広島生活春夏秋冬vol.12 一年目・11月後編|27歳独身男性の三大外乱(婚・種・税)に対するロバストな防衛戦略の包括的研究

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ゼクシィに絶苦死胃

先月のある週末、紙屋町の丸善書店に向かった。週末恒例の書店徘徊。本の匂いを肺へ満たして活力を得ようという試みである。ビルの1Fからエスカレーターで上がっていく。7Fの丸善に着くと、紙の匂いと静かなクラシックの音がふわりと混じって、週末の喧騒が急に遠のいた。

8Fでブライダル雑誌を手に取った。どこにあるかはすぐに分かった。一か所だけ、鮮烈な桃色の輝きを放つ平積み雑誌群があった。チカチカしすぎて目が痛かった。雑誌表紙にプリントされた女性の笑顔は満ち足りている。いまにも本から飛び出してきそうなほど前のめりで、こちらへ何か言おうとしていた。

書籍は身銭を切って読んでこそ学びになる。誰かからもらい受けて読むのと、貯金をはたいて読むのとでは、吸収率が富士山と たこ焼き ぐらい違う。とうとう結婚雑誌を買う年齢になったか。こんなもの買うぐらいなら、海外文学を一冊でも二冊でも買いたいんだけれどもな。まあ、いいでしょう。たまには別のジャンルの本を読むのも刺激になる。異業種交流会だ。

購入前に中身を確かめておきたい。試読用に置いてあった ゼクシィを手に取り、パラパラとめくって、静かに閉じた。やはり、購入するのはよそう。いまの自分には刺激が強すぎる。ものの数秒でコケコッコーの飽和攻撃を浴び、視界が明滅してきた。女性にとってはゼクシィでも、独身異常男性の自分にとっては絶苦死胃だった。

絶苦死胃とは何か。それは、独身男性にとって永遠の疑問である。日々、参議院予算委員会で喧々諤々の議論が交わされている。絶苦死胃はあまりに多義的すぎて、怪文書であるとか、春はあけぼのだとか、夏はぽにょだとか、ワガママボディーだとか、誰がワガママやねんお前の食欲がワガママやねんとか色々言われている。その真相は、中国山地の奥座敷、美魔女の森の中にある。

絶苦死胃は恋愛宗教の聖典だった。様々な”幸せ”に値札が付けられ、資本主義の縮図が描かれていた。愛というより『見積書』に見える。どの色がついた将来を何円で買うか。いや、何円で夫に買わせるか。”夫”をひっくり返せば”¥”になる。我々男性をATMと見立てたご発言も複数載せられており、大変遺憾だった。

正直なところ、自分が結婚して幸せになるビジョンが見えない。絶苦死胃試読以前もそうだったが、絶苦死胃との邂逅を経て、ますます結婚の意義に首をかしげるようになった。家事は一人でこなせる。料理もできる。ちゃんとした服を着られるし、ちゃんと服を着ることだってできる。一人で楽しめる趣味には困っていない。むしろ、趣味に費やせる時間が少なすぎて、時間不足に悩んでいる。

そもそも、私は人生で特に苦しい時期を、いつだって一人で乗り越えてきた。実家で迎えた受験浪人は、母のたび重なるヒステリーに悩まされながら、母の睡眠中にガリガリ勉強して乗り越えた。コロナ騒動期間中も、彼女にフラれ、孤独で胃に穴をあけながら、読書とランニングで耐え凌いだ。博士課程だってそう。”ここから早く出たい”という一念のもと、倒れる寸前まで追い込んで早期修了した。

いま思えば、あの頃の私はずっと、誰よりも孤独だった。助けて、と言える人間になりたかった。だが、その言葉を胸に抱くたび、声より先に涙が出そうになり、言葉がつっかえて言えなかった。

他人の支えの有難さを知らずにきた(きてしまった)。誰かの温もりを思い出すより、独りの時間のほうがすぐに思い出せる。そうである以上、相手と手を取り合い、温もりを確かめ合い、支えあって生きていく結婚など、私にできようはずがない。

・・・・・・・

あまりの情報量に、しばし天井を見上げて深呼吸した。自分の人生の温度は、絶苦死胃の中に広がる世界とは違っていた。知らぬ間に一時間も経っていて、本屋のなかは人がまばらになっていた。

平常心を取り戻すために、下の階へ移動した。エスカレーターに乗りながら、首を回す。凝り固まった首筋からバキバキバキッと絶苦死胃の音がした。文学コーナーへ向かい、チャールズ・ディケンズの長編小説を買う。コケコッコー攻撃で負ったダメージを海外文学で癒していく。

結婚は、したいと思ったときに、したい人がしたい人同士でするものだ。あるいは、相手が居なくても生活できる人どうしが、(この人となら一緒に居たいな)と奇跡的に思い合えた時に成立する。

私には結婚願望が無い。彼女ぐらいは欲しいが、下位八割では望むべくもない。かつては人並みに欲望があった。女の子と手をつないで歩き、公園の芝生へシートを敷き、日が暮れるまでゴロゴロ寝転んでいたいなぁと思っていた。大学時代、遠距離恋愛中に浮気されてフラれ、こんなに泣けるのかというほど泣き、女性に対する信頼を失った。もう、誰かを深く信じる体力が、自分には残っていないのかもしれない。

とりあえず、書店へ足しげく通って、ゼクシィで免疫をつけるところから始めてみる。免疫がつくのが先か、心が折れる方が先か。ともあれ、戦いは続く。次の帰省までに、せめて一冊ぐらいは読み進めておきたい。本音を言えば、こんな本を開かずに済む日が来てほしい。

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