博士課程に進学すると、「もう専門書なんて読まなくても論文だけ追ってればいいでしょ」と考え始めます。私もD進してからしばらくは専門書から距離を置いていました。しかし、在学中に研究で限界を感じ、考えを改めて専門書を読み直し、そのおかげで研究に活路を見出すことができました。
学部や修士で読んだ教科書を博士になってから開いてみると、こんなこと書いてあったのかという発見が次から次へと出てきます。研究を深めれば深めるほど、かつては素通りしていた基礎の記述が急に意味を持ち始めるんですよね。論文を100本読むより、良い専門書を1冊じっくり読んだほうが世界の見え方が変わることもあります。
私は北大の博士課程で電気化学を専攻していました。研究テーマは二次電池用電解液とリチウム金属負極。もう少し具体的に言うと、リチウムを電気化学的に析出させるとどうしてもデコボコになってしまうので、それをいかに平滑にできるかという、聞いているだけで眠くなりそうなテーマに取り組んでいたわけです。
この記事では、博士課程で読んだ中でも特にオススメしたい4冊の専門書を紹介します。これを読めば電気化学マスターになれるかというと、そんな保証はできませんが、少なくとも電気化学を語るときの説得力は増すはずです。
かめそれでは早速始めましょう!
電子移動の化学
電気化学の本質とは何かと問われたら、電極と電解液の界面における電子のやりとりだと答える人が多いでしょう。しかし世の中の電気化学の教科書は、電子授受の本質的な部分をサラッと流して、現象面の説明に多くのページを割きがちです。
この本は違います。電子移動の観点から電気化学を徹底的に掘り下げてくれます。電極表面で電子がどう振る舞うのかとか、なぜその反応が起きるのかとかいった根本的で見落としがちなところを丹念に解説してくれる。
正直、この本はかなり難しいです。自分自身、初めて読んだときは、ちょっと何が書かれているか分かりませんでした。ですが、時間をかければ理解できます。
ひとたび理解してしまえば、電気化学系論文を読んだときの解像度がまるで変わってきます。自分もこの本を読む前は、論文を読んでも「ふーんこういう結果が出たのね」で終わっていました。理解レベルが表面的な所で止まっていたのです。ところが読後は、「この条件だと電子移動がこう変化するからこの結果になるのか!」と著者の実験設計の意図まで見えるように。自分の実験で得られた結果を考察する際も、電極|電解液界面で起きている現象を電子移動の観点から考える癖がつきました。
学会発表を聞いていても、この人は本質を理解して話しているな、とか、この人はたぶん分かっていないな、ということが何となく感じ取れるようになってしまいます。これが良いことなのか悪いことなのかは正直微妙なところで、分かっていなさそうな発表を聞くのが若干辛くなる副作用もありました。
『電子移動の化学』を博士課程の早い段階で読んでおくと、その後の研究生活の見通しがだいぶ良くなります。電気化学を専門にするなら避けて通れない一冊です。避けて通ることもできますが、あとで後悔する可能性が高いので、時間があるうちに目を通しておくことをオススメします。
Modern Electrochemistry|Ionics
断言します。Modern Electrochemistryを一度も読んだことのない電気化学者はいません。本書籍は電気化学界隈でバイブルになっている書籍。先生の部屋にはもちろん、学生部屋にも一冊は置いてあるかもしれません。
最初は私も「いやいやそんな大げさな、みんな読んでるふりしてるだけでしょ」と斜に構えていました。洋書だし、ものすごく分厚いし、持つだけで握力が奪われてしまう分厚さ。これが電気化学分野の共通言語になっているだなんて信じられませんでした。
ところが実際に読み始めてみると、専門家たちの評判が誇張ではないと分かりました。
まず驚いたのは、洋書なのに分かりやすいということ。洋書というだけで身構えてしまいますが、英語がシンプルで、説明の流れが非常に論理的なのです。日本語の教科書にありがちな、行間を読めと言わんばかりの不親切さがない。むしろ「え、そこまで丁寧に説明してくれるの、神~^ ^」と頬がほころぶほどです。
電気化学の基礎を徹底的に、しかも体系的に学べるという点で、Modern Electrochemistryの右に出るものはありません。私自身、博士課程に入ってからこの本の存在を知り、毎日一章ずつ読み進めて電気化学を勉強し直しました。電子移動の化学を読んでよく分からなくても、本書籍を読んでようやく理解できるようになった箇所がいくつもあります。
