広島生活春夏秋冬vol.14 一年目・12月後編|味の素過剰摂取に伴う博士会社員の季節性誤作動と闇の年末行事群に対する防衛術

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何かを得たければ、何か大切なものを差し出さねばならない

弊社には様々な福利厚生がある。働けば働くほどお金がもらえるとか、超高層オーシャンフロントのタワマンに格安で住める唐揚げ社宅制度とか、ほふく前進で駅にたどり着いた暁には交通費を全額支給してもらえるチャレンジ手当とかがある。

博士学生の頃は酷かった。残業代無しの固定給20万円ポッキリだった。年間140万円の研究費を貰っていたが、家賃にも交通費にも充てられない。昇給の見込みもなければ、ほふく前進しても肘が傷つくだけ。当然、育毛でも植毛でもない。博士課程の二年間で視力は2.0から1.5まで落ちた。ここまで落ちると何も見えなくなる。老眼になり、老眼鏡をかけ、双眼鏡を首にかけて手稲山に登った。

東に筑波山があるならば、西は我らが富士山である。飲食業界で喩えるならば、北の横綱がウニ、南の大関がポテトサラダといったところだろう。学生の頃といまの境遇は、まさにウニとポテトサラダぐらい違う。友達以上、恋人未満。満月以上、スッポン未満。

北海道で食べたウニは本当に美味しかった。口に入れてひと噛みした瞬間、口の中でウニが殻を開けて超新星爆発し、ウニウニウニっとなる。穴という穴にウニがめり込んでくる。危機的状況にもかかわらず、あまりの美味しさに口角を緩め、机上がいたずら完了状態になる。北海道は回転寿司屋のレベルが高い。ウニを食べたければ、根室花まるか、函太郎か、トリトンのどれかに行きなさい。

南の横綱も負けてはいない。ポテトサラダはポテトサラダで美味い。味の素をかけまくれば味の素になる。自分で作ったポテトサラダは、札幌駅のデパ地下で総菜屋さんの前に何円積んでも手に入らぬ旨さを秘めている。比べようにも比べようがない。両方を天秤に載せた瞬間、我がポテトサラダが かのポテトサラダ をベーリング海まで吹っ飛ばしてしまう。自作サラダを積丹ブルーに投げ込むと、そこらじゅうのウニが逃げ帰るらしい。ウニなんかよりポテトサラダの方がいい。どれだけ食べてもゼロキロカロリーだし。

あ~、ウニ食べたくなってきた。

さて。ぽんぽこりんの弊社には様々な制度がある。個人的にイチオシの福利厚生は『年に三度の長期連休』である。

普段は五日働くと二日休める。UQを使えば任意の一日をフリータイムにできる。8時間分の残業貯蓄を使えば一日お休みすることもできる。

最初は週5労働で何も問題なかった。なにせ、大学院生時代に、週7労働を四年間やり続けたのだから。会社員になった直後は内心「週5なんてチョロい笑」となめ腐っていた。たった5日間しか出なくていい、しかも学生時代の倍の給与をもらえる。それの何が大変なのかと首をかしげていた。実際、春や夏は、土日も欠かさず業務やインドネシア語の勉強をしていた。

学生から会社員にメガ進化し、ちゃんと服を着るようになるにつれ、週7労働など全く考えられなくなってきた。秋口を境に土日は完全休養日と化した。勉強するのも最小限。外出は決まった場所に限る。スマホは電源をオフにする。頭も体も精神も休ませたい。目覚ましをかけず、ぐっすり十時間眠る。好きな言葉は、睡眠です。

一年前までは月月火水木金金だったのが、いまや週5労働でも苦しさを感じる。特に木曜がキツい。疲れて頭が回らない。開発現場がバタバタとしすぎていて、物事をじっくり考える余裕がない。脳みそに手を突っ込んでかき回し、どうにか業務を進めていく。やっとこさ金曜を乗り越えたら、つかの間の休息タイムに入る。

