夜が暗いのは、太陽が出ていないから
地球が私を産み出してから28年が経った。一応、電卓と指と量子コンピュータで検算してみたところ、三者三様の答えが返ってきた。
電卓は28歳だと言う。なんとなく私の感覚とも合っている。28歳かなとも思うし、25歳のような気もする。サバを読んで26歳ぐらいにしておこうか。いやいや、イワシを読んで30歳にしておこう。
私の指はまだ「8歳」だと言っている。8歳ということは、小学2年生ということになる。175cm/58kgの小2。きっと体育で無双できるだろうな。8歳と言われてみても、それほど間違ってはいない気がする。むしろ合っているのではないか。うん、合っている。広島の小学校では、四捨五入の際、一番大きな桁を消しゴムで消すよう指示されている。つまり、28を四捨五入したら8になる。先生がそう言っているのだから間違いない。
昨今、量子コンピュータの進歩が著しい。ionQ社製のイオントラップ型量子コンピュータは、すでに量子化学シミュレーションに用いられている。私の年齢もDFT計算させたところ、0歳か1歳のどちらかだと出た。さすがにコレは間違っている気がする。1歳なわけがない。せめて2歳だろうが。1歳だと哺乳瓶で水を飲まねばならない。ヘタをすればベビーカーに乗せられる。175cm/58kgでベビーカーはちょっとなぁ。三輪車ぐらいで勘弁してもらいたい。
私は28歳かもしれない。サバを読めば25歳、イワシを読めば30歳。指は8歳と言っている。量子コンピュータのディスプレイには0歳か1歳と出ている。こういうときは第一四分位数を採用する。今月、とうとう28歳になった。
過去28年を思い返すと、地球上では様々な出来事が起こった。バブルが弾けて氷河期が訪れた。人類が二足歩行を始め、ちゃんと服を着るようになった。ペリーが現れ、江戸は開港し、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を撃破した。ざんぎり頭を叩いてみれば、ぽんぽこりんの音がした。私が生まれたのは、その少し後である。
誕生日で無邪気に喜んでいたのは18歳まで。18歳になるまでは、ひとつ歳を重ねるたび裁量権が拡大していき、嬉しかった。誕生日が来るたび、大人になって、人生の坂道を駆け上がっていく馬力が日増しに高まっていった。
19歳以降、特別な日リストから誕生日が戦力外通告された。
十代最後の誕生日は、大学受験浪人脱出に向けて、予備校の中で一日を過ごした。20歳の誕生日はそこそこ感慨があったが、「こんなに年を食ってしまったのか…」と、おじさんになりつつある自分を呪わしく思った。21歳も22歳も変わらない。酒に弱くなり、徹夜ができなくなって、物覚えが悪く、足は故障しやすくなった。自分が足をかけていたのは、大人の階段などという煌びやかなものではなく、老化に向けた超高速自動エスカレーターだと気付いた。
歳を重ねるたび、夢が夢のまま終わるのだという確信が強まっていった。
小さい頃は何にでもなれる気がした。一番最初に描いた夢は”飛行機になること”だった。ベッドから両手を広げてジャンプし、頭から墜落しても”飛行機になれる”と信じていた。歳を重ね、理性が育まれると、無機物にはなれないと悟った。飛行機にはなれない。だったら、パイロットになろう。飛行機を操縦して空を高く舞い、オックスフォードにでも亡命しよう。飛行機乗りの夢も諦めた。まさかの高所恐怖症だったから。
誕生日が訪れるたび、世界を見る目が磨かれていった。世界はどのような所か、綺麗な部分も汚い部分も見えていった。と同時に、自らの抱える可能性が急速にしぼんでいくのを感じた。受験や恋愛競争に負け、結果を出せずに周囲から叩かれ、自身がごくごく卑小な取るに足らない存在なのだと学んだ。特別な存在でありたかったけれども駄目だった。世界の歯車へ組み込まれていく我が生命の奔流を食い止めることは叶わなかった。
D1以来、自立して三年目となる。ここで改めて「大人」というものを考えてみる。
20歳になるまで、大人になるのは凄いことだと捉えていた。大人になったら何でもできる。無限に努力すれば夢が叶うと。大人になってみてよく分かった。凄いように見えて、実はたいしたことはない。私たちは一夜にして大金を稼ぐわけでもない。世界記録は残せなければ、ノーベル賞も芥川賞も取れずじまいだろう。地味で単調な毎日が続いていく。大人たちは夢の世界から引っ張り出され、現実の手触りを嫌というほど味わい、今日も一歩ずつ進んでいく。
私は博士課程で自らの限界に直面した。もうこれ以上は頑張れないというほど追い込み、吐きそうになりながらちゃんと吐いて、一年飛び級は成し遂げたものの、それでも定年制研究職には手が届かなかった。地元の大企業で会社員になった。現実世界で日々を営むにつれ、人生の最高到達点ら式場所が朧げながら見えてきた。自分の期待値は何点か分かってしまった。限界だなんて言いたくはないけれども、仕事していくうち、否応なく視界に入ってしまう。