だったらModern Electrochemistryだけ読めばええやんと思われるかもしれません。正直、それでも構いません。いいんですが、こんなに分厚い書籍を、電気化学の本質的な理解なしに読み進めたら途中でギブアップしてしまいます。先に日本語の専門書である程度知識をつける。それから洋書で本格的な理解に移る。この順がオススメです。
データに学ぶLiイオン電池の充放電技術
博士課程にいると、どうしても自分の研究の世界に閉じこもりがちになります。論文を書いて、学会で発表して、また論文を書いて。気づけば自分の研究が社会で何の役に立つのか考えなくなってしまう。いや正確に言えば、忘れたふりをしていたりする。なぜなら、その問いに正面から向き合うのは、なかなかしんどいですからね。
この本は「電気化学は社会でこう役立っているのだ」と明確に教えてくれる一冊です。
電気化学といえば蓄電池。電気化学分野は、より高性能な電池を作るために発達してきたと言っても過言ではありません。私たちの生活は電池に支えられています。スマートフォンから電気自動車まで、ハイテク製品には電池がふんだんに使われているのです。
現代文明の誇る名機がリチウムイオン電池(LiB)。LiBは充放電中に電解質中のLi+が正極-負極間を移動するわけですが、一見単純に思えるプロセスを成り立たせるために、どれだけの知見と工夫が詰まっているかご存じでしょうか。本書籍を読むと、電気化学が電池にどう役立っているかがよく分かります。
就職活動の面接で「その研究は何の役に立つんですか」と聞かれることがあります。博士課程の学生が民間就職を目指す際、間違いなく一度は遭遇する問いです。何の準備も無しに問われたら動揺するでしょう。しかし、本作品を読み理解を深めておけば、「私の研究は○○に役立ちます」と堂々と答えられるようになります。読んでいるうちに、自分の研究と社会をつなぐ言葉が自然と浮かんでくるようになるからです。
Fundamentals of Electrochemical Deposition
最後に紹介するのは、私の研究テーマに直結していた一冊です。リチウム電析の研究をしていた私にとって、この本は文字通りのバイブルでした。研究で何か困ったときに開くファーストチョイスの本だった。
すこし専門的な話をさせてください。
リチウムを電気化学反応で電極上に析出させても、素直に平らになってくれません。デンドライトと呼ばれる樹枝状の構造をとり、デンドライトが にょきにょき 成長してしまい、やがてグチャグチャになります。リチウムのデンドライト状析出は、電池の寿命や安全性に深刻な影響を及ぼします。
私の研究は、リチウムをいかに平滑に析出させるかというものでした。来る日も来る日もリチウムの析出形態と向き合い、なぜここだけ盛り上がるの? この条件だと平らになるのはなんで? とリチウムに話しかけていました。
確かに、リチウム金属の析出プロセスは、他の金属とは大きく異なります。しかし、析出反応の起点となる核形成過程は、他の金属と似たり寄ったりです。リチウム金属電析の研究を進める上で、金属電析の基礎メカニズムを知っておくことで、析出プロセスを考察する糸口を掴めました。
電気化学専攻者のなかで電析研究に携わる学生は少なくないでしょう。金属電析は、メッキや表面処理など、応用範囲の広い分野です。もしあなたが電析に関わる研究をしているなら、本書籍は間違いなく読むべきですよ。「なんとなく電析させています」という状態から、「このメカニズムを想定して実験条件を設計しています」という状態へステップアップできるでしょう。
最後に
大学院時代はあっという間に過ぎていきます。研究して、論文書いて、学会行って、後輩の面倒見て、就活して、たまに現実逃避して。慌ただしい毎日の中で、専門書を開く時間を作るのは簡単ではありません。
ただ、私は研究で壁にぶつかったとき、専門書に救われました。論文をいくら読んでも見えなかった突破口が、専門書の中にあったのです。
今回紹介した4冊は、どれも私が実際に読んで研究に役立ったものばかりです。全部読む必要はありませんから、自分の研究に近そうなものから手に取ってみてください。全部読んで理解を深めれば電気化学マスターになれるでしょう。
専門書は、論文の寄せ集めでは得られない体系的な理解を与えてくれます。バラバラだった知識が線でつながり、やがて面になっていく瞬間は何度味わっても気持ちがいいものです。限られた時間を有効活用していただいて、知的な喜びを一度でも多く味わってほしいと思います。























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