正直、五日働いた後の休みが二日間だけでは足らない。5勤3休ぐらいがちょうどいい。いや、欲を言えば4勤3休がいい。もっと欲を言えば、欲まみれでホント申し訳ないけれども、0勤7休の方がいい(休んでばっかりやないか)。木曜の朝は、会社になんて行かず、家でず~っとゴロゴロしていたい。ゴロゴロしているだけでエサをもらえる、おたる水族館のゴマフアザラシが羨ましい。

アザラシ以上、マントヒヒ未満の私にとって、何よりも嬉しいのが長期連休。なにせ、平日にゴロゴロさせてもらえる。あっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロ。ゴロゴロを極め、ゴロゴロを愛し、ゴロゴロに愛された丸の内サディスティックになれる。

長期連休の嬉しいポイントは、UQを使わずとも平日に休めるところ。学生時代は平日も休みたければ休めたけれども、会社員になったら基本的には休めない。だからこそ、UQはここぞというときに使いたい。とりあえず撃っておけば当たるやろのノリで発射するマシンガンみたいな使い方は避けたい。弊社は太っ腹の大企業なので、社員のUQ弾を温存させつつ連休を拵えてくれる。十連休って、何連休よと。身体を二連休に慣らされている私にとって、十連休は永遠に続くプラチナウィークである。

勤務日にはちっとも時計の針が進まない。休みの日に限ってあっという間に終わってしまう。誰か、秒針にぶら下がっているのではないか。文字盤の上で秒針を持って台風の目をしている悪魔がいるのでは。見つけ次第、抹殺してやる。早く出てこい。出てきなさい、怒らないから。

せっかくの休みだからと予定を詰め込む。朝はスロージョグ。それから筋トレ。勉強したら食事を作る。昼寝、読書、散歩。気付いたら外が暗くなり、早くも黄昏時が訪れている。嗚呼。もう一日が終わるのか。終わらないでくれ。まだ、休み、出来ますから。時計カバーを外して秒針を逆回転させるも、時計の調子が見事におかしくなっただけで、事態は変わらない。

こうして一日が過ぎ去っていき、次の一日もあっという間に終わる。光陰矢の如し。静かなること、伊賀忍者のごとし。

晦日の夜、ベランダでニッカウィスキーを片手に、今年はどんな一年だったか、酩酊しながら振り返ってみた。

一月末は博士課程の公聴会。専攻に属する11人の教員を前に、40分以上の発表を行い、合格した。二月から三月の始めは引っ越しで忙しかった。三月下旬、学位授与式で博士号の学位記を得た。ラボの窓から蒼穹に海青色の学位記を掲げ、一年短縮早期修了成功の感慨に浸った。

四月からぽんぽこりんの弊社で勤務開始。慣れない集団行動に苦悶するも、徐々に適応してきて、力を発揮できるようになった。そうかと思えば、足首の靭帯がおかしくなり、趣味のランニングができなくなった。故障に呼応する形で風邪をひいた。おそらく、サッカー観戦で変なウイルスを貰いまくったためだろう。

博士学生から会社員になると、『個』から『組織の歯車』に変わる。また、今まで積み上げてきた業績が何の意味もなさなくなる。完全なるニューゲームが始まった。ルール変更に気付いたのは入社後。成果を自分の名で発表できなくなる点にも思い至り、自分のアイデンティティーを見失ってしまった。実際、GWの十連休は、全く何もする気が起きなかった。会社員になどならなきゃ良かったかな などとと思い煩っていた。

ではアカデミアに戻るかと問われたら迷う。アカデミアはアカデミアで給与が安すぎる。実際、学生時代は暮らしていくので青息吐息だった。さすがに正規職にでも就けたら給与は上がる。それでも、民間と比べて何割も低い給与で生きていくのは嫌だった。何かを得たければ、何か大切なものを差し出さねばならない。私はお金を得るため、自分の命よりも大切な研究を生贄に捧げた。

会社員生活の慰めになってくれたのが金融資産。月々の積立投資が順調に進んで、学生時代には考えられない財産を築けた。ビットコイン半減期の波にも乗れて、このままいけば会社なんてすぐ辞められるかな~などと思っていた。私の人生は、そう上手くはいかぬらしい。米国大統領側近が仮想通貨でインサイダー取引した余波で、ビットコインサイクルが崩れて乱高下してしまった。おかげで、一年間必死に積み上げてきたお金が四割も減る大打撃をこうむった。本気で頭がおかしくなるかと思った。もともと少しおかしいけれども、もっとおかしくなるところだった。