私はギャンブルめいたものが好きだ。結果が期待値を軽々越えていってしまうものへ、ありったけの情熱を注ぐ性癖がある。昔はスポーツに熱中していた。中学高校時代は乗馬。大学大学院時代はランニング。まさか国体で優勝できるとは思わなかった。まさかマラソンを2時間42分で走れるようになるとは思わなかった。予想を上回る結果がポロリと出てくるから、ついついスポーツへ病みつきになった。
大学に入ったのを機に、乗馬から離れてランニングを始めた。会社員になってからも続けていた。しかし、身体が弱くなってきた。今までと同じペースのジョギングでも喘息気味に咳込んでしまう。おまけに皮膚へヘルペスができた。昔と同じパフォーマンスを保つのが難しくなってきた。向上はおろか、現状維持も難しい。頑張れば頑張るほど体が壊れる。命の有限さを直視させられた。希望を失い、未来に対する期待感が希薄化していった。
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反対に、年齢が上がっていくにつれて得意になったこともいくつかある。
まず、人に対する思いやりの心が強くなった。人並みに苦労したおかげで、人間を成果や数字でジャッジしなくなった。頑張っている人を素直に応援し、無理だけはすんなよとエールを送れる自分になれた。博士課程で心を半壊して鬱病っぽくなった。働くのは正直辛いのだが、その症状が辛ければ辛いほど「世の中には様々な事情を抱えている人間がいる」と感じ、周囲へますます優しくできるようになった。意地悪を仕掛けてくる人にも優しさで返す。相手は拍子抜けして何もしてこなくなる。
次に、頭を使うのが巧みになった。昔は考える前に手を動かしていた。無尽蔵の体力を良いことに、失敗を繰り返すなかで学んでいった。悲しいかな。体力が衰えると無限の試行錯誤ができなくなる。ということで、人生の生き方を抜本的に変え、最小限の思考回数で成果を挙げられる方法を血眼になって探した。確度の高いやり方を模索する。手や足よりもまず頭を使う。思考段階でフィニッシュテープの目の前まで にじり寄っておく。戦い方の新境地を見出した結果、成果を出すのが昔より上手になった。必然的に、頭を使うのが好きにもなった。
昔はとにかく【幅を広げること】にコミットしていた。できることをひとつでも増やしたくて、やたら滅多に手を出していた。資格もそうだし、読む本もそう。とにかく何も考えずにトライし、ときどき撃沈しては、たまに自分のものにしてきた。今の自分はその対極にいる。幅よりも深さや高さを求めていきたい。ひとつのことをじっくり積み上げたり深めたりしたい。同じ場所で日々の営為をこなしていき、深海や山頂に広がる景色を見に行きたい。
人生は確実に下り坂へ突入した。世界中を走り回る体力はない。そんな中でも、自分にまだまだ伸びる余地があることが嬉しい。専門の電気化学は、まだまだ学べる。英語だって知らない単語は山ほどある。スペイン語は文法すら固まっていない。読み残した世界文学も星の数ほどある。積み上げていく過程を慈しみ、掘り下げていく最中に流す汗をぬぐい、凡人の到達可能な最高地点からの眺めを言葉に表したい。
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28歳の誕生日は、前日から喉がイガイガしていた。当日、一気にガラガラになって、人生最悪の体調で迎えた。午前中、気力を振り絞って、会社でフラフラになりながら立ち作業をこなした。午後も頑張るつもりだったが、限界だった。体力が尽き、午後から有休を取って、家でじっくり休むことに決めた。
昼寝のつもりで布団に寝転がって、起きたら外が真っ暗だった。目覚まし時計は23時を指していた。
誕生日があと一時間で終わる。なんて日だ。絶望して再び寝込んだ。次に起きたら、なぜかベランダに居た。高熱と悪夢にうなされ、部屋中を走り回り、いまにも飛び降りようかとテラスに足をかけかけていた。危なかった。バースデーが命日になる所だった。冷や汗をぬぐって部屋に戻る。
頭を冷やすべく、近所を散歩した。夜道を歩いていると気付いた。夜が暗いのは、太陽が出ていないからなんだな、と。でも、暗いからこそ、我々はコンビニの明かりが明るいなと感じることができるのだな、と。
コンビニでハーゲンダッツのラム酒味を買った。家に帰り、両脇に保冷剤を挟みながら食べる。すぐ、ベロンベロンに酔っぱらってきた。ああ、気持ちがいいなぁと微笑む。頭に酒がまわり、何も考えられない。次第に熱が醒めていく。病原菌がアルコール殺菌されたのだろう。おかげで翌朝まで心おきなく眠りにつけた。
27歳の一年は激動だった。予備審査会で大炎上し、かろうじて博士号を取り、地元に戻って会社に入ってからは「お前は何回風邪をひくんや」とセルフ突っ込みするほど体調を崩した。
28歳の一年は、成熟を楽しむ一年にしたい。狙っている資格を確実に仕留める。難しい本の読破に挑戦する。長期休暇には海外へ行く。これまでの日々の延長線上を確固たる足取りで進みつつ、ほんのひとつやふたつは自分の新たな一面を発見してみたい。
誕生日、おめでとう。今年も頑張れよ。あと、マジで無理すんなよ。
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