
論文執筆の日々は続く

夏季休暇に入っても論文執筆は続いた。同期たちがインターンや帰省で札幌を離れていく中、私は修行僧のようにパソコンと向き合い続けた。
8月は主に論文の考察パートの作成に費やした。研究分野における二つの未知の発見について、先行研究を引用しながら論理的な説明を組み立てていった。この時期は比較的順調だった。考察パートには決まったテンプレートがある。主張したい内容も明確だったため、文章は滑らかに進んだ。
しかし、本当の苦しみは9月以降の5ヶ月間に待っていた。書き上げては指導教員やつくばの共同研究者から「ダメ」と突き返される日々が続き、イントロやアブストラクトの作成だけで半年近くを要した。12月末には共同研究者から「一度白紙に戻して本文の構成をゼロから書き直してみよう」という死刑宣告のような提案を受け、気絶しそうになった。
博士課程進学への明確な意志

修士課程入学以来、博士課程進学の可能性は常に頭をよぎっていた。しかし「進学して何をしたいのか」という問いには、明確な答えが出せずにいた。今の研究を続けたいという思いは確かだったが、それだけでは博士課程での困難を乗り越える支えにはならないと感じていた。
夏季休暇中のゆとりある時間を使い、「博士課程進学後にやりたいこと」を真剣に考えてみることにした。A4用紙を広げ、思いつくことを片っ端から書き出していった。数日間の一人ブレインストーミングを経て、三つの明確な理由が浮かび上がってきた。
第一に、自分の限界に挑戦したいという思いがあった。まだまだ全力を出し切れていない感覚がある。B4での論文アクセプトなど、それなりの成果は出せていた。そうはいっても本当の意味での限界への挑戦はまだできていない。修士の二年間だけでは不十分。さらに三年かけて己の可能性を極限まで追求してみたかった。
第二に、海外への挑戦があった。当初は欧米の博士課程への直接進学も考えたが、mRNA〇クチン接種が必須だった。そこで、日本の博士課程在学中の留学という形を考えた。世界トップクラスの研究者との交流を通じて、自身の価値観を揺るがしたいという思いがあった。
第三に、修士号との差別化を図りたかった。研究への努力を重ねてきた自分が、通常の修士修了生と同じ扱いを受けることへの違和感があった。博士号取得は、その努力に見合う評価を得る手段だと考えた。
これらの理由を明確にしたことで、Dの意志は99%まで上昇した。残る1%は両親の反応への不安だった。「早く就職して恩返しする」と言っていた子どもが突然の進学希望を打ち出すことへの心配があった。そこで9月初旬の帰省で親へD進をほのめかし、様子を探って年末年始に正式に相談する計画を立てた。

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