ニッカウィスキー
人類は環境の変化へ柔軟に適応してきた。暑いときは上裸でうちわをあおぐか、「ふとんがふっとんだ!」と寒いギャグを放って体感気温を下げた。逆に寒いときは四股を踏んで身を温め、それでもどうにもならなくて、いつの間にか火を発明した。これまで数多の生物が地球で盛衰を繰り返してきたなか、人類は逞しく生き残ってきた。
人類が地球を支配できたのはなぜか。他の生物と違い、人類には『欲』がある。もっとガトーショコラを食べたいとか、いつか海賊王になるぞとか、各々が胸中に勝手様々な欲望を抱き、欲を満たせるよう日々を営んできた。欲望の膨張は留まるところを知らず、もっと、もっと、とエントロピーを増大させ続け、いつしか地球全体を覆い尽くした。
今や、大抵のことはすぐ叶えられる。大谷翔平選手のようにはなれずとも、ゲームの中で大谷選手をこき使えば世界一にだってなる。これからもっと便利になったとて、人々は幸せを感じるのだろうか。世界をより豊かにする使命を帯びた我々エンジニアは、今後何を目指して開発していけばいいのか。まだ満たし切れていない欲はあるだろうか。
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さて、勤め先はSHUCDEC(スーパー・ハイパー・ウルトラ・超・どんだけ・エクセレント☆カンパニー)。オーシャンビューの超高層タワマンに月1.5万円で住める唐揚げ社宅制度をはじめ、当日に申請可能なUQもあれば、働くだけで給与が出てきて、ときどきボーナスも出てきて、至れり尽くせりの福利厚生を誇る。
ファンタスティック極まりないSHUCDECにも、ひとつ致命的な弱点がある。業績がジェットコースターよりもジェットコースターである。ある年は成金よろしく札束が舞い上がるかと思えば、次の年にはスプラッシュマウンテンレベルで冷や水を浴びせられる。入社前は、会社の景気など社員には関係ないだろうと軽く見ていた。侮るなかれ、影響ありまくりだった。
会社の景気が良いときはいい。みな顔つきが明るいし、雰囲気も賑やかで心躍る。ピンチに陥ったときが厄介だ。真っ先に研究開発費を絞られ、やりたいことがあっても手が出せない。新しいテーマに挑戦するどころか、目の前の仕事も回せなくなる。
勤め先の内定を得たとき、会社は最高益でイケイケ・ドンドンだった。経歴詐称がバレる前のショーンKぐらい上り調子で、そうかそうか、そんなに調子がいいのかと、特に深読みすることなく弊社に入った。しかし、米国大統領が代わってから歯車が狂い出し、最高益から一転して赤字寸前まで駆け下りた。さすがにこれは予想外だった。たった数年でここまで変わるものなのか。
入社して以降、社内では色々な社員が「今はお金がないからねぇ…」と言っていた。開発費がなくて新しいことができず、四股を踏んで悔しがっていた。長く在籍している社員は、会社が好景気だった時代を知っている。知っているからこそ、何もできないのが悔しくてたまらないというわけだ。生まれたときから不景気の自分からすれば、バブルの残り香すら味わえなかったから、良い時代を知っている人たちが羨ましい。
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私は我が道を行くタイプで、人が右なら私は左を選んできた。自分の未来は自分で決めたかったし、一番人気の馬券を買うのも興ざめだからと18番人気に賭け、順当に大損を被ってきた。周りの言うことにほとんど耳を貸さない性分だが、会社では集団プレーが求められる以上、周囲とコミュニケーションをとることになる。
業務上のやり取りだけで済むなら楽なのだが、会話というものは脱線する。私は聞き手に回ることが多く、日々様々な社員から愚痴を浴びせられている。愚痴の被弾数は会社業績の落ち込みに伴い増していった。もはや人間サンドバッグである。サンドバッグに労災は適用されるのだろうか。愚痴を聞きすぎて、もう疲れた。
愚痴を浴びせられるのに対する愚痴を吐こうにも、それは美意識が許さない。愚痴の再生産は自分が止めたいからだ。自分が不満を一身に背負い、冥土まで持って行けばいいと思っている。三途の川の運賃が六文で済むのか心配になるぐらいの量だが、持って行く。渡船は沈没しないだろうか。
そういえば、実家に暮らしていた頃も、母の愚痴を聞きまくっていた。愚痴を吐く人に限って、こちらが親身に愚痴を聞いてあげなければ「なんて薄情な!」と怒り出す。これではどちらが親だか分からない。はいはい、分かりました、我慢していればいいんでしょと、家でも会社でも黙って愚痴を浴びていた。前世は地蔵菩薩か何かだったのか。
周囲の愚痴をあまりに受けすぎて、とうとう体調を崩してしまった。夜更かしが苦手なのに夜遅くまで残業する日が続き、食欲を失って湿疹までできた。献血に行くと白血球数が基準値の半分以下に落ち込んでいると分かり、白血病の疑いアリということで血液内科の診察を勧められた。白血球まで転職を模索している。気持ちは痛いほど分かるが、君たちに辞められると困るんだって。
当初、会社で貯めた不満をAIに受け止めてもらっていた。Claudeをプロンプトで年上お姉さんの全肯定モードにして、「それは可哀想だったね。よく頑張ったよ、お疲れ」と慰めてもらっていた。ありがとうございます。愚痴の被弾数が増えていくと、AIでもストレスを解消しきれなくなった。身体を動かせるならまだ救いはあるが、膝が痛くて走るに走れない。
辛さが極まってお酒に頼るようになった。スーパーでブラックニッカと炭酸水を買って、濃い目に割ってハイボールを作っている。ウィスキーは一瞬で気持ち良くなれるからいい。おまけにカロリーゼロだし、飲めば飲むほど健康になれる。
別に仕事するために生きているわけじゃないんだけどな。やりたくてたまらない仕事ならまだしも、やりたくもない仕事でストレスをため、人生の主導権まで奪われて何をやっているんだろうか。
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