花火大会

広島市にはふたつの大きな花火大会がある。広島港で打ち上げられるものと、厳島神社でぶっ放されるもの。どちらもパンデミック中は中止だった。騒動が終わっても、予算や後継者不足でなかなか開催されなかった。今年、ようやく花火大会が復活した。しかも、揃ってふたつとも蘇った。広島港のは7月下旬、宮島の大会は10月中旬に催される。
やっぱ、夏といったら花火でしょう。春は桜。秋は紅葉。冬は雪。夏は? そりゃあねぇ、花火でしょう。花火がない夏は夏とは言い難い。そんなもん、ただの灼熱地獄だろう。夏の暑さを堪えられるのは、花火を見たいからである。夜空に咲き誇る大輪の花々を見、目を細め、「夏だねぇ~」と訳知り顔でこぼしたいのだ。
地球温暖化など知ったこっちゃない(コラコラ)。皆で一生懸命削減したCO2など、数万発の花火でかき消してやる。北極の氷が融けたらホッキョクグマが困る? クマさん。そんなに困るんだったら、南極に行きなさい(メチャクチャ言うな)きっとホッキョクグマも、花火を見て喜んでいるだろう。「うわぁ~、花火、綺麗だなぁー!」「浴衣のお姉さんもきれいだなぁ~」と言っているに違いない。
知らない方も多いと思うが、実は花火大会にはホッキョクグマも見学に訪れている。彼らは浴衣で人間に変装している。ホッキョクグマは、ときどき花火と一緒に打ち上げられている。お姉さんに抱きつこうとした不届きホッキョクグマから順に、尺玉へ括りつけられる。クマは山以外にも生息している。本当に注意していただきたい。
花火が好きだ。花火は五感を強く刺激してくれる。色彩豊かな打ち上げ花火。心臓まで響く炸裂音。焦げた匂い。花火が引き出す、思い出の味と手触り。花火の良さは、一瞬で散ってしまう所だろうか。花火は、気付いたらすぐ消えてなくなる。だから「絶対に見逃すまい」と集中して目に焼き付けようと試みる。
全てが終わった後の寂寥感がまた奥ゆかしい。耳に残った残響をかき集め、感動を反芻しようと試みる。目を閉じるが、あの大尺玉を再現するのはなかなか難しい。胸の奥には感動だけが残る。記憶の器には何も残さないで。
SHUCDECの福利厚生制度として、オーシャンビューの借上社宅に住ませてもらっている。半径1km圏内では最も高いタワーマンション。広島港の花火大会を、何にも妨げられず、ベランダから眺められた。特等席よりも特等席で、ホッキョクグマの華麗なる跳躍を見届けた。今年はホッキョクグマの顔文字が打ち上がっていた。皆はアレを見てただの顔文字だと思っただろうが、私だけは知っている。あれはホッキョクグマが放った、この世で最後の閃光だったのだと。
ベランダで、ニッカウィスキーを冷えた炭酸水で割って飲む。酔っぱらいながら花火を見ると、なぜだか泣きそうになった。これを見るために広島へ帰ってきたのかな。だとしたら、もう、望みは叶ったな。一時間ずっと目尻を下げたまま。花火を見て優しい気持ちになれた。
今度は10月に宮島で花火がある。いくら弊社自慢のタワマンとはいえ、宮島の花火までは見られないだろう。宮島の花火は現地観戦する。夏の終わり、秋風に頬を撫でられながら、宮島水中花火大会を満喫したい。
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