・・・・・・・

学生時代は大変だった。苦しくて苦しくてたまらなかった。けれども、ある意味では楽だった。努力すれば飛び級できるし、苦しい日々を力づくで強制終了させられるオプションがあった。そうした一縷の望みがあったおかげで、全速力で突っ走って早期修了までこぎつけられた。

学生時代と違い、会社員生活には、明確な出口がない。あるにはあるが、出口までが遠すぎる。60何歳の定年まで働くか、独立して起業するか、お金を貯めまくってFIREするかの三択になる。

正直なところ、あと何十年も働きたくない。今ですら週5労働が大変なのに、これを30年も続けるのは不可能に近い。起業したくても、会社を興すテーマがない。第一、そんなにやりたいことがない。起業テーマがない状態で屋号だけ掲げても仕方がなかろう。FIREはFIREで、貴重な若い時間を節約に費やさねばならなくなる。同期がお金を使って消費活動している傍らで家に引きこもっていてはアタマがFIREする。元からそんなにお金を使う体質ではない。それでも、お金を使いたい時に満足に使えなくなるのは苦しすぎる。

苦しい。この環境から逃れたい。ところが、肝心の抜け出し方が見えてこず、にっちもさっちもいかなくなった。仕事がもう少し楽しければ楽になれるのに。せめて足と身体が治って、学生時代と同じぐらい走り回れたら幸せなのかもしれない。あるいは、明日朝、ビットコインが十倍になればいい。そこまでは言わずとも、サンタさんが私の願い通りに彼女をプレゼントしてくれたら文句なし。

いま、一番試されているのが、ネガティブ・ケイパビリティ [Negative Capability] だと思う。曖昧な環境にさらされたとき、即座に結論を下さず、曖昧なまま耐えられる力が求められているのではないか。

本来、NCは博士課程で鍛えられる。博士課程は成果を出せなければ、修了まで四年でも五年でもかかる。万人が三年ぽっきりでスイスイ出てこられる場所ではないのだ。研究で成果を挙げられるかどうかは神のみぞ知る世界。まして、人間なら宙づり状態で胃がキリキリするであろう。そんななか、博士候補生は、各々やっとの思いで学位をもぎ取っていく。

学生時代の私は、自らの性格が宙づりに耐えられる仕様ではないと判断した。苦しみが閾値を超える前に修了しなければ精神崩壊してしまうだろうと。予感は正しかったらしい。D1後期の留学中にストレス過多で喀血した。これは本格的にまずいかもしれない。急がねば学位を取り逃す。帰国後、研究のペースを何段階も上げた。その結果、閾値に到達するかしないかギリギリのタイミングで博士号を取れた。

めでたしめでたし、とはならなかった。神は、私が博士課程で片づけておくべき宿題を、ご丁寧に広島のタワマンまで持ってきたのだ。今こそ、NCを身につけるべき時ではないか。困難に真っ向から対抗し、がっぷり四つを組んで力勝負すべきタイミングではないか。いま勝負しなけれ一生勝負しないだろう。戦え。挑め。打ち勝ってやれ。

NC習得から逃れることもできる。もちろん、逃げてしまった方が楽だろう。逃げたところで誰からも責められやしない。だが、お前はここで逃げていいのか。重荷を背負わなくていいのか。乗り越えられれば覚醒確実な試練に、立ち向かわずに済ませてもいいのか。

NCは、これからキャリアアップしていくうえで、間違いなく必要になってくるスキル。研究の道に戻るならもちろん、企業で出世して上位職を目指すにあたっても重要となる。生きていくために欠かせない技術を習得する機会が与えられた。感謝こそすれど、恨みはしない。与えられた試練に乾杯をしよう。

来年は、苦しんで苦しんで苦しんで、働いて働いて働いて働いて、ちょっと休んで、また働いてまいります。

かめ

皆さん、よいお年をお迎えください!

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~COMING SOON~

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