馬の肩越しに割れる風

広島にUターン就職した理由はいくつかある。そのうち、全体の三割を占める大きな要因が「乗馬」だった。
今では出勤前に毎朝20km走っていて、ガリガリに痩せている私だが、小学生時代はその反対にミートボール状の体型だった。肥満は小学三年生あたりから加速した。四年次には”ぽっちゃり”では片づけられぬほど肉厚な脂肪の鎧をまとった。学校では「デブ」といじめられた。あだ名はミートボール。いくら悔しくても妥当なので言い返せない。
学校に居場所がなくなった。行くのが苦しくてたまらなくなり、仮病を使って休む日もあった。そんな自分を見るに見かねた両親が、「動物に癒されてこい」と乗馬に送り出してくれた。
馬と接する時間が長くなるにつれ、心の傷がふさがれていった。馬は、可愛い。鼻を撫でると目じりを下げ、ニンジンをあげれば口角が上がる。乗馬は意外にも運動量が激しい。乗馬クラブへ通えば通うほど、脂肪が落ち、目に見えて痩せていった。
小学生までは乗馬クラブが「学校教育からの避難所」だった。中学生からは「自分を鍛える場所」に変わった。
中学一年生から、馬に乗って障害物を飛び越える『障害馬術競技』を始めた。馬がうまく飛越できるよう、踏み切り位置を合わせたり、障害に向かっていくペース・姿勢を調整したりと、やるべきことが多くて難しい。指導役の先生につきっきりで面倒を見てもらった。練習中に激しい言葉が飛んでくることもしばしば。それでも、歯を食いしばってついていった。ここで頑張り抜けられれば、自分を変えられるかもしれないと直感して。
もともとセンスがあったのかもしれない。練習を重ねるにつれ、馬術の腕を伸ばしていった。馬を加速させるたび、馬の肩越しに風が割れていく感覚があった。脚で軽く圧をかければストライドが伸び、重心をずらせば自然に曲がる。合図がそのまま馬の動きに変わる。そんな心地よさに胸を奪われた。どんな馬に乗っても、自分の一部のように動いてくれた。中三で国体優勝、高三まで四年連続入賞。あの時期の私は、確かに馬と一緒に走れていたのだと思う。
北大でも馬術部に入った。競技からは離れるつもりだったが、そうはさせてもらえず、なかなか馴染めなかった。九カ月で辞めてしまって以来、馬から八年間離れた。
広島へUターン就職して、また乗馬クラブに通おうと思ったのには、ふたつの理由がある。
ひとつ目は、今度こそのんびりと乗馬を楽しみたかったから。競技なんかどうでもいい。馬とともに走り、呼吸して、触れ合う時間を楽しみたかった。北大博士課程でメンタルをやられた。研究室に向かうと胃が縮み、夜になると理由もなく涙が出た。希死念慮を抱えたまま、どうにか修了だけは果たしたが、心は燃えカスのようだった。これからの人生を生き抜くには、何かに癒してもらう時間が必要だった。ならば、かつて自分を救ってくれた馬のもとへ戻ろうじゃないかと考えた。
ふたつ目は、パートナーを作りたかったから。こんな私にも、高校と大学時代にはそれぞれ彼女がいた。両方とも乗馬繫がりでの出会いだった。私は今でも切実に彼女が欲しい。過去の記憶を手繰ってみても、彼女と一緒に過ごした時間には鮮やかな色彩があった。パートナーがいれば、毎日の景色にとろみがつく。呼吸のリズムまで軽くなる。実は、乗馬は女性人口が多い。乗馬クラブに行けば何かしらの出会いがあるだろう….と踏み、入会を考えた。
今年の八月中旬、会社の夏季休暇最終日に乗馬クラブを訪れた。昔お世話になった先生や会員さんがまだ健在だった。「おかえり!」「また一緒に頑張ろうね!」と優しく声をかけていただき、胸の奥からこみ上げてくるものがあった。小学生時代に自分の居場所だった乗馬クラブは、あれから何十年経ってもまだ自分の居場所でいてくれたんだな、と。
自分のルーツはココにある。国体優勝から始まり、博士課程早期修了に至る一連の道のりは、すべてここから始まった。広島に帰ってきて、人生の第二ステージを始めようじゃないか。ここからどう進んでいくかはまたゆっくり考える。今はとりあえず馬に癒されて、心身の消耗を回復させるところから始めよう。
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