
こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究を行う工学系大学院生のかめ (M2)です。
研究室生活春夏秋冬M1シリーズ第五作目は、M1の8月のアレコレについて記していきます。

それでは早速始めましょう!
まだまだ続いた論文地獄


論文執筆は夏季休暇に入っても引き続きやっていきました。
同期がインターンや帰省などで札幌からいなくなるのを横目で見ながら、自身は心を鬼にしてパソコンと向かい合って修行僧モードに入っていました。
8月は主に論文の考察パート(いわゆるDiscussion)を作成する時間でした。
作成中の論文ではリチウム業界にとって未知なる発見が2点あったのですが、その現象について適宜先行研究を引用ながら筋の通る説明を作っていました。
正直、8月は翌月の9月よりずっとずっと楽でした。
考察パートは作り方がおおよそ決まっているのでテンプレートに沿って書くだけでしたし、”何を主張したいか”という肝心の所も既に明確だったためスイスイ書いて行けました。
一番辛かったのは9月以降の5か月間です。書けども書けども指導教員やつくばの共同研究者さんからひたすら「ダメ」と突き返され、イントロやアブストの作成だけでなんと半年近くも要したのです。
しまいには12月末に共同研究者さんから



一度白紙に戻して本文の構成をゼロから書き直してみよっか♪
と死刑宣告を突き付けられ、その時はあわや泡を吹いて気絶してしまう寸前だったわけであります。
D進して何がやりたいのか?ブレーンストーミングし、Dの意志が99%まで一気に爆上がりした


修士課程に入学後、頭の中を常に【博士課程進学】がチラついていたわけですが、「D進して何をしたいんだ?」と自身に問うても何ら返答がありませんでした。
”今の研究を続けたい”というのだけは間違いありませんでした。けれども、他に何か理由がなかったら、博士課程在学中に辛くなった際に踏ん張りがきかなくなると思いました。
そこで、少々時間にゆとりのできたM1の夏季休暇中、『博士課程進学後にやりたいこと』について少し考えてみたのです。
A4用紙を大量に用意し、思いついたことを片っ端から紙へ書き出していきました。
何日間か一人でブレインストーミングし、いくつか自分の”やりたいこと”が具体的になってきました。
私の心の中で朧気だった『博士課程に行きたい理由』は以下の3つだと分かりました。
- 自分の力の限界を知りたい。限界まで頑張った先に待つ世界を命懸けで見に行ってみたい
- 海外に挑戦したい。世界一の研究者や学生と過ごすことで自身の価値観を揺るがしたい。簡単にトップを取れる北大の中にいたら絶対に井の中の蛙で終わってしまう!
- 博士号を取得し、修士号しかもっていない人間との差別化を図りたい。就活のことしか考えず大学院に行っている奴らと同じ学歴だなんて死んでも御免だ…!
まず①に関して。
どうも自分はまだ研究に対して全精力を注ぎきれていない感覚があり、口では「辛い!」と言いながらも、どこかで(余裕だな)と思いながらこれまで過ごしてきたように感じました。
自分が不幸だったのは、全力を出さずともB4の3月に論文がアクセプトされるなど、それなりに”すごい”とされる成果を出せてしまった点になります。
限界まで自分を追い込むのに2年間じゃ足りません。修士修了時点ではまだポテンシャルを発掘しきれておらず、全く能力開発しきれないまま終わっちゃいます。
そこで追加で3年間ほど研究に挑み、自分の限界まで頑張った末にどんな景色が待っているのかこの目で確かめてみたいと思ったのです。
ここで本気で頑張ることは、人生全体を通した満足度のアップにも繋がるだろうと予感しました。
”中途半端に手を抜いた人生”と”精いっぱいやり切った人生”。自分にとって輝いて見えたのは後者の方の人生なのです。
次に②に関して。
修士課程修了後に海外の大学院博士課程へ留学することをM1に入ったあたりから結構本気で考えていました。
しかし、当時、PhD候補生に給料が出る欧米諸国はコロナワクチンを打たねば入国できず、薬が怖くて一発も打たなかった私には留学どころか国際学会の現地講演すら不可能でした。
そこで、数年以内にワクチン接種義務が撤廃される可能性に懸け、日本の博士課程へ在学中に海外大学へ短期or長期留学することにしたのです。
もし留学先の研究室に北大より大きな魅力を感じた場合、北大を休学/中退し、そこの大学院へ籍を移すことも選択肢の一つとして考えていました。
海外留学することにより井の中の蛙状態から脱したい。世界一の”ホンモノ”な研究者を見て、”ニセモノ”な自分の価値観を揺るがしたい。
北大やつくばの国研にいて抱いた海外への憧れの心を満たしてみたいと思ったのです。
最後に③に関して。
修士なのに論文を書いたり、他の学生の倍以上学会発表へ行ったりしているにもかかわらず、このまま修士修了生として就職すると、全然頑張ってこなかった修士修了生と同じ学歴で社会へと飛び出すことになっちゃいます。
ただ黙っているだけでは”同じ修士修了生”としてしかみなされず、もちろん給料も横並びでちょっとずつしか上がっていかないと思います。
こんなの辛抱できません。努力と境遇が見合っておりませんし、コレなら”頑張っただけ損”で不公平だと考えました。
どうにかして自分と他の修士修了生を差別化したい。ソレには博士課程へ行って博士号を得るのが最も相応しい手段のように思われました。
博士号を得れば学歴や給料面で修士修了生と大きく差をつけられます。
また、博士号は海外でも通用する資格のため、世界で働ける権利を自動的に手に入れられます。
自分の自尊心を満たすには博士課程へ行くしかない。逆に、行かなきゃプライドを保てず、企業で腐ってしまうかもしれない。
以上3つの理由で私は(博士課程に行きたいなぁ…)と考えていたわけでした。
自分の思いを言語化してみて、先月まで50%だったDの意志が99%まで一気に爆上がりしました。
あとの1%は何だったかというと、(「D進したい」と言ったら親は何というかなぁ…)という一抹の不安でありました。
M1の8月当時、親は我が子がD進するなど露程にも思わず、”修士課程修了後は就職するもの”と当然の如く考えていました。
そりゃそうですよね。中学・高校生の頃は「早く就職して親に恩返しするんだ!」と健気に申していたのに、いきなり「やっぱもうちょっと学校に行かせて」と言い出したら事態が呑み込めず気絶してしまうかもしれません笑
D進の可能性を匂わせるべく、急遽、9月初旬に1週間ほど実家に帰省することにしました。
9月に観測気球を一度打ち上げて様子を見て、そこでの反応を参考に年末年始の帰省で正式に「博士課程へ行きたいんだ」と両親へ打ち明ける計画でした。
次回予告
研究生活春夏秋冬M1・8月編はコレで以上となります。
次回のM1・9月編では
- 両親にD進を匂わせる
- 帰省中にオンラインで国際学会のポスター発表
- 指導教員にD進宣言
これら3つの内容でお送りします。


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