者は全員。研究をしていて、ラボに後輩がいる環境では、誰しもが感染するおそれがあります。
教えたい症候群の症状は三段階。
- 初期症状:教えた意欲の芽生え
- 中期症状:頼まれたら教える。そこで快楽を得る
- 末期症状:頼まれてもいないのに教える。快楽を得るために
初期症状として『教えたい欲』が芽生えます。後輩が困っている様子を確認して助けたくなるのです。あの概念の理解、自分も困ったなぁ。あの実験、昔、自分も苦戦したなぁ。あの子、頑張っているなぁ。助けてあげたいなぁ。手を差し伸べたいとの欲望が芽生えども、実際に行動へ移すことはほとんどありません。
症候群が中期に差し掛かると、実際に後輩へ教えて快楽を得ます。後輩は、助けてもらえて嬉しいです。「ありがとうございましたっ!^ ^」と最高のスマイルを作ってくれるかもしれません。嬉しそうな後輩を見れば目尻が下がります。院生は、誰かから感謝される機会に乏しいもの。”ありがとう”と言われたら嬉しくて気持ち良くなるでしょう。そこでタガが外れ、(もっとたくさん”ありがとう”と言われたいな…)と企んでしまうことがあります。教えたい症候群は加速の一途をたどって重症化するのです。
症候群末期患者は手がつけられません。後輩から頼まれてもいないのに世話を焼こうとします。お節介 の三文字で済まされるレベルではないのです。急にやってきて、後輩の時間と集中力を奪い、気が済むまで喋って立ち去っていく。あたかもテロリストのような振る舞いですね。教えたい欲望に取りつかれたが最後、誰かから注意されるまで延々と後輩へ絡み続けるはずです。
後輩目線では「ありがた迷惑」
さて、これまで、教えたい症候群に罹患した先輩学生目線で文章を綴ってきました。目線を転じて後輩学生の視点から考えてみましょう。
教えたい症候群の先輩に絡まれた後輩はどう感じるでしょうか。最初はありがたく感じるかもしれません。先輩から教えてもらった知識や技能を吸収して成長していけます。
やがて、うざったく感じてきます。「頼んでもいないのにどうして絡んでくるんだ…」とため息が出るのです。自身のゼミ用意や論文執筆など、集中しているとき話しかけられたらもう最悪。相手が同期なら躊躇なく「後にして」と言えます。先輩相手に”後にしてください”などと応対するのは難しいものです。
まして、先輩は親切そうに話しかけてきます。断ろうにも断れませんよね。仕方なく雑談に応じます。そうして時間がどんどん溶けていく。愛想よく相槌を打つのに集中し、気力まで失われるのです。先輩は、気が済んだら腰を上げて立ち去る。残された後輩は、疲れてしまって、今までの作業を進める気持ちにはなれません。
ハッキリ書きます。教えたい症候群に駆られた先輩のお節介は、後輩にとって【ありがた迷惑】です。教えたい欲の発散に使われる後輩が可哀そうじゃないですか。教えたい症候群の罹患者は、ひょっとしたら後輩に迷惑をかけているかもと考えてみてください。相手の立場に立って考えてみましょう。自分が同じことをされたら嬉しいですか、嫌ですか?
頼まれてから助けるならば良いのです。「困っていない?」と声掛けするのもいい。しかし、頼まれてもいないのに助けるのはいけません。”相手が何か困っているだろう”と決めつけ、助けようとすれば、たちまち迷惑行為になります。助けたい気持ちは尊いものです。自らの慈悲深さを誇らしく思いましょう。でも、慈善行為のやり方には要注意。教えたい欲に突き動かされるまま教えようと試みるのは勘弁してください。
教えたい症候群の解消法
教えたい症候群は、なぜ発症するか。心が自己肯定感向上を求めて、脳に『教授行為』を行うよう指示を出すのではないでしょうか。誰かから褒められたい。自分の力で誰かの役に立ちたい。心の叫び声を脳が聞きつける。事態対処のため、『教授行為』でもって自己肯定感を上げようと試みたのです。
先輩のすぐ近くには後輩が居ます。何かを教えれば「ありがとうございます」と感謝してもらえるでしょう。誰しも、感謝されれば嬉しいものです。気持ちが満たされ、自己肯定感が高まる。結果、幸福感に浸れます。
大学院生はラボで日々辛い思いをしています。なかなか研究が進まない。就活と講義とゼミの用意で忙しい。褒めてもらえる機会などありません。心の中は砂漠のように荒んでいく一方です。後輩へ何か教えるだけで幸せな気持ちになれるなら、教えちゃいますよね。相手がどう感じているかなどお構いなしに教えてしまいがち。
私は、教えたい症候群の中期症状で踏みとどまりました。教授行為から快楽を見出しはしましたが、自ら進んで後輩の元へ絡みに行くことはありませんでした。後輩の立場になって考えてみたのです。先輩から頻繁にダル絡みされたら迷惑に違いありません。
後輩へお節介を焼きたい気持ちをブログ執筆にぶつけました。持ちうるエネルギーと”教えたい”欲望の全てを記事執筆に注いだのです。
サイト運営へ注力するにつれ、サイトが大きくなっていきました。自分は教えたい欲を発散できる。サイトの訪問者たる後輩へ間接的に手を差し伸べられる。おまけに、後輩へ迷惑をかけずに済む。一石三鳥に成功しました。教えたい症候群の自覚症状をお持ちの院生さんは、ぜひサイト運営をやってみてください。
最後に
「教えたい症候群」は、きっと院生の誰もが一度はかかりうる病。私もその例にもれず、中期症状でニヤニヤしながら後輩と接していた時期がありました。善意だったんです。ほんとうに。ただ、その善意が「ありがた迷惑」に変わる瞬間があることを、私自身の経験を通して学びました。
ラボでは、立場の差や上下関係が影響します。親切心で声をかけたつもりでも、相手の状況や気持ちを見誤れば、それはただの自己満足に過ぎません。「教える」とは、相手が求めて初めて成立する行為なのかもしれません。
私は「教えたい」という欲求の行き場を、ブログという形に置き換えました。札幌デンドライトを通じて、不特定多数の後輩へ静かに手を差し伸べられるようになりました。相手の時間を奪うことなく、必要な人にだけ、必要なタイミングで届く。それが、いまの私にとっての“教える”という行為の理想のかたちです。
もし、あなたが「教えたい症候群」に悩んでいるなら、どうか一度立ち止まってみてください。そして、あなたの善意が本当に相手のためになっているのか、そっと胸に問いかけてみてください。
教えることに飢えているあなたの心が、誰かを尊重することで、もっと豊かになりますように。



